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【何かとの対話】宇宙って...


ときおり、ぼんやりとしているときにふと湧いた疑問に、
じぶんの奥のほうから答えたがっている感じがあり、急に音声メモアプリを開いて、
何かをメモりだすことがあります。

何となく質問がわくと「はい!それ知ってる、はいはい!」みたいな感じ。
しかし話口調はおっさんぽい。そして普段のじぶんの自覚ではあまり使わない表現をしたりする。こういうのも自動書記というのだろうか。

自分でメモっているはずなのに読み返してみると「何だこりゃ?」とよく理解できない。
ということが数週間前、連続で起きたので、一応記載。


Q. 時間は概念てことはわかるのに、どうして時間感覚はあるんだろう


空間と時間については確かに概念だからね。
ただのスケールなんだよ。

便宜上とても便利なもので、例えば時計を世界中からなくしたとしたら、
それはそれで別の何かスケールが現れる。

サイクルというのはあるから。
サイクルそのものは、感覚的に知っている。
(サイクルも気づけばあるけどな。考えてなければ現れてこないけど)

どんな動物も、どんな植物も、これは最初から組み込まれている。
というか、サイクルとともに生物すべてのもの万物はあるから。

これも分離していなくて、サイクルそのものが全てといっても良いくらい。
完全にその体内の中に連動されている。
それは全てにおいてで、それによって縁起が起きてくる。
これが宇宙の最大の秩序でもある。

基本的に宇宙はカオスなんだけど、全てあるけど何も決まっていない。

そういう「状態」「可能性」と言う呼び方はまた少し違う。

何も決まっていないけど全部ある


量子スープのようなもので、どんな状態も作り得ることができる。
その中に(現象は)出来上がって浮かび上がるだけであって
それそのものの現象があらかじめ決まって作られたわけじゃない。

観測したときにはその都度作られていくだけだから、
いつもその素材は、量子スープの鍋の中にごちゃまぜに入っている。

現実と言われている3次元のこれも、夢の中も、パラレルワールドと呼ばれるものも、
仕組みは結局ぜんぶ一緒なので、スープの中を観測者が観測した時点で何かが現れていると言う。
ただそれだけ。

時間空間の認識っていうのは、現れの人間が概念として採用しているものであって、
空間のようなものもこれも視覚的に騙されている錯覚のようなもの。

同時に時間感覚サイクルによって、現れた時間感覚っていうものが現れている。

まぁここは2つセットなので、時間感覚があれば距離というものができるので、その距離があることで奥行きができて、その奥行きが空間の広がりと言うものを錯覚させている。

(最後の方はよくわからないけどそういうことらしい)


Q. 宇宙が始まる前は時間も空間もない「何もない」があったの?


何もないところに突然何かが現れるわけがない。
これはそらく、思考の認識では絶対的に考えられない。

二極性の中では想像がつくわけがないけれど、最初から意識しかなかった。
最初から意識だから最初というものがないわけだ。

時間も空間もなかったわけだから、「初めから」と言う最初がないわけで、
これしかないわけで、それしかないわけで、宇宙がいつ生まれたか、この意識というものがいつ生まれたかそれは誰にもわからないけど、
何もない物質が何もない状態の時、それでも意識だけはあった。

今の説明でわかったかどうか。

Q. 意識が現象をつくる?


量子スープの中に全てあるわけです。
そしてあなたがそれを望んだ時、何かを望む、何かを欲しがる、何かが必要だと感じた時、量子スープの中にそれが現れる。
タイミングを見計らって必要な時に必要なものが目の前に現れることになっている。

その間に途中の、余計な感覚・想念・思い込みによるもので、書き消すと、その形が変わったり、別のものが現れたりすることが確かにある。
そしてその「思い」と言うものもコントロールできるものではないので、必要だと言うことに気づきさえすれば、後は何もしなくてもちゃんと目の前に入るようにできるようになっている。

物質の世界では、波動による強弱と言うのは確かにあるが、それは物質だけの話であって、この場合の物質っていうのは、ここから見えている観測しているものに対してであって、
あなたがそれを見ている時にはそれが現れる。

