見出し画像

『FOR YOU』 尾崎亜美


【私の音楽履歴書】    # 34  尾崎亜美

シンガーソングライターといわれるミュージシャンたちは自身で唄うことのみならず、他のアーティストへの楽曲提供によっても、その名声を高めている場合が少なくない。
女性ミュージシャンに限れば、松任谷由実と中島みゆきの二人はその最たる例であろう。
そして、その彼女たちにも引けをとらないもう一人のライターとして、私は、尾崎亜美の名前を上げたい。

彼女たち(彼らたち)は、時に提供した楽曲を後に自身で唄う場合ももちろんある。いわゆるセルフカヴァーである。
アーティストによって、そして楽曲によって、提供された側の方がシックリくる場合もあるし、作者の方が好きだなぁ…という場合もある。まさに受け止め方は人それぞれだ。
私の場合、尾崎亜美ほど作者側の歌唱の方がいい〜と思う人はいない。もちろん提供された側の楽曲を否定するわけではない。尾崎の方が好きだ〜というただ好みの問題だからだ。
今回は、そんな彼女の楽曲から主に初期の頃の作品を取り上げてみたい。


瞑想

76年3月のデビュー曲。この作品も収められた1stアルバム (76年8月発売)『SHADY』はティン・パン・アレーから松任谷正隆(Kb)・鈴木茂(Gt)・林立夫(Dr)の三人が参加し、特に松任谷正隆は全曲の編曲を行っており、中心的な作品作りを担っている。
ティン・パン・アレーは当時、既に荒井由実との関わりが強くユーミンの出現は、音楽界での新たな潮流を生み出しつつあった。
その荒井由実と松任谷正隆は、その年(76年11月) に結婚し、彼女は松任谷由実と改名することとなる。
そんな状況での尾崎亜美の登場であった。
このデビュー曲は今聴いても、とても新鮮でオシャレである。
彼女の才能と周囲のミュージシャン陣が見事にタッグを組んだ好例であろう。

マイ・ピュア・レディ

3rdシングルのこの曲は77年春の資生堂のキャンペーンソングに採用された。
この頃から80年代にかけての資生堂とカネボウのCM合戦は熾烈を極めていた。そこにコーセーも絡んだりもしてきたが、特に、この二社のキャンペーンソングに採用されることは、TVで曲が頻繁に流され、街頭でタイトルを盛んに宣伝してくれるのだから、大ヒットを約束されたも同然であった。ただ音楽界にとっては、その功罪もあったと思う。
いづれにしてもモデルとなった小林麻美の可憐な美しさと、それに被さる尾崎の歌声は化粧品メーカーのCMとしては最高の組み合わせであった。

春の予感〜I've been mellow

前年に続き78年春の資生堂キャンペーンソングとして南沙織の歌唱で尾崎の作品が採用された。
この年の11月に杏里が、尾崎の楽曲である『オリビアを聴きながら』でデビューする。
この二曲は、オリビア・ニュートン・ジョンの代表するヒット曲『Have You Been Never Mellow』(邦題/そよ風の誘惑)からのインスピレーションが始まりだと思われるが、この《Mellow》という英単語は、その意味合いからも実に曖昧なニュアンスであった。しかし、当時盛んに使われていたと記憶する。
後に始まる新語・流行語大賞が当時あれば、確実にランクインしたのでは…と思わせるものであった。
ちなみに、この後の78年資生堂夏のキャンペーンソングは矢沢永吉の『時間よ止まれ』であった。


あなたの空を翔びたい

ペドロ&カプリシャスから独立した髙橋真梨子のソロ第一作として、今でも歌い継がれている名曲だ。
この曲も78年11月の発売だから、78年はミュージシャン尾崎亜美にとっては飛躍の一年であったと言える。

涙を海に返したい

杏里の3rdシングルとして提供された曲。

何故 一人で行くの? 悲しい旅を選ぶの?
何故? 男は何故 孤独な夢を求めるの?
大いなる海に抱かれて あなたは夕陽の中へ
私の心を波がよせては返していく

『涙を海に返したい』

尾崎亜美ほど「女性」を強く、そして前面に出しているアーティストはいないだろう。
「男と女」の世界観〜風景〜関係といったものを、決してくどくならずに歌い上げるミュージシャンだと、この曲を聴いても感じてしまう。


