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本は命の恩人

はじめに

見てくださって、ありがとうございます。
えだまめです。

この記事では、私が本が大好きになった理由とも言える、本との出会いを綴っていきたいと思います。

P.S.
「本との出会い」までが長いので、飛ばして読んでくださって、大丈夫です。最初から読みたいよ、って方はそのまま読んでくださって大丈夫です。

私の大好きな本へ。
いつも楽しませてくれて、ありがとう。

今日は、私、えだまめから感謝を述べたいと思います。

えだまめの幼少期

本との出会いを話す前に、まずは私の幼少期から説明したいと思います。

私、えだまめは今は「少し大人しいような見た目で、初対面の人に話しかけないような、教室の隅っこにいる人」です。後ろの方で、本を読んだり、人間観察をしたり、1人もしくは友達との2人でいたり。話を振られたら応じるけど、それだけ。友達関係は狭く、深いタイプ。大学2年になった今でも、そんな感じです。

でも、そうなったのは、小学生高学年ぐらい。小学生低学年の頃は違いました。

休み時間になると、ダッシュで廊下を走り(走るのはダメです)、職員室からボールを持ってきて、教室に戻り。
「なぁ、みんな!ドッジ(ボール)、やらん!?」と、クラスメイトに声をかけていました。クラスの中心にいる男子たちに積極的に絡みに行き、一緒になって遊んでいました。
(ちなみに、私は女性です)

今とは全然違う。
何でこうなっちゃんでしょうか。

2度と戻りたくない

2年

小学生2年生の時に、始まりました。その日は、席替えをした日でした。給食の時間は4人班で机をくっつけて食べるルールがあったのですが、隣の席の男子が「えだまめの顔を見て、給食食べると不味くなる」「席をくっつけたくない」と言い出したのです。

その席の時はずっと、席を離されました。給食の時だけじゃなくて、授業の時も。

それで終わればよかった。「えだまめ(本当は本名が入ります)には、えだまめ菌っていうのが付いてるんだよ!だから、近づいたら感染するから、みんな、近づくなー!!」と言われ始めたのです。私はすぐさま孤立しました。誰も、話かけてくれない。私がいつも通り遊びに誘っても、私を無視してみんなで遊び始める。給食も「いただきます!」とみんなが言って食べ始めても、私のところには給食は無かった。

その時に私は悟ったのです。
もう、今までとは違うんだ。

今までも、ゆるくはあったのです。
帰り道、一緒に帰っている子たちがランドセルを押し付けてきて、その子たちは走って帰ってしまう。私はその子たちのランドセルと自分のランドセルを背負って、上り坂を頑張って走ってみんなに追いつこうとする。追いつけなければ、明日も持たなきゃいけない。明日も置いていかれる。
でも、教室ではみんな仲良くしてくれる。

帰り道でも教室でもついていけない私は、ひとりになってしまったのです。

3年•4年

えだまめ菌と呼ばれることもなくなり、3年生になった私は安心しました。もう、大丈夫だ。

でも、そんなことは無かった。私は3年生、4年生と同じクラスになった、別の男子4人組にいじめられるようになるのです。

変なあだ名をつけられたり、陰口を言われたり、物を隠されたり。

教科書は無事だけど、筆記用具が無いからノートを取ることも出来ない。それで怒られるというのも、よくありました。

本との出会い

その時まで、本を読むのは嫌いでした。文字ばっかりだし、退屈だし、どこまで読んだか分かんないし。

学校には週に一度の図書の授業と、毎日10分の「朝の読書タイム」がありました。その時間は本を選んで、本を読まないといけないのです。

その日、私は図書の授業でなるべく1冊が薄くて文字が大きい本を探していました。

その時に、見つけたのです。
『かいけつゾロリ』シリーズを!!

表紙を見て、本が薄いのを確認して。私は「これでいいや。」なんて思って、読み始めたのです。
…おもしろい!??え?本って、つまらないんじゃなかったの??

その日から、私の毎日は少し面白くなりました。

今度のゾロリの旅はどうなるの?イシシとノシシはどんなことをしでかすの?この本のゾロリの敵は、どんなやつ??

夢中で読みました。朝の読書タイムで読んで、休み時間も教室で読む。読んでいる最中に、椅子を思いっきり引かれて尻餅をつこうが、悪口を合唱されようが、お構いなしに。15分休みという少し長めの休みになれば、図書室に行って読みました。学校が終われば、男子達から後ろから石を投げられるのを無視しながら、帰り道も立ち読みしながら帰りました。そして、家でも読みました。

読み終えれば、図書室に行って返して、また借りる。その繰り返し。

その頃の私は、少し賢くなっていました。休み時間まで、ニヤニヤとした嫌な視線や息苦しさが付き纏う教室に居なくていいんだと。どんなに短い休み時間でも、トイレか図書室にいました。その2つの場所は、私にとっては一息つける場所でした。

4年生になった頃、私は色々な本を読んでいました。図書室にあるすべてのゾロリシリーズを読み終えた私は、もっとこの図書室には面白い本がいっぱいあるんじゃ無いか?と思い始めたからです。

東野圭吾さんとか、有川浩さんとか、伊坂幸太郎さんとか。ミステリーも読み始めると、本格的に小説にハマり出しました。

気付いた

そんな時です。
私の下靴が、トイレの便器に入っていました。便器に溜まった水で、靴がビチャビチャになっていました。

私は頭が真っ白になりました。ここまで来たか…と半ば諦めの気持ちと、あからさまやなあと少し笑えてしまう気持ちと。

あと、もうトイレも私の安息の場所じゃないという気持ち。

本を読む気力もなく、久々に顔を上げて見た帰り道は、色が無かった。上靴で帰る帰り道は、とても惨めでした。

その頃にはあまりにも私に対する扱いの酷さに、私を擁護してくれる人も出てきた。そのうちの1人は今でも親友。

少し後ろから聞こえる、私を馬鹿にする笑い声に泣きそうになったけど、ずっと心配してくれていたその子が放ったボケに、思わず笑ってしまって、その日はゆっくり話ながら帰りました。

上靴で帰った私を見て、親は怪訝な顔をしました。「靴は?」と聞かれ、「忘れてきたー」とニコニコ。本当のことを言えば、また怒られると思いました。

今までの仕打ちを親にも言っていたが、「言い返さない私も悪い」と言われ、それ以上言えなくなっていました。学校を休むなんてことをしたら、怒られることを知っていた私は、学校に行き続けるしかありませんでした。

でも、担任の先生からかかってきた電話で、私の親は事の重大さを知ったのです。私は驚きました。担任の先生も見て見ぬふりしてたのに、いきなり何だ?そして、親も泣きながら謝ってくる。

そこで、私は思い出したのです。3年間、こんな仕打ちに遭ってきたけど、これは当たり前しゃなかった。何で私だけこんな目に合わなあかん?怒られるのは、私じゃなくて、あの男子達と加勢した子達だ!!

その翌日、私はクラスのみんなに昨日起きたことを言いました。すごく嫌でしたが、母親に「嫌なことは嫌って言わないと。その子達に響かなくても良い。言ってやった、そのことが大事やねん。」と言われて、言ってやりました。今までのことを全部。

その日を境に、私はいつも以上に図書室へ行くようになりました。そして、本にのめり込んでいくと、徐々にいじめられることが減っていきました。

そして、5年生になって、「男子4人とクラスを離してほしい」との訴えが効いたのか、4人とはクラスが離れ、いじめはなくなりました。

今となっては

読書という行為は、あの頃の私にとって、身を守る行いでした。現実逃避をしないと、やっていけなかった。

読書って不思議なもので、唯一学校の休み時間で許されている1人時間なのです。「本を読んでいるから邪魔出来ない」みたいな共通認識があったおかげで、読書をし始めてからはいじめがマシになりました。

「逃げる」って、ネガティブな意味合いに取られることが多いけれど、そんなことない。壊れそうだと思ったら、容赦なんてせずに逃げれば良い。

そう教えてくれたのは、本です。
だから、本、あなたは私の命恩人。

私、えだまめの名字に「本」の字が付いているのが、喜ばしいくらい。

だから、これからも、色々な人を救って、楽しませていってください。
これからも、お世話になります。大好きだよ、本。

えだまめより。

最後に

私の本に対する、思いの丈は以上です。

見てくださって、ありがとうございました。
えだまめでした。

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