見出し画像

祟りと試練と困難

三日間の山小屋バイトを終えて
点穴を空けながら御嶽山を下山していたら、
お爺さんがゆっくり上がってきて、
「もう年ですなぁ。身体が言うことを聞かなくて」
と言っていた。
格好は、割と新しい登山服を身につけていて、品が良い感じだった。
「御嶽山の祟りを受けたから登っているんですよ」
というので、
「祟り??なんでまた??」
と聞くと、2014年の御嶽山の噴火の日に穂高連峰を登っていて、
山から乗鞍や御嶽山の写真を撮って喜んでいたらしい。

そして、その後急に脳梗塞になって
右側が半身麻痺になってしまったそうだ。
3年かかってリハビリしてやっと動けるようになって、
山にも登れるようになったけど、前のようには動かない。
御嶽山の噴火では大勢の人が亡くなったから、
写真を撮って浮かれていた自分にバチが当たったと思ったそうだ。

乗鞍にも登って、今日初めて御嶽山に登るらしい。
「本当はロープウェイから八号目まで1時間くらいですよね。
 1時間半もかかってしまった。」
自分の体が前の登山ペースに戻ってないことに
お爺さんは焦っていた様子だった。
「ご自分のペースでゆっくり行かれたらいいと思いますよ。
 私も道を直しながら上がったら2時間位かかりますし。」
私がそういうと、おじさんの表情はハッとした後、少し柔らかくなった。
多分、道を直しながら登山するというのんびりすぎる登り方を
知らなかったのだろう。私も高校生の時は山は登るだけだったし、
ペースも気にしてた。
今は枝を拾いながら、ぬかるみのあるところの上の方の斜面変換点に
マイナス貫通ドライバーで点穴をあけて、
枝をさしたり、ぼさ置きをしながら登り降りしている。

「御嶽山には絶対に行かなければと思っていたんです。
 自分のペースでゆっくり行くことにします。」
とお爺さんは言って私たちは別れた。

今日の朝日は最高に綺麗だった。
今日のぼる人はきっとラッキーで、
神様から祝福を受けているに違いない
と思うくらいの天気なのに。

“祟りなんてないですよ。
おやまは喜んでいますよ。
きっとあなたが生きてるだけでうれしいし、
山に来てくれて喜んでいますよ。”

そう言いたかったけど、
「今日はとてもお天気がいいです。ゆっくりご自分のペースで
 行かれてください」
とだけ言った。

多分祟りではないと周りの人が言っても、
お爺さんにとってはそうなのだろう。
たくさんの人が亡くなった日に、
写真を撮って喜んでいた自分を自分で許せなかったのかな。

もちろん脳梗塞にならないにこしたことはないけど、
いずれにしてもリハビリを3年も頑張って、
念願の御嶽山にやっとの思いで登ろうとしてるお爺さんは
すごく晴れ晴れとした表情をしていた。

御嶽山を開いた二人のお坊さんも、
それぞれ奥さんがいたのに、
なんだか辛いことがあって、
離縁してまで、わざわざ開山のために
命をかけている。

何かしらの困難を抱えても、
それでも山に登る。
その時に何かわかるのかもしれない。

帰りのロープウェイ入り口の道を車で下って行くと、
御嶽山が一番よく見えるところにソーラーパネルが敷き詰められている。


友達が数年前に頑張って反対運動をしていたけど、
パネルは建てられてしまった。
今友人たちは田ノ原口の方の湿地の保全を
自分たちの手を動かしてやってている。

今日のNHKで朝、98歳の江崎玲於奈さんがハキハキインタビューに
答えていた。

戦後、東京は焼け野原になって、教えてくれる先生もいなかった。
研究のテーマを自分で探さないといけないし、
何もかも自分でやらないといけなかった。
その環境が逆に創造性を生み、独創的な研究をすることができた。
お金が儲かるから、役に立つからというテーマで研究をしがちだが、
創造性を大事にしてほしい。と言っていた。

東京も焼け野原にならないほうがよかったし、
御嶽山も噴火して沢山の方が亡くならない方がよかったし、
東日本大震災で沢山の人が亡くならない方がよかったし
コロナでいろんな人に会えなくならない方がよかったかもだけど
困難な状況になった時に人はがんばったり、
創造性を発揮することがあるのかもしれない。
そんなことを思った一日だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?