FOR YOU

東京志向の強い、まだ都会を知らぬ田舎者が、東京の情報に触れるコンテンツとしてラジオの位置づけは、当時は相当高いものであった。
深夜に東京のラジオ局の周波数に合わせ、途切れがちな電波の中で聴いていた番組の合間に流れるCMの一つとして「丸井」があった。

♫Something in the present for You
I love you  好きだから あげる…

確かこんなCMの歌詞だったか?
若き日の山口美江が出ていたという映像は、もちろん知らない。ラジオの音声のみの記憶である。
同時にその歌声が、尾崎亜美であると認識していたかどうかの記憶も曖昧だ。
しかし、この一節だけは微かに憶えていた。
やがて、いつか元歌が「FOR YOU」という曲であると知る。
この曲を聴く度に、都会(の文化)に憧れていた一人のしがない田舎者の青春を振り返るのだった。

時に愛は

83年に松本伊代に提供した曲。
当時は正直「え〜〜松本伊代が尾崎亜美作品歌うのかよ〜」とその組み合わせに不満を隠せなかったが、実際の松本伊代バージョンは決して悪くはなかった。
楽曲の確かさがそうさせたのだな…と思わせた一曲だ。尾崎が松本伊代を想定しながら当て書きをしたのかどうかはわからないが、そうかもな…と思わせる絶妙の楽曲であることに変わりはない。

Summer Beach

85年に岡田有希子に提供した曲。
悲劇的な最後となった彼女の、実に短くも儚い人生ではあったが、尾崎や竹内まりや・坂本龍一をはじめとする彼女への楽曲提供は、決して先輩の松田聖子や所属するサンミュージックの関係性の恩恵とだけ捉えることに終わらないものがあったのだろう。
岡田有希子バージョンも、尾崎のこの曲もどちらも得も言われぬ艶があって好きだ。


オリビアを聴きながら

皆さんご存知の78年に杏里に提供したデビュー曲。
タイトルのオリビアは、オリビア・ニュートン・ジョンのことであると、暫くして知ることになるのだが、この曲のいうオリビアと、実際のオリビア・ニュートン・ジョンのイメージが、どうにも一致しないもどかしさを私自身は持っていた。
深夜にジャスミンティーを飲みながら聴く音楽として、オリビア・ニュートン・ジョンを選択することにどうにも違和感があったのだ。
しかし、人の感受性とはそれぞれに違うもの〜ましてや私と尾崎とは男女の別もある。
当時は「女子ってそういうものなのかなぁ…」くらいの認識だったのだろう。

この曲は尾崎自身、いくつかの編曲でカヴァーしている。
私は、ギタリスト今剛がアレンジしたこのバージョンが一番好きである。このピアノよりギターをメインしたアレンジが私には心地よい。

最後に紹介するのは、作者オリジナルの方が好みであると話してきた尾崎亜美ではあるが、唯一と言っていい例外の曲がある。
それが金井夕子に提供した『パステルラブ』(パステルラヴ)である。
尾崎のセルフカヴァーはややライトなアップテンポのアレンジなのだが、稀代の編曲家〜船山基紀アレンジによる、この金井夕子盤は、金井の類まれなる歌唱力と独特の歌声と相まって、素晴らしい楽曲となっている。

パステルラヴ

「スター誕生」出身の金井はデビュー当初、演歌色の強い第一プロダクション所属だったが、後に尾崎亜美の事務所に移籍するという歴史があったとのことだ。それだけ尾崎が彼女を買っていた証であるのだろう。



ニューミュージックのアーティストが歌謡界アイドルに作品を提供する好例としては、松田聖子をみれば一目瞭然であろう。
松任谷由実(呉田軽穂)・大瀧詠一・財津和夫・細野晴臣などのビックネームに並んで尾崎亜美の名も連なっている。
『天使のウインク』『ボーイの季節』の両シングルは松田聖子を代表する楽曲のうちの二曲であることに異論はあるまい。

尾崎は現在、ベーシストの小原礼を公私とものパートナーとしている。
一年前には喉の手術をしたとのことだが、オフィシャルのXによれば、コンサート活動も再開しているようだ。
ちなみに小原は、鈴木茂・林立夫・松任谷正隆と「SKYE」(スカイ) というグループを組んでいる。

彼女が残してきた作品群は時代を越え、それぞれの人の人生に寄り添いながら、歌い継がれ聴き続けられている。

時に彼女の歌声を無性に聴きたくなる時がある。
青春の煌きやつまづきを懐かしみながら、振り返るひとときが、たまにはあってもいいだろう…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?