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サポーターはなぜ応援することで健やかな毎日を過ごせるのか?「PCM」と「安全弁理論」。

人はなぜ応援するのか?「そんなの理屈じゃないよ!」という声が返ってきそうだ。理屈立てて考えながら応援の道を選ぶサポーターなど聞いたことがない。ただ、実際には行動的側面、心理的側面、等から様々な研究が行われている。自分に照らし合わせて納得のいく説明を得られることが多い。今回は、いくつかの理論提唱や仮説の中から選び出したものをサポーター視点で関連付けて「サポーターはなぜ応援することで健やかな毎日を過ごせるのか?」をテーマにご紹介する。

以前にも、このnoteで紹介した「サポーターのウチ理論」。「ファンはクラブの外にいるがサポーターはクラブ(ウチ)の一員という意識を持っている」という考え方だ。「ウチ」の中に自分を置けば、応援する自分と応援するクラブの関係は一体。もはや、切り離すことはできない。

「ウチの守備は固い。」「ウチの選手は最高だ。」

サポーターは応援するクラブを「ウチ」と呼ぶ。

では、この「ウチ」の意識をどのように持つのだろう。「ウチ」という単語を使うのは日本のサポーターだけだが、世界的にも同様の心理的な結びつきはあり、多くの研究が進んでいる。

Funk and Jamesは心理的な結びつきの強さ4つのステージで示す 概 念 モ デ ル「PCM(Psychological Continuum Model)」を提示している。

PCMはスポーツ観戦を4つのステージで示している。まずは、そのスポーツを認 知(awareness)。そして、意識的にリーグやチームの情報を集めて関心を高 めて、そのスポーツへの魅 力(attraction)に気づき、さらには愛 着(attachment)を抱くようになる。この時点で観戦者はそのスポーツのファンに成長している。

第4のステージが忠 誠(allegiance) 。クラブ(ウチ)の一員に。

愛 着(attachment)のステージでは、単なるスポーツという行為を超えている。そこにはクラブのアイデンティティと自己の同一化の心理が働く。だからこそ愛着は「湧く」のだ。その先に生まれる忠 誠(allegiance)により、クラブ(ウチ)の一員という意識を自覚するに至る。しばしばクラブは家族(ファミリー)に例えられる。

忠 誠(allegiance)により、クラブ(ウチ)の一員となることで、楽しい週末のために平日に仕事を頑張れる。

私たちは毎週末が待ち遠しい。週末が来れば、好きなクラブを応援できる。家族のようなウチの仲間と楽しい時間を過ごせる。だから平日の辛い仕事も頑張れる。

スタジアム内は喜怒哀楽の表現が許される場所。スタンドで叫び、笑い、嘆き、泣き、怒る。

人は誰もが攻撃的な性格の側面を持っている。それを社会性を維持するために抑圧し、ストレスを抱え続けて生きている。だから、何かのきっかけで、そのストレスを不用意に開放してしまい過ちを犯すことがある。過ちを防ぐためには、そのストレスを発散したり癒したりする場が必要になる。スタジアムは、その役割を果たしている。よほどのこと、社会的倫理や秩序を犯すようなことをしなければ、スタンドでは自由な感情表現が許される。サッカーに限らず、プロスポーツには、その受け皿となる役割があるとされている。それが「スポーツ競技の安全弁理論」だ。

週末の家族・・・サポーター。仲間とサッカーとスタジアムは、あなたがあなたであるための良き理解者なのです。


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