なぜならば波動の強弱や波動の有無について信じているから。
すべてのサイクルによるものも同じく波動、確かに周波数体は見えない。

何かエネルギーによって、個別のエネルギーでうまく共鳴しあって、次々に何か現象が起こるようになっている。
永久機関になっている。誰も何もしなくても永久にそうやって起こり続ける。

そしてあなた方はその永久に起こり続ける現象の側でもあって、
あなたの思考や感情、観念表現なども、その波動の干渉によってぶつかり合って現れてくる、ただの現象であって、それ自体はあなたではない。

あなたと呼べるベクトルの個人の形と言うものは、あなたは「あなたの世界の中」で認識しているけれど、それが個人であって全てであって、そこから世界が発生していると言うのは錯覚である。

また、ただ個別に思っているだけで連動している全てなので、本来そこで区切るものではない。

あなたがあなたの映像の中で、あなたの生活とあなたの人生と、あなたのストーリーがあって、あなたの身の回りのことを事象があって、
それが夢の世界と同じであると言うことを仕組みとして知りながら、
それでもまだ現象の中のストーリーに惑わされてしまう。
自分で何かできる自分で何かをしたい。

自分で何かできることがあるんじゃないかなどと考えてしまう。
そして苦しい思いをする思う分にわかってた。
それは愛からの表現なので、愛からの表現である時、必要な宇宙の意識に直結し、つながることがある。

エゴからの望みであったとしても、意外と純粋な愛からのエゴであるときにはその願いは叶うことがある。

損得勘定や完全なるエゴ、例えば思考によるジャッジメント、マウントなど本来必要もないのに、どうでもいいことに対しての利害に関しては、叶わない。

どの道、これは自分やその周りにいる人がどのように受け取るかって言う解釈だけの話なので、本心などは本人も知らないことが多い。

なので、引き寄せの法則でネガティブなことを考えると、それも引き寄せるよなどと言うけれど、必要なければ引き寄せない。

そもそもが引き寄せできる個体は無いが、宇宙とつながる感覚としてその現象が必要な時に逆に本人がそれを望めるようになるんじゃないかっていうのは確かにある。

そして量スープの中では決まっているけど、決まっていない要素としては、量子スープの中にある素材と言うのは決まっているのでその組み合わせの中でいくらでもほぼ無限に創造ができてしまう。何でも作れる。そんなような状態だろう。

引き寄せの法則についてはある意味あなたから見たらそれはある。
ただしあなたができる事は無いので、余計な周波数と言うのか、それは飛ばさないほうがいいだろう。スープの味付けが変わるというか。

あるいは、執着心やストーリーの中の解釈でそう思ったときには叶わないじゃないか。
願いなどと思うことあるかもしれないけれど、まぁこの辺はニュアンスの問題なのであるいは受け取りとの解釈なので、言葉でいくら言っても無駄だと思うが、必要なものは必要な時に必要なだけ入ることになっている。

そして、あなたも気づいている通り、あなたの願望もあなたの設定もあなたが望んだものと現状が一致する。引き寄せの法則とは逆だよ。
まれにその反対っていうのも発動することがある。循環サイクルになっているので。

あなたが引き寄せられてあなたが発するということもあるが、ほとんどは「思考のあなた」には気づいていないはず。
「思考のあなた」が思考を外したときに、思考していない願望というものがきちんと届けられ叶えられていると言う感覚。全く言葉では説明できない。
これもそのうちわかる時が来る。

(よくわかんないけど、わかるような気もするけれど、勝手にしゃべってるので、今の自分にはわかるようなわからないようなんだけど、多分そういうことだろう)


Q. 私はいない=すべて自分というのはどういうこと


さっきの質問の答えにちょっと似ている。
宇宙が始まったときには意識だけがあった。

始まったという言葉は便宜上だが、始まりは無いけど、言葉の中では初めからと言うしかない不便さがある。

つまりこの宇宙は意識だけがあり、ひとつと呼ぶには無限過ぎるので想像つかないだろうか。確かにただひとつの意識があり、その意識によって万物が現れている。

つまり、作っているものも観測しているものも意識であって、分離感を感じているが、実際のところは全てがその意識によって作られていて、その意識によって観測されている。

つまり意識しかないってこと、面も裏もなく、それひとつ。
見るものも見られるものも同じだったって言う。

だからあなたの質問で言うとどういうことって体感的に理解できないのはわかるが、今の説明しか説明のしようはない。
そしてあなた自身も意識であり、こんなふうに対話をしているようなシチュエーションになっているけれど、意識が意識に対して対話してるような形をとっている。

