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2021年、夏の土用中に北海道に行ったよ 8/3-8/4

真っ暗な畑の小屋で眠りについた後、朝5時ごろに畑の持ち主のいもやさんがビニールハウスの扉を開けにきたのですが、私は昨日の運転疲れで起きて来られず、結局7時過ぎごろ起きました。畑と小屋はこんな感じです。めっちゃ楽しい!!テンション上がる!

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ちなみに、畑のトイレはコンポストトイレで、大と小が分かれるタイプなので臭いもなく、快適でした!

しかし、電気、ガス、水道がないので、コーヒーを飲みたいと思っても、七輪で火をつけることができませんでした。無力すぎる36歳!!非力!!

自分のサバイバル能力のなさを噛み締めた後、泊めてもらったお礼に5反のあずき畑の草刈りを少ししましたが、すぐに日が高くなってきて、生命の危機を感じました。北海道暑いぞ??おかしいな??

飲み物を買わないと死ぬと思い、わずかに電力が残る携帯で、噂のセイコーマートと、ホームセンターを探し、飲み物とソーラーLEDランタンを買いました。

あとすぐ近くの野菜の駅で町村牧場のソフトクリーム食べた。

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戻ってきたら、H大生のYちゃんが現れ、Nさんもあらわれ色々話をしたり、ソーラークッカーを試して遊んでました。

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昼過ぎになり、いもやさんが現れ、「ブルーベリー狩りに行かない?」と言われたので「行く〜!」となって春日井農園という農園でブルーベリーをしこたま取りました。7月末から8月初旬にかけてしかとれないそうです。今年は北海道は雨が降らなくて、旱魃レベルでやばいらしい!でもブルーベリーはたくさんなってた。

帰りにプチ観光で町村牧場に行ってお土産も買いました。

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帰ってきて、あらためていもやさんに七輪の火のおこし方を習い、Yちゃんはお米を炊き、私は畑のラタトゥユを作りました!バジルとかなすとか畑から収穫してホイホイ入れていくの、めっちゃたのし〜〜!!野外料理たのし〜〜!!なんか、野菜と米だけなんだけど、めっちゃ美味しかった!!畑料理最高。畑キャンプ料理に目覚めた。

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念願の野良コーヒーもできて大満足でした!

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いもやさんは、畑もできて料理もできて火おこしもできて焼き芋屋をしてて舞台もやるスーパーウーマンなのですが、まだパートナーがいないそうです。もったいなすぎる!!めっちゃ頼りになるのに!!もったいない!!誰かいないのか!!

 長野の南木曽の農園でもあったけど、人知れず農園で働く40代の仙人みたいな女性がいるんだよね。なんでもできてめっちゃ悟ってる系の、、、もしかしてパートナー必要ないのかも??いや。どうなんだ??もったいなあああい!!

料理をしてたらちょうどいいところにMinaさんが現れ、一緒にご飯を食べたらおもむろにギターを取り出して歌ってた。めっちゃ歌うまいやん。リトリートではご飯をご馳走してもらう側だったので、畑ご飯を振る舞えて良かった!

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焚き火臭くなったので、夜はいもやさんに隣の北村温泉というところに連れて行ってもらいました。これで温泉3種類目だ〜 やった〜

3日目の夜は3人で小屋で寝て、私は4日の夜はイクラちゃんが紹介してくれた知里幸恵さんの劇を赤井川村まで見に行くことにしました。イクラちゃんの知り合いの方が宿泊業をされてるので、泊まる場所もトントン拍子に決まりました。

3日目の朝は、いもやさんが朝バイトに出かけ、残された私とYちゃんで、いもやさんが帰ってきた時に食べれる朝ごはんを作ろうということになりました。メニューはアスパラのチーズリゾットと、スベリヒユとブラジルナッツ納豆、畑のカブのピクルス、畑のナスとアカザの味噌汁です。Yちゃんがクローバーの花とか食べれる野草や野菜を畑から持ってきて入れるのがめっちゃ楽しいし美味しかった。

上野で買ったナツメはYちゃんがお気に入りだったので、ナツメとLEDランタンをお礼に置いていきました☺️

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10時に畑を出発し、午前中は江別郷土資料館とコインランドリー、市役所でイラストマップをゲットしました。このイラストマップは野菜の駅篠津で貼っていたのを見たのですが、すごく細かいし、色々載っててすごいなと思いました。茅ヶ崎は25万人くらいの都市なのだけど、流石に広いので、ここまで細かい地図を作るのは大変そうだなあ。イラストで。

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江別の郷土資料館はすごく良かったです。今回旅のテーマとして一つ浮かび上がっていたのが、「アイヌの人たちの鎮魂」でした。もともとアイヌ刺繍をやるトットさんという、二風谷のアシリ・レラさんとも仲良しの女性が友達だったのですが、その人が「レラさんは日本中を回って、戦争で処刑されたり亡くなったアイヌ・蝦夷の人たちの鎮魂をガチでやっている」ということを聞いていたので、そのような歴史背景も少なからず知ることになるだろうなと思っていました。

リトリートで、岩手からも数名参加していて、一人はヒタカミという、アテルイがいた場所から来た人もいました。その人によると、物部氏など、天孫族よりも前に日本にきた渡来人は、ある程度アイヌや蝦夷の人たちと共存していたそうで、天孫族がやってきたときに、土人として迫害され始めたそうです。畑の小屋でアテルイの本があって、なんとなく開いて読みました。

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アイヌや蝦夷の人たちは、もともと誰が誰より優れているとか、劣っているとか、順位付をする習慣がなく、自然に感謝と祈りを捧げて暮らしていた。アメリカ先住民族を追いやったのと全く似たような構造で蝦夷の人たちが戦争で負けていく様子が描かれていました。


郷土資料館では、江部式土器がズラーっと並んでいて、どうやらこの江別という土地は、縄文文化の一つ、江別文化発祥の土地だったようです。川の下流の方は肥沃な土地になり、暮らしやすいみたいですね。

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旅から帰ってきて調べましたが、樺太アイヌの人たちがこの江別の対雁という土地に連れてこられて、コレラで300人ほど亡くなったそうです。たくさんの人が亡くなっているから、やっぱり鎮魂が必要なんだと思う。

続きます。






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