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過去に言われて嫌だったことを検証する

水性逆行のせいか、過去に言われて「嫌だったこと」がクレンジングの時にポロポロ取れる角質みたいにどんどん出てきている。

おもしろいので記録してみよう。憎しみは長いこと持っていたら大変なので、手放す良い機会かもしれない。

過去、痛みを受けた時の、その言葉(あるいは言われなかったこと)の何に痛みを覚えたのか、感情とニーズにフォーカスしてクリアリングするのは大事だ。特に「何も言い返せなかった」事案については、その時の感情が体のどこかに凝り固まっていて、生命本来の体の動きを邪魔している

何も言い返せなかった時に、心の中に、冷静な自分と、素直に感情を感じていた自分が存在して、前者がTPOを弁えすぎていたために、後者の声や感じたことがなかったことになってしまうことがあるけど、感情は正確無比なことこの上ないセンサーなので、そのように無視することが積み重なると確実に病む。なるべく溜め込まないこと。

でも、同じことを言われたとしても、全く感情がおこらなかったり、全然違うことを感じる人もいるのだから、自分に生じた感情の処理は自分の責任だ。言われたことに対してどう反応したのかも。

自分はこの梅雨の時期の雷雨とともに過去嫌だったことが思い出されて、嵐とともに叫んだりして出して終わったら結構スッキリしている。

その時本当は感じていたはずの、小さな怒りが、数ヶ月後、数年後にやってくる。いくら何でも遅すぎると思うが、そういうレベルで感情を溜め込んでいる。あんまり溜め込まなくなったとはいえ、まだまだあってびっくりだ。

普段から、後者の「感じていた自分」の声をちゃんと拾うのが大事だと思う。

ああ、あの時自分は意外にというかかなり怒っていたんだな、皮肉を理解できてなかったのかな。すぐに怒ればよかった。自分や侮辱された友達の名誉を守るために立ち上がればよかった。と、思い返して後悔することが結構ある。

こういう感情レスポンスがやたらと遅い人(絵を描く人に結構多目)や自分が何を感じてるかよくわかってない人は、ダンスをすると、結構レスポンスの速度や感度が上がる。とにかく感じて出すこと。動くこと。

そういう意味では子どもは先生だ。一瞬たりともジッとしてないし、感情をちゃんと出してる。病みとは対極の存在。

で、痛みを感じた言葉に対して、コネプラボードなどを使って自分の感情とニーズ、さらに相手の感情とニーズを当てはめてみると、意外に共通してることも多くて、ああ、私に痛みを与えた言葉を言ったあの人は、過去にどこかで同じような痛みを受けたのかもしれないなと、その人の状況まで思いが至るようになる。

そうなったらそろそろその痛みの輪廻の循環は終わらせることができるかもしれない。成仏してもらって何かおいしいものを食べよう。おしまい








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