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発煙筒を禁止する日本のサッカー文化の未来と過去

浦和レッズサポーターからは「また浦和が処分されるのか」「なぜだ」「不当処分」と火消しに躍起なツイートも散見されるが、史上初の処分は決定した。

発煙筒使用で全国初摘発 61歳、51歳ら、浦和サポ書類送検。

2018年12月9日に埼玉スタジアムで行われた、天皇杯決勝戦・浦和レッズ-ベガルタ仙台戦の試合前後に、スタジアム周辺の道路でみだりに発炎筒を使用したとして、浦和のサポーター3人を道交法違反(禁止行為)の疑いで書類送検した。

日本のサッカー文化を語る人が大量に出現。

「文化」という大きな概念で物事の是非を語るほど馬鹿げたことはない。

「文化」という単語の示す範囲は広く緩やか。様々な事柄を包括した大きな概念だ。「サッカー文化」という単語が何を具体的に示しているのかを特定しないと、多くの会話は噛み合わない。

サッカーを語るのにサッカーだけを見ていては現実を把握できない。

今、「プレミアリーグの3年後を語る」というテーマがあった場合に、何から語り始めるのが適切だろうか。ペップのサッカーがどうなるのか?イングランド代表はどうなるのか?スタジアムは?・・・人ぞれぞれではあるが、間違えなく、それらは些細な要素でしかない。最も重要なのは「英国のEU離脱がどのようになるのか」それ次第で外国人枠が大きく変わるということだ。

過去を振り返ってみよう。21世紀に入って、なぜチェルシーが強豪クラブになったのか?ロシアのアブラモビッチがオーナーとなって有力選手を多く獲得していった。それは、サッカーだけを見ていては理解できない。なぜなら、アブラモビッチはサッカーだけのためにやってきたわけではないからだ。ロンドン金融街(シティ)が税制優遇を積極的に行い海外(特にロシア)からの資本を受け入れる方針に転じたからサッカー界にも投資が行われたのだ。

なぜイングランドの就労ビザ取得の基準は厳しいのか?なぜ日本のサポーターは選手個人へのコールが多いのか?といった疑問に対しても、サッカーの範囲だけを見ていては回答の糸口を掴めない。

「放火は殺人よりも罪が重い」とまで言われてきた日本。

現在では法改正によって変わっているが2004年までは放火罪は殺人罪よりも刑が重い時期があった。それくらい日本社会は火を恐れている。それが発煙筒論議の大前提にある。

「欧州と比べてダメな日本」という考え方は適切ではない。

欧州のサッカー文化・・・それはロンドンの税制優遇に見られるように、サッカー以外の要素がサッカーに多く投影されて形成されている。では日本はどうか。

日本でも当初は発煙筒は容認されていた。

1993年5月に万博競技場で行われた浦和レッズのJリーグ初戦にはテレビ朝日「ニュースステーション」による浦和サポーターの密着取材があった。そこでは発煙筒が使用され番組で好意的に取り上げられていた。

1990年に三ツ沢球技場で行われたアジアクラブ選手権決勝戦では爆竹や発煙筒等の火を使用した応援がバックスタンドで行われた。直後に発売されたサッカーメデイアでは、そのサポーターは賞賛された。

サッカーがメジャーになり日本の社会に広く普及していくにつれて禁止されていった。

Jリーグがブームになると発煙筒は許容されなくなる。多くの日本人が火を恐れたのだ。欧州とは異なり、日本は木造建築が多い。全国各地で大火と呼ばれる街を延焼する大きな火事を経験してきた。第二次世界大戦では街は黒焦げになった。大地震による火事も多く記録されている。だから日本では「放火は殺人よりも罪が重い」とまで言われてきた。発煙筒を受け入れられない理由が社会に存在していると考えれば理解しやすい。

同様に紙吹雪も禁止された。理由は首都高を止めたから。

かつて日本代表の試合で撒かれた大量の紙吹雪が、国立競技場の外を舞い、高速道路に降下。交通を麻痺させたことが、紙吹雪禁止の後押しとなった。日本社会は、高速道路が止められることにより「コンビニに予定通りにお弁当が届かない」「打ち合わせに遅刻する」といったことが許されないからだ。

日本のサッカー文化は日本文化の上に成り立っているのだ。「文化」が何を指しているのかを明確にしてみよう。もし、日本人が火を恐れなくなる未来が到来したら発煙筒は解禁されるだろう。





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