見出し画像

真夏のニース、メンコンの思い出

この記事の続きのような、そうじゃないような話。

自分を諦めないために(?)実家に置き去りにしていた4大コンチェルトの楽譜は無事回収して、最近は気が向いた時に引っ張り出して弾いている。
数日前はメンデルスゾーンのコンチェルト、略してメンコンの2楽章を音出ししてみた。
この楽章には忘れられない思い出がある。

留学時代、ある年のバカンスに、友人に誘われてニースの夏期講習に参加した。私がついた先生はとても気さくながらレッスンはとても的確、たまに弾いてくれるお手本は極上の演奏で毎回うっとりしていた。不真面目な私にしては珍しく自分の練習もしながらなるべく他の受講生のレッスンも聴講するようにしていた。
ある日レッスンの聴講に行ったら、中学生か高校生くらいのフランス人の男の子が受講生だった。その子のレッスン曲がメンコンの2楽章だった。私は1楽章を持ってきていたのでなおさらちゃんと聞いておこうとワクワクしながら曲の出だしを聴き始めた。
その瞬間、衝撃が走った。
なんて、なんて、なんて純真無垢な演奏なんだろう。
日本のエリート意識剥き出しのコンクール少年少女みたいに背伸びしたり上手ぶったりする振る舞いは一切なく、本当に『普通に』弾いているだけなのに、時折見せる未熟さ、拙ささえ曲を彩る魅力になっている。いい意味で、絶妙な『青さ』だったのだ。
しばらく弾いたところで先生が彼の演奏を止めて、いくつかアドバイスを話して、今度は先生がお手本を弾いた。先述した通り、私は先生の演奏も何を弾いてもとても素敵だと思っていた。だがこの時ばかりは先生の演奏すら、当然受講生の彼より完成されていて素敵なのはわかるのだけど大人のあざとさを感じてしまった。自分がそう感じている事もまた衝撃だった。
彼のレッスンが終わった後、一緒に参加した友人に会うなり「未完成の!切なさが!青い果実があああああーーー涙」などと意味不明の事をまくし立てて友人を困惑させた記憶がある。

某名門音楽学校に在学中、学内の人たちの演奏は嫌というほど聴いてきたけれど、あんなに心に刺さる演奏はなかった。
『私なんかより全然上手い…やっぱ私なんか全然ダメ…』とはしょっちゅう思ってたけど、その一方心のどこかで『でも私がなりたい、やりたい演奏はコレジャナイ』とも感じていた。
なんというか、一生懸命練習して『一生懸命練習しました』ということを発表しているだけにも思えたのだ。(今となってはまずはその段階に達してからモノを言えとも思うけど)
フランスに行ってからの方が、レベルは様々だけれども味わい深い演奏に出会う機会は多かった。その事が音楽を学ぶ事に対する価値観を変えてくれたし、視野を広げてくれたと思う。
その中でもあの彼は別格だった。名前も確認できなかったけど、今頃どうしているのだろう。時間も場所も遠く離れた令和の日本のボロ家の6畳間であの夏のニースに思いを馳せながら、最後のC音を弾き終えた。


エネルギー欲しい方いらっしゃいませんか?売るほどあります!(≧∇≦)