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宇宙にやはり必要だったもの。2024年の「2202」の話

「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」での最後の作業は、最終話のエンディングで、島が握る主操縦桿の作画でした。デザイン、メカニック作画監督、デザインも含めた作画…と、いくつかの項目での、迷いも試行錯誤もあった航海の最後に届いた原画の中の島は、とても晴れやかな顔をしていて。この主操縦桿が握られる日がそう遠くない未来であるように。そんな祈りを込めて作業をしたのをおぼえています。

BS11とTOKYO MXで「2202」の第一話と第四話が放送されていたこの2週間は、X?ツイッター?で「2202」についての話をしていました。これまでは「2199」から「2202」になって変わった部分への戸惑いに根ざした、わりと主観的な話が中心だったのですが、今回はもっと客観的に、両方のシリーズに「乗艦」してきたからこそ見えてくる、いままできちんと言葉にできていなかった部分をテーマに話をしていこうと、第一話を再見したあと、思いました。それまでの2週間、同じように「2199」のことを現在の観点から話をしたとき、これまで伝えられていなかったことをかたちにできた感触があったので。

自分自身の迷いや試行錯誤のことはさておいて、いち作品として、「2202」と向き合ってみれば、作画のように3DCGを使う演出、「2199」より圧倒的に時間がない中でも見ごたえのある映像にする工夫、複雑化したシナリオに寄り添う、秒で心を揺さぶる心情演出など、映像が進むたびに、思い返すたびに、羽原監督のディレクションのひとつひとつが胸の深いところに入ってきて。気がつけば、わざわざテーマとして掲げるまでもなく、これまでと違う、もうただのいちファンとして「2202」をみて、話をしていました。

この2週間「2202」のことを考えるのがほんとうに楽しくて。長いこと、真田さんから艦長代理をまかされてもモヤる古代、みたいな状態だった心がゆるやかに解きほぐれてゆくのを感じていました。

そもそも、21世紀のはじめごろ、アニメの仕事を始める前は、手打ちのタグで羽原さんのファンサイトや掲示板をつくって、レイナちゃんやロム兄さんのイラストを描いたり、監督作品の感想を毎週放送後にUPしていた自分が、羽原さんが長年大好きだった「ヤマト」に本気で取り組んでいる「2202」を好きにならずにいられるわけがなかったのでした。

迷い、試行錯誤していた気持ちから目をそらすことは何か違うと感じていたから、あの頃はその思いにもとづいた話ばかりを投稿していたのだし、どんなに時間が経っても、そのときの自分が消えるわけではないし、投稿だって残っている。ただ、今は、そんな気持ちよりも遥かに大きな、あたたかなものも、同時にここにある。流行歌みたいに、過去を乗り越え、生まれ変わったりはしていない、白黒がハッキリつかない、白と黒の両方がある心のままでも、別にいい。それが「2199」「2202」と続けて放送していた1ヶ月を経て、たどり着いた今の気持ちです。

さて。そう遠くない未来であるように、なんて祈りを込めて作画した主操縦桿でしたが、遠くないどころか、もう「2202」の最終話がTV放送される前日には「2205」の制作が発表に。あぁ自分なぞの知らないところで企画は動いているのね、これからはいちファンとしてシリーズを応援していこう。と、新たなる旅立ちを決意したものでした。

いちファンとして。その決意はある意味では果たせなくなってしまうのですが…それはまた、別の話。

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