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悲観論と楽観論のあいだにある未来

先週の木曜日に、副業を開始してみた。まだ売上としては3000円ちょっと。でも、自分でいろいろ工夫しながら、作業を進めていくのはなかなか楽しいものである。

ここ数年は、堀江貴文らが、みんな会社を辞めて起業してしまえばいい、としきりに言っているが、少なくとも私には無理だといまのところ考えている。彼らが言うように「とにかく始めてみて、やりながら考えればいい」のかもしれないが、その「とにかく始める」というところが、個人的に全く実感が湧かない。たぶん起業というのはシンプルなもので、プロダクトを作ってそれを売るだけなのだと思うが、そもそも「プロダクトを作る」というところが、私にとってはかなりハードルが高い。これならやれる!というイメージをもつことが全くできないのだ。

それに、「10年後にはこの仕事はもう無意味になる」とか「国家はもうオワコンだし義務教育も全部無駄」とか「AIがあらゆる仕事を奪うからいまのうちに起業して社会の中でポジションを取らないとヤバい」などという類の、適度に説得力を持つ反社会的な"煽り"には、「世の中はどこまでも狂っているが、私が描くビジョンだけがこの世で苦しむ弱者たちを救うだろう」という全世界の宗教教義に通底するロジックがぎっしり詰まっており、それは社会的弱者に希望を与えて信者を集めるための宗教的ドグマである、と考えることもできる。だから、彼らが装いを新たにした宗教ビジネスをやっているという可能性は否定できないのだ。じっさい、彼らが競って開設しているオンラインサロンは、信者を募る新興宗教団体のイメージにぴったり当てはまる。仮にそうしたサロンが参加者を実際にインスパイアし良い結果をもたらしたとしても。

確かに、会社員を続けていて、こんな人生で良いのかな、などと感じたことはある。しかしよく考えてみれば、私の今の職場は、友達になりたいな、という人が周りにほとんどいない、という点を除けば、残業もないし、福利厚生も充実しているし、お給料もまあまあだし、自分の好きな作業(エンジニアのお仕事)をやれているので、特にどうしても辞めたいというわけでもない。ちきりんが著書でよく述べているように、自分に設定するハードルは低めにして、ゆるく生きていけばいいのかもしれない。

かつて、村上龍が『半島を出よ』という小説を出版したとき、彼はNHKのニュースに生出演してインタビューを受けた。私はたまたまそのニュースを見ていたのだが、彼の次のような言葉がいまでも強く印象に残っている。それは、「未来はいつも、最悪の予想と最高の予想の、その中間にある」というものだ。

起業とか、そういうことを自分の人生に当てはめて考えたときに、脳裏をよぎるのは村上龍のあの言葉だった。自分の将来というものは、このままだと最悪なものになる、というわけでもないし、起業して自ら自分の仕事を作り出し金持ちになり、自由な人生を生きる、というような未来が待っているわけでもない。その中間に自分の未来がある。彼の言葉を自分の人生に横展開すれば、そんな結論になるだろう。そして、もう一歩踏み込んで考えれば、この横展開の先には、「何か少しでも新しいことに取り組んでみれば、大成功を納めることはないとしても、ほんの少しのポジティブな変化を、未来に及ぼすことができる」というビジョンが見えるだろう。

というわけで、その第一歩として、私はささやかな副業を始めてみたのであった。まだたったの4日しか経っていないけれども。実際のところ、夜間警備員のバイトをするとか、コンビニで土日バイトするというのも、月4、5万の収入を得る、立派な副業だと思う。続ければ年5、60万の収入になるし、それを自己投資に使ってキャリアアップやスキルアップにつなげることだってできるはずだ。だから、このような選択肢だってアリなのだ。もう少し戦略的に、会社員としての収入のキャッシュフローを確保しつつ、もう一つのキャリアを身につけるためにまずはそのキャリアに関連するバイトから始めてみる、ということができたら理想的だ。

そういえば、エンジニアとしてキャリアをスタートしたときは、毎日が刺激的で、日々、知識や経験を吸収できているな、という感覚が確かにあった。でも、あれから年月が経って、受ける刺激の強度は目に見えて弱くなってきている。仕事は仕事として、割り切ってしまっていて、他に何かしてみたいな、というような気持ちなのだ。ふたたびフレッシュな気持ちになって、新しいキャリアを学ぶ、ということも、自分には必要なのかもしれない。

さて、堀江貴文やその周辺の人々の話に戻ると、確かに彼らが個人として傑出した人材であることは間違いない。そして彼らがどんな本を読み、どう行動し、何を考えているかといった話題は、キャッチアップする価値のある情報だと思う。しかしそうした一部の優秀な人たちが、ここ数年、ある種の新興宗教団体を作るゲームに興じている、と感じているのは私だけだろうか。。私たちがやるべきことは、彼らが作った宗教団体に参加することではなく、彼らの言動に学びながら、自分独自の宗教を確立することなのかもしれない。なぜなら私たちを待っている未来は、伝統的な宗教的価値観が復活した倒錯的社会でもなく、新興宗教のビジョンが描き出す革新的な社会でもなく、きっとその中間にあるはずだから。



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