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memories of …… #2

自己を主張する姿を、まず見た事がない。
おとなしい女性だった。
人との会話ではいつもニコニコ笑って、“そうですねぇ”と相手に合わせた相槌をうっていた。

昔、お客さんのシステムの不具合をなおしたり、オペレーションを改善する為のシステムの改修、再構築などをするフィールドエンジニアをしていた頃、彼女はフィールドの報告書から売り上げをまとめ、その管理をする何人かのうちの一人だった。

ある時、報告書が何部か失くなった。
関わりのあるエンジニアと管理部門の女性達総出で探したが
見つからなかった。

再度作り直してお客さんからサインをもらい直す事になった。
部長から関わった者全員が厳重注意を受けた。

エンジニア同士では、Hという仕事が雑でだらしない男が前にも一度報告書を失くした事があったので、“多分アイツだろ?”と目星はついていたが、意味のわからない理屈をこねくり回すのが得意(?)な”あやつ”を詰めた所で疲れるだけだから、さっさとサインもらいにいくべ、という声が多数をしめる中、私含め3人がHの所へ行った。
結局、3人の中の一番トッポいYを私ともう一人で止める事になった。

私ともう一人が行ったのは、Hに問い質す事が目的ではなく、前に報告書を失くした一件の事でいささか正義感が勝ち過ぎるきらいのあるYが、2、3度Hへの怒りを口にするのを聞き知っていたので、止め役いた方がいいんじゃない?というのが理由であり、結果、危惧した通りになったのだった。

「お前と違うんか?」
「何それ?何言っちゃってんの?あんたら。証拠も無しに」
「この前も一度失くしてんじゃん、お前。M社からお前担当のサイン済みの報告書送られてきた時、一緒にいった後輩が忘れてきたっつってたけど。後でM社の担当にお前に報告書渡した時、後輩君は車出しに退室した後だったって言われてさ、ばれてんのにシラきり通したつもりかしらんけど」
「M社のでたらめ真に受ける人、まだいたんだ?」
「恥ずかしくねぇの?お前?」

「何が?でたらめ本気にするほど知能レベル低くねぇから。恥ずかしくねぇの?あんた?そんな知能レベルで?」
「〇ぬか?一辺」
「はい、そこまで」
「人間一回しか〇ねないんだけど?何?一辺って?」
「わかったから」
「一旦離れようか?な?」
「わざわざ一辺ってバカなの?」
「いいから」
「何あんた?何回も〇んでんの?」
「H、その辺で」
「頭悪いから〇んでもわかんねぇんじゃねぇ?」
「ちっと離して?」
「やめろってY」
「そこまで知能低くてよく生きてられん、」
「うるせぇよおめぇは!!」
「何だよ?離せよ!」
「おぅ待て!空蝉なぁ、お前止めに入ってキれてどうすんだよ?」

もう一人に私がたしなめられた所で係長が来て「お前ら何やってんだ?」と4人で怒られるはめになった。
係長が怒声をあげ始めるとHは「俺、怒られる筋合いないんすけど。証拠も無しに疑われた上に何で怒られてるんすか?俺?」と言って、上司の忍耐力を試そうとしていたが、係長はあっさり「あ!じゃいいやお前。H、行っていいよ」とHを行かせた。

その後係長は怒声を上げる事もなく、小さな声で私たちに「もういいから、お前らやめとけ。な?」と言った。

確かに、証拠は無かった。
”絶対〇す!”と息巻いていたYがその後も証拠を探してたようだが、見つからなかった。

それからほどなくして、Hは会社を辞めた。

だがこの一件は、別の所で別の問題に知らぬ間に発展していた。

なぜか管理部門で、冒頭の彼女が報告書を失くしたという事にいつの間にかなっていた。
その事を知ってから、たまたま休憩室で彼女に会った時に私は言った。

『あれ、違うでしょ?どうみたってHが怪しいじゃん?』
彼女は寂しそうな笑顔を浮かべた。
『いいんです、しょうがないんです』
『いや良くないよ。言おうか俺?Wさんに』
管理部門のリーダーで私にとって頼れる女性の先輩でもあるWさんとは
仲が良かった。

すると彼女は懇願するように言った。
『ありがとうございます。でもほんとにいいんです。Hさんがどうとかもうそういう話じゃなくなってるんですよ。大丈夫ですから、私は』

考えてみれば、エンジニア部門の内情にも詳しいWさんなら、
Hの事も知っている。
私が言うまでもなくわかっているはずだ。
彼女の様子から何となく察せられるものがあった。

『・・・何か込み入っってるわけだ』
『そうなんですよ』
と珍しく、おどけたように照れを交えた笑いをみせた後、寂しそうな笑みを浮かべて『色々あるんですよ』と呟くように彼女は言った。

『大人って大変だよな・・・俺子供だからさぁ』
すると6,7歳年下だった彼女は、私の毒にも薬にもならないこのクソつまらない返しに、愛想笑いを向けてくれた。

その約1か月後、今度は彼女が退職した。
今どうしているかは、知らない。

書いておいて何だが、”ひどい職場だ”と自分でも思う。
当時も”ひどい”と思ってはいたが、悪い事ばかりでも無かったので、日常の一コマとして日々の忙しさにまぎらせてやり過ごすだけだったこの一件を、その後何回も酸化したコーヒーみたいな苦味とともに振り返る事になるとは、思いもしなかった。