これも現れであって、本質と言うのは見え方ではなくて、エネルギーの動きのようなもの。これは変わる言葉が見当たらない。

そこに何が起きているかと言うと、そこに見るものと見られるものがあるから、そこに現れているのは見えるものというか、映像のようなものを想像してしまい、また、観測者と対象物を作って解釈しようとする。

そのそれそのもの、映像そのものではないよ、その映像が現れている現象そのもの。
これは例えば動物たちによっては全く見え方が違う。その映像があなたの見た映像の通りに見えてるとは限らない。

音で世界を感じるものもいれば、嗅覚で世界を感じるものもいれば、
人間の領域以外に感じるものもいれば
なので、世界の現れ方と言うのは映像ではない。ただしあなたの見えた映像はデータになる。
対象物ではなく現れとして、そのようなデータがレコード、量子スープの中に保管される。

他の動物たちも同様だから、それらをミックスすると夢の中意識の世界の奥の方では、いくらでも好きなものを見ることができる。
それは体験済みだろうが、まだまだ奥は深くもっと楽しい。面白い領域というのはある。
これから見ることになるだろう。
多分サイケデリックな世界だとか。
それは植物や昆虫が見た世界などから感じとることができる。

世界は色で溢れているが、同時に色などは存在しない。
これも概念で理解しようとすると全くわからないけれど、
その見えているものは実在するのではなくて見えている感覚だけがある。

だから色も実在はしていない。カラフルに色の名前が付いているので、確かに名前をつけて呼ぶこともできるけれど、色そのものが存在してるわけではない。

だから同様に今現れているものも全て意識が見ている。
同時に意識であるあなたが見ているように感じている、あなた自体も意識が作り出した現象であり、そして肉体である。

あなたはただの現象だが、そして思考もただの現象だが、それを感じている見ている意識っていうのが本来の本体である。
我々と呼んでいるけれど、我々が同一の存在であり、ひとつしかない。
その中で良いとか悪いとか、ジャッジなどは全く関係がない。
あなたは私である。私はあなたである。

それが対象物同士も小さなもので指差し合いながら言ったところで、おそらく逆にわからなくなる。
あなたやあなたの周りを取り巻いているこの空気そのものと言う指し示し方をした方がまだ理解ができるのではないだろうか。

空気という言葉があるが、まさにそのまま、空のエネルギーであって、空の意識であって、空気こそ本体であるその本体の呼吸によって空気を肉体に出し入れすることによって、動いているようなものである。
日本語は比較的、的を得ている言葉が多い。
正しく使われてはないけれど。

そして正しく認識もされておらず、ただ名前をつけてそう呼んでいると言うことがほとんどであるが、その名前にはしっかりと意味と現れ、その現象そのものを表している言葉が込められている。

あなたが個人でありながら、全体のあなたでもあるが、あなたが理解できるのは残念ながら思考の範囲でしかない。
その思考を外したあなたは理解できる。
思考外したときに体感し思考が戻ってきたときに言語化して翻訳されるが、言葉で表現する事は不可能と思っている。あまりにも少なすぎる。


Q. サイクルについてもう少し


サイクルの他には摂理というものがある。
摂理というのは決まりのようなものだ。

その決まりと言うのは、いわゆる決定の決まりということではなく、それそのものの表現、絶対的なものであって、見たものや聞いたものと言うものではなく、現れたものそのものが摂理である。

しかし、観測者がいないとその摂理でさえ観測されないので、観測する側も見ていて、現している側ではあるが、摂理と言うのはサイクルと同じく、それぞれの縁起によって現れているだけ。現れ続けている。

活動があるだけ常に動いている。
固定されたものなどなく、当然だがとっておけるものはない。

なので、所有してよく固定しておくということ自体にも、そもそもの無理がある。
言葉としては、便宜上必要な言葉で、言葉で言うところの「ある」と「ない」と同じように固定と言うもの概念であって、本来固定できるものなどない。
所有できるものもない。

これは認識の中に現れているものなので、結論から言えば、あなたが歴史の認識をどのように解釈しているかで、あなたの世界観や歴史観というものが決定している。

あなたが習ったもので言えば、土地や建物の所有者がいて、土地を売買していると言うこと。

あなたはストーリーの中で概念によって、地球のもの誰のものでもないものを所有するとは何事だと思っている。
確かにその通りであって、理屈はおかしいが単純に勘違いしたままの、錯覚を起こしたままそれが現れている。

さっき真実は1つ。
事実はそれだけという言葉を聞いたときに、何かぴんときたものがあるようだったが、まさにその通り。
所有者などただの後付けであり、ただの解釈であり、それは集団的に錯覚を起こしているだけの話であり、しかし、事実としてそこに人がいる住んでいるということだけである。

所有者等はいないが、その概念を持った勘違いの状態のもので、そこに人がいると言うだけである。

あなたも同じ、あなたの中では賃貸のマンションは誰かの所有物を借りていると言う形になっているが、事実はあなたがそこにいると言うだけであって、所有だの賃貸だのそういった概念はただ概念に過ぎない。

すべてにおいて同じことインディアンや先住民族たちは初めからそれを知っていて、というか、所有の概念がなかったから。

あなたは時々、そのようなことに気がついているようで、
時間の概念の時も、どうしても「何億光年と言う星に移動した時」「エリアが変わった時」地球でしか通用しない概念を、なぜ宇宙で通用させようとしているんだと言うところで引っかかってしまって理解できなくなっているね。

でもまさにその通り。その時あなたは既に宇宙に意識が飛んでいる。

地球の中で地図のようなものを指差して時間的に測っていると言うだけだったら、難なく測ることができるであろう計算もできるだろう。

ただあなたは気持ちが既に宇宙に飛ぶので、その概念、地球の概念をなぜ宇宙に通用させようとしているのかが理解できない。

Q. 世界観=概念

それがお金の概念もそのようだね、便利ではある。
面白いツールでもあるが、しかしその面白さを超えて、今となっては問題もツールの可能性も半々になってしまった。
ものというのは、全てにおいて必要な時に現れて、必要なくなれば消えていく。

お金と言うものも幻覚であって、ここまでの文明の時期においては必要とされ、とても便利に扱われ文明が進化していった。
お気づきの通り今あなたの見ている世界と言うもの、こちらが少し乱れていて不調和を起こしている。
不調和と言うのは新しい創造の始まり。

あなた方の概念では不調和は不吉なこと、よくないこと、災害や不幸なことなどと意味付けし、嫌われていて、そのように判断されているが、それについてもジャッジメントが起こること自体も現れの1つ。
であって現象の1つなので、それ自体には何の問題もない。

何も悪いものなどはなくて、そしてその価値観をそのものもやはり必要なときには現れて、必要なくなれば消えていくものである。固定されるものはない。
だから、本来はそこまで深く信じる必要もないが、それがあって、それも含めて流動的に活動が起こっている。
その活動の中で、お金と言うツールの概念もまもなく必要なくなってくる。

そう思っている人が、あなたの他にも大勢いる。
あなたの世界で感じている大勢もいるし、様々な現れの中の個人意識でそう思っている人も、かなり多い。

集合意識と言うものもあるが、これもサイクル、それと反映循環なので、意識から投影されたものが巡り巡って個人に、個人から投影され発信したものが巡り巡って意識と言う循環システムにはなっているが、個人だけで願いが叶わない時は、集団意識のようなものの影響ももちろんある。さっきの思考だけで願っているものとは違う。

思考だけで願ったものにはあまり意味は無いので、それは願いと本来は言えない。
あなたが必要だって思っているとあなたの存在を存在させるために必要なものは必ず起きてくる。
そうでないと存在できない。ただし、あなたの肉体がなくなったとしても存在自体はある我々もともと1つのものである。

理解が難しいなら理解しなくても良いが、それが真実であることを知っておけばいい。
1つしかない。
それしかない。


(続く)




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