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『WINDLESS BLUE』 風

【私の音楽履歴書】 # 36  風

先日のネットニュースで、ホール&オーツ(ダリル・ホール&ジョン・オーツ)の名実ともの解散(活動停止)が伝えられた。

私の青春期に、華やかな活動の足跡を残したグループであるホール&オーツ〜その二人の訣別のニュースには一つの時代の終わりを見た思いがする。

さて、日本の音楽シーンでの男性デュオグループと言えば、時代の流れに沿って上げれば、グレープ•ふきのとう•チャゲ&飛鳥•B'z•CHEMISTRY•コブクロ•ゆず〜あたりの名前が上げられるだろうか…

そんな中で私が一番好きなデュオグループは『風』である。
このnoteマガジンでは以前に #5伊勢正三として風の楽曲も取り上げてきた。

今回は、風〜三枚目のアルバム『WINDLESS BLUE』以降の三作と、もう一人のメンバー大久保一久にも焦点を当てながら、当時の音楽シーンも振り返ることとしたい。

『風』は元「かぐや姫」の伊勢正三と元「猫」の大久保一久が組んだデュオグループである。
かぐや姫の解散が決まったものの、ソロでの活動には踏み切れなかった伊勢が、同じく解散の決まっていた猫の大久保一久に声をかけて結成したと言われている。
風はオリジナルアルバムを5枚発表している。

◇ 風ファーストアルバム (75/6)
◇ 時は流れて… (76/1)
◇ WINDLESS BLUE (76/11)
◇ 海風 (77/10)
◇ MOONY NIGHT (78/10)

一枚目、二枚目まではデビュー曲『22才の別れ』に代表されるようなフォーク路線を踏襲してきた。
そして、三枚目のWINDLESS BLUEから、その路線を大きく変更させる。

この三月に出された「ぴあ」の連載インタビューでも伊勢は、この頃スティーリー・ダンに影響を受けていたと明言している。
このことは当時から彼自身が話していた事でもあり、その音楽を聴けば明らかであった。

風(伊勢•大久保)の活動に於いて、彼らを大きくサポートし〜影響を及ぼしていた二人のミュージシャンがいる。
一人は音楽プロデューサーで多くの風の作品の編曲をしている瀬尾一三だ。
瀬尾は吉田拓郎やかぐや姫のプロデューサーを務めていた関係からか、同じ事務所のユイ音楽工房に所属する風の作品づくりにも関わることとなっていた。
後に中島みゆきや長渕剛らも手がけることになるのだが、何と言っても2006年につま恋で行われた吉田拓郎とかぐや姫のライブにおいて、吉田拓郎のステージでゲストに中島みゆきを招いて「永遠の嘘をついてくれ」を歌い二人が共演したのは、まさに音楽史に残る名場面だった。
そのステージで指揮を務めたのが瀬尾一三である。

そして、もう一人はギタリストの水谷公生だ。水谷は風の楽曲の殆どに参加している。
そして彼が率いていたDig itは南こうせつのバッグバンドとして南の初期のソロ活動をサポートしていた。その関係もあり、風でもミュージシャンとして関わっていくことになる。
アルバム三作目以降は、水谷公生(E.A.Guitar) と同じDig itのメンバーだった武部秀明(Bass) そして佐藤準(E.A.Piano) 森谷順(Drums) がほぼ固定の参加ミュージシャンとしてサポートしている。
中でも武部のベースが、風の音楽の文字通りベースとなって響きわたっているのが特徴的である。

「ほおづえをつく女」「君と歩いた青春」などのエレキギターは風のサウンドが変わったことの何よりの象徴でもあった。
フォークの時代から次のフェーズに移行し始めていたこの時期は、まだニューミュージックという言葉も定着していなかったが、新たな音楽シーンの展開を推し進めたのは荒井由実と彼女をサポートするティン・パン・アレーであったと私は思っている。
その流れの中で、伊勢も進むべき方向について模索していたのは上記記事でも述べている通りだ。
当時、よく言われていたのが『サウンド志向』という言葉だ。アコースティックからエレキへと楽器を持ち替え、洋楽に影響された音づくりがちゃんと消化しきれているかどうか?半ば蔑みや侮蔑に近い言い回しとして使われていた傾向があった。
もちろん、サウンドだけが上滑りして評価に値しない楽曲も少なくなかった事も否めない部分はある。
しかし、ハッキリしているのは、そこは才能〜センスがあるかどうかのシビアな世界からの結果でしかないと言わざるを得なかったことだ。