今でも時々この件を思い出す。
別にその女性に何等かの想いがあったわけでもないし、仕事上普通に関わりのある人達の一人だった。

私が知る限り、裏で何かを画策するとか、自分のミスを隠すとかそういう事はまず考えられない、仕事に対しても職場の人間関係に対しても、真面目で誠実な人だった。

仕事上普通に関わりのあるその人が、普通とは言えない状況で
辞めていった。
報告書は結局最後まで出てこなかった。
「あいつがどこかに捨てたに決まってるって」とYが言い、私も「そうだろうな多分」と同意した。

休憩室で彼女と話した後に、Wさんから色々聞いたところ、よその部署の人間が、おいそれと関われるような状況では無かった。

ここでその詳細をつまびらかにしても大して意味は無いと思われる。
こんなにも理不尽でひどい話もそうそうないだろう、という話が。
世の中には掃いて捨てるほどある。

何回思い出しても、あの時私にできる事など何もなかったのだ、という所にしか行きつかない。
わかっていて何かの折にふと思い出す。
思い出しては脱力して、また復活する、という事を繰り返してきた。

ももまろさんの苦手な先輩が切ってくれた啖呵のような、“希望の光”があれば、あの時彼女は退職する事は無かったんだろうか?
(私にとって先輩の啖呵は“希望の光”に感じられたという事であって、ももまろさんにとってそれが“希望の光”だったかどうかはわからない)

そう思った時、(本当にできる事は何もなかったんだろうか?)と思った。

他部署の人間関係に直接関わっていけば、余計に事態を悪化させる事にしかならないのが関の山だろう。
直接それに関わるとか、報告書の件を徹底して調べてみるとかではなく、全く関係ないようにみえて、どこかで繋がっていくような、誰にも気づかれずに深く潜った所で何かやれる事があったのではなかろうか。

例えばHのような人物が引き起こすと予想される問題について、本人にそれとわからないように(本人が自覚して自分で改善していけるならそれが一番いいのだが)いつでも対処できるよう前もって手を打っておくとか。
後のまつりのタラレバに過ぎないが、それもやれる事の一つには違いない。

そうしてみると、予めやれただろうという事はいくつか浮かぶ。そのいくつか”だけ”を見れば、仕事や日常に追われてる中(何でそんな事俺がせにゃならんの?)とも思う。

仕事や日常が、自分一人だけで成り立っているわけでもないし、Hの為にそれをするのではなく、自分にとって大事だと思える人の益となる事に繋がる可能性がある・・・としても。

現実として、そんな遠回りな事の為に時間と手間をさけるだろうか?
それによって“希望の光”も生まれなければ、結局彼女が退職してしまうのなら、やる意味なくね?

そうも思う。

仕事や日常に追われる事に時間と手間をさいても、大事な人の益に繋がる可能性がある事に、さく時間と手間はない。
それは、それが可能性に過ぎないからだろう。
追われている仕事や日常は確実に“ある”が、可能性はあくまで“そうなるかも知れないけどならないかも知れない”。

そして仕事や日常は、時に益をもたらしてくれる。
“可能性”が大事な人に益をもたらすかも知れない不確実さよりも、仕事や日常に時間と手間をさいていれば、毎度毎度でなくともいつか必ず益をもたらす(大事な人にもHのような奴にも、両方に)という確実さの方に、時間と手間が一方的にかけられていくのは自然の流れだ。

だが。

彼女が退職してしまった事に対して、彼女が普通ではない状況に置かれていた事に対して、少なくとも“できる事は何も無かった”わけではない

ももまろさんの記事を拝読してからしばらく考えていて、そう思い至った。

全ては等しく“言い訳”に過ぎない。

仕事や日常は確実に“ある”という事も。
“可能性”はそうなるかも知れないしならないかも知れないという事も。
確実に“ある”仕事や日常に時間と手間をさいていれば、いつか必ず皆に益をもたらすという事も。
だから大事な人の益に繋がるかも知れない“可能性”より確実な、昨日から続く日常と仕事だけに時間と手間をかけ、”可能性”は後回しという名の置き去りになる、という事も。
それが自然の流れだし、そうしないと日々やってられん、という事も。
だから、“できる事は何も無かったのだ”という事も。

人生とは、長い長い言い訳なのだろうか?
決して果たされる事のない何かを呪うように。
終わりのない言い訳を続けていくしかないんだろうか?

それもまた真なりとは思うが、今はとりあえずゴメンこうむっておきたい。
言い訳でもその言い訳の内容がおもしろければ、それも悪く無いと思えるのだが、私のこの思い出に対する言い訳におもしろさは一つもない。

できる範囲で良いから。
まずは深く潜った所でやれる事、普段何気なくやっている事を、誰かの何かの益になる可能性と少しでも結びつけられるのなら、いつも何気なくやってしまうその事を、益に繋がるかもしれないという可能性の方に少し舵を切れるよう、意識して。

それを日常の中で、既にいつもやっている事として無意識にやれるように。
少しづつでも。

唐突だが、全くnoteの記事って一期一会になるんだな、と思う。
ももまろさんの記事が、これまでこの苦い思い出が帯びていた色を変えてくれた。トライアンドエラーを、多分しばらく(もしかしたら死ぬまで)続ける事になるのだろうが。

そんな気がするだけかも知れないが。

少しだけ、日常が変わった。

今頃彼女はこの時の事などすっかり忘れ、あれから新天地で快適に過ごせるようになったその延長線上の日常の中で、お愛想でない笑顔を浮かべていてくれたらと、今、心からそう思える。

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