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ニート頑張れ

 頑張れという言葉はあまり使用してはイケナイという論調がある。声を掛けられる人は既に頑張っている。精神的に頑張っている人に「頑張れ」なんて言うと頑張っている人に更なるプレッシャーをかける事になる。運動会とかフィジカル・身体的に頑張っている人にはこの「頑張れ」という声援はその声を掛けられた人の力になるがこれがメンタルで頑張っているという話になると逆効果になってしまう。
 昔、ネットの無い時代、ホームレスの人はすごい物知りだった。ヒマにあかせて落ちている古新聞を片っ端から読み漁る「余裕のある人」だったからだ。その人達は物理的には引き篭もる余裕すらないから青空の下で暮らしていた。
 ニートの人。あなたには引き篭もる余裕がある。小生のここのブログまで辿り着いたではないか。だからせめて少しは先に目を向けて情報収集だけは怠りなく過ごして行って欲しいものだ。
 事件を起こしてはいけないが、多少なりとも親に反抗したっていいと小生は思う。小生なりに色々と様々な人を見ているが、ニートとか引き篭もりになる人には親にも問題がある場合が多い。例えば親が世間体ばかり気にしているようでは、引き篭もった人は家の外にも出られなくなる。
 自分もまぁ自宅療養という感じで何となく家にいるが、自分のポリシーとしていつも思うのは、ふらふらと街を歩いてたまに口をきく事があったりすると、「いい身分だな」と強烈な皮肉を言われる事が堪えたりするわけだが、もし自分が逆の立場だったら「すまんなぁ、ウチには人を雇う余裕が無いんだわ」と声を掛けるだろう。

 無職ってのは「いい身分」ではなく、辛い事なのだ。それが市井の人には解っていないようだ。世の中はその辛い人をさらにぶん殴るように出来ている(何故そうなっているのか最近何だか解りかけているような気がする)。ニートの人は当然無職だ。辛い状況に耐えているという事は精神的に強いという事だ。

 「すまんな、ウチには余裕が無くて」何故それが言えず、強烈な皮肉しか言えないのだろうか。自分は思う。アンタは檻の中に入っちまったんだな。。。身動きが取れないから「自由な」人間を妬むあまりに強烈な皮肉を言うのだ。小生はヨメも子もおらず、住宅ローンだって抱えていない。だから今、自由がある。
 チャップリンは確か映画の中で「人生に必要なのは自由と想像力とほんの僅かなカネだけだ」と言っている。
 カネを稼ぐ事は難しい。組織に仕えるのも厳しい事だ。だから引き篭もったままでもいいからせめて想像力だけは失わないで欲しい。その為には世の中をしっかりと見て欲しい。世間体さえ気にしなければ自由と想像力だけは自分の力で手に入れる事が出来る。

 後は、よく目を凝らして見れば、世の中にはセーフティネットだって存在する。小生は生活保護を受けているわけではないが、受ける事が出来れば多少なりともカネはもらえる。「家があるから受けれないよ」なら引き篭もっている実家の不動産の相場くらいはおさえておくとか。「プライドがあるから受けれないよ」ならプライドなんか捨てるか、捨てれなければそのまま暮らして行けばいい。
 プライドを捨てられない余裕があるなら引き篭もる自由がある。

 小生は自殺願望ほどのものでは無いが、ある意味世の中を捨てている。楽に死ぬ方法があるならその選択をすると思う。だがまだ親が健在なので、その面倒は見なくてはいけないという使命感で生きている。

 そして、ヒマに空かせて世界の謎ーピラミッドと、日本の謎ー伊勢神宮の謎に辿り着き、カネで動かない世界ーパラレルワールドを夢想しているわけでして^^。。。ちょっと過激かもしれないが、来世が楽しみなのだ。

 自由と想像力は手に入れる事が出来る。問題はカネなのだ。世の中はチャップリンの言う「僅かな」カネでも稼ぐのは難しく出来ている。

 カネで動かない世界。それは古代日本ではなかったか。蓄銭叙位令を出すに至るまで、古代日本の人々はおカネという物の流通を拒否していたのではなかっただろうかと。
 それは原始共産主義だろうか。いや共産主義は神を否定する。当時から神は存在していたと思う。というか昔の方が人々の信仰は篤かったのだと色々調べながら思っている。

 下ばかり向いていないで何か勉強しよう。来世の役に立つかもしれない。

※すいません、確かチャップリンは「勇気と想像力とほんの僅かなカネだけだ」という名言だったと思い出しました。勇気。出せますよね。

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