風の場合、ここは伊勢の場合と言ってもいいが、従来のファンからしてみれば評価しづらいところもあったであろう (22才の別れやなごり雪のような路線を追求してほしい層) 私は逆に、とても胸踊らせて聴いていた側であった。
また、大久保作品の4曲目「旅の午後」のアウトロのフェードアウトは何かセンチメンタルでメランコリックな趣きがあってとても好きであった。
このアルバムで全曲アレンジを担当した瀬尾一三の仕事が素晴らしい。

『旅の午後』



4thアルバム『海風』のジャケット

四枚目のアルバム『海風』のレコーディングはアメリカ西海岸ロサンゼルスで行われた。
日本より圧倒的に湿度が低い地理的条件と音楽スタジオ、スタジオミュージシャンの圧倒的充実ぶりから、海を渡ってのレコーディングがトレンドとなりつつあったが(当時は財源も潤沢にあって色々な活動に注ぎ込むことが出来たのだろうか?)、そのさきがけとして風も海外録音を行う。
当時の私は、その音の違いなど聴き分けることも出来るはずもなかったが、漠然と思っていたのは、音云々というより環境を変えてレコーディングすることで新たな音楽の展開が生まれることに、むしろ重きを置いていたのでは〜と考えていた。その認識は今となっても変わらない。

海風のジャケットを見てもらえればわかる通り、笹の葉のイラストが挿入されている。
伊勢は海外での音づくりをベースにしながらも独自の「和のテイスト」を盛り込みたいと思っていたと言う。
その意志の現れがアルバムジャケットにも表現されていると見てとれる。




5thアルバム『MOONY NIGHT』ジャケット

前作『海風』に引き続きロスアンゼルスで録音が行われた。
こちらも先ずは、アルバムジャケットに注目してほしい。いかにも西海岸といった設定にアルバムタイトルの筆記文字体〜
これを見て直ぐに連想したのはイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』のアルバムジャケットだ。

『ホテル・カリフォルニア』

スティーリー・ダンのみならずイーグルスやドゥービーブラザーズも意識していたに違いない当時の風のサウンドやスタイルだったろう。
そして、イーグルスについて言えば、この『ホテル・カリフォルニア』の曲順構成とどことなく似ている節も感じ取れていた。
私が常々口にしている(文字にしている)のは名盤とは2曲目に名曲が配置されていることだ〜と。
『ホテル・カリフォルニア』は超有名な同名タイトルのリード曲に続き「ニュー・キッド・イン・タウン」が入っている。私はこの曲が当時から好きであった。

『New Kid In Town』         Eagles

そしてここで歌われている「New kid」とは冒頭で紹介した「ホール&オーツ」のことであると半ば公然と囁かれてきた。
奴らが街にやってくる…
当時はまだ新星の二人組が西海岸の音楽シーンで驚きと畏怖の念を持って迎えられようとしていた様を唄っていると言われていた。

その構成に似たものを感じるのが『海風』での2曲目の「冬京」であり、『MOONY NIGHT』2曲目の「あとがき」だ。

『あとがき』

大久保一久の作品であるこの「あとがき」は彼の作品の中でも特に好きな一曲だ。
大久保は当時、確か南こうせつのオールナイトニッポンだったか〜深夜のラジオで伊勢と共に出演した際、最近聴いているのはジェリー・ラファティーで、特に『Baker Street』(邦題/霧のベイカー街)をよく聴いていると話していたと記憶している。

『Baker Street』   Gerry Rafferty

声質の細さから、どうしても弱く受け止められがちで、伊勢の作品の影に隠れがちな大久保作品だが、私自身が歳を重ねるにつれて、彼の作品の良さがわかり出して聴く機会も増えてきたところだったが、残念ながら大久保は21年9月に71才でお亡くなりになってしまった。
もう風として二人がステージに立つことは叶わないが、彼が遺した音楽は未だ輝いており、伊勢もその意志を引き継いでいる。



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