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玉ねぎを剥いていくと中身がなくなる現象、と自分のニーズや感情と向き合うこと(爆弾処理)

感情を表す語彙を圧倒的に、訓練していないから、いざそういう気持ちのことを話すときに圧倒的に会話がなくなることがたまにある。

"It's easy to take off your clothes and have sex; people do it all the time,
but opening up your soul to someone, letting them into your
 spirit, thoughts, fears, future, hopes,
and dreams...
that's being naked."

これはなんか昔の記事で見つけた言葉。英語だけどもとてもおもしろい。真の変態性を表している気がする。春は露出狂がよくでるけど、心の露出狂というのはいるのかな。

この人は一体何を感じているのかな?という時に、聞いても聞いても何も出てこない。さみしい、だとか、モテたい、だとか、大それたことでなくてもいいと思うけど。玉ねぎの皮を剥いていくと中身が何もなくなってしまうかのような不安を覚える。一体何がその人を形作っているのだろう。

人生の中でなるべく誰とでも苦手ぶらずに話そうと決めてから、いろんな人と会話を試みている。しかし、やはり会話がしにくい相手というのはいる。

子どもと話している時はそのような苦労はあまりない。彼らはさみしいとか楽しいとか大好きとか大嫌いとか簡単にいうし、感情のままに動いているのでわかりやすい。打てば響く感じがする。

自分は小学校低学年までは、男の子とよく遊んでいた。どちらかというとすごく男の子っぽい感じの子だった。でも今は、「ギラギラ」した「ビジネスっぽい」「男性」と何を話したらいいかさっぱりわからない。「男っぽさ」を前面に出されると萎える。何に萎えているのかわからないけど萎える。剥いても剥いてもnakedな魂がなかなか出てこないからかもしれない。もはやどっかに行ってしまったのだろうか。自分はどちらかというと柔らかい部分を大切にしている人の方が話しやすい。必然的にそれは女性の人になるのだけれども、ちゃんと男の人とも話せるようになった方が人間としては完全体になれる気がする。

女の人とそのようなことについて話している時に、「やっぱりね、男の人にはカッコつけさせてあげるのがいいと思うの。カッコつけようとしてるのってカワイイじゃない?」

「男の人は弱いところは、本当に親しい人の前じゃないと出せないんだよ」

と言っていた。

そのようなものなのかと思って聞いていたけれども、非常に生きにくそうだなと思った。だって弱さを見せたら親しくならないといけないって非常に面倒じゃないかな?いきなり触ったりしてもセクハラって訴えられるし、(子どもだったらあんまりそれはないけど)感情を伝える語彙や筋力を鍛えた方が生きやすくなるのではないか。あんまり親しくない人の前では無防備になれないのだろうか。それは結構生きにくいような気がする。

しかし、自分の感情やニーズを表す語彙やその筋力があるかというと全然ない。特に家族とか親しい間の人、身近な人に対して感情をぶつけて爆発させるくせがある。大体土用の時期は肝臓がイライラしてるので些細なことで爆発する。

今日も早く車検が切れた車を処分しないのを催促されてブチギレした。後から振り返ってみると、私は今日めっちゃ重い自分のでないCDの箱を4箱くらい掃除のために移動したのであった。自分なりに整理整頓のニーズがあり、綺麗なさっぱりとした空間で暮らしたいという希望がありながら、優先順位がわからなくてパラパラやっていたら他のやらないといけないことも指摘されてブチ切れた。宿題やろうとして他のことをして、指摘されて「今やろうとしてたんだよ!」と言って怒る子どもみたいな感じ。

まあ爆発してしまったらしまったで仕方がないので、後からどのようなニーズがあったのかとか、心の動きの構造をなぞって再確認する。単に体の調子が悪いからイライラしてる時もあるし、大切にしたかったことができなかったから怒る場合もある。大抵図星のことを指摘されると怒る。そうして「ああこれを大切にしたかったんだね〜 そこが満たされなかったのね〜」みたいなことをしみじみ感じて、次回は爆発しないように、処理するか爆弾にならないうちに自分のトリートメントをする。自分もまだまだ訓練が足りない。





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