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オールドマン・オブ・ストー|The Old Man of Storr

 オールドマン・オブ・ストーは、スカイ島の名所の一つである。まるで老人が聳え立っているような形の奇岩。高い丘の頂上に立っており、かなりの遠景からでもその姿が確認できる。

 その奇岩のふもとまでの道のりは比較的容易なトレッキングコースだが、大人でも軽く息が切れる。2012年の10月に家族と行ったそのコースの入り口の駐車場で、私はインド人の家族と鉢合わせた。

 父親、少し歳の若そうな母親、13歳くらいの息子と10歳くらいの娘の4人家族。夫と小学生の息子二人が先に行ってしまい、私はその家族の後ろをついていくような形になった。一番年下の娘が一番元気が良く、どんどん先に行こうとする。その度に父親が怒鳴りつける。

 息子は少し太めの、無気力な感じのする体の大きな少年だが、無理やり連れてこられたのだろうか、全くトレッキングに興味を示さずダラダラと歩いている。母親は家族に黙ってついて行く。娘は快活で、運動神経が良いのか、なかなか見事なスピードで、嬉しそうにどんどん登っていく。

 「ラクシュミ!そんなに一人で先に行くなと言っているだろう!」父親がインド訛りの英語で何度も娘に向かって怒鳴る。娘を怒鳴りつけた後、ダラダラと無表情で歩いている息子の方にはニコニコ顔で「いいぞ、良く頑張った、頑張った」と声をかけている。

 目指す奇岩のある場所までのルート半分いったところで、ついに息子の方はふてくされた顔で座り込んでしまった。父親は「いいんだ、ここまで頑張った、良くやったぞ」と息子に言った後「こら!ラクシュミ!お前の兄が疲れたと言っているんだ、戻ってこい!」と怒鳴る。100mほど先にいた娘の顔から笑顔が消え、真顔で岩の上に立ちすくんだ。が、戻ってこようとはしなかった。

 母親は黙って息子に飲み物を差し出していた。父親は今度はその母親に向かって「ラクシュミを連れて帰ってこい!休憩だ」と怒鳴る。母親は何か言おうとしたが、父親は「急げ!」と怒鳴る。娘を迎えに行く母親の背中に向かって「女の子のくせに、ラクシュミは言うことを全く聞かない…」と言い放った。

 私には母親の顔が見えなかった。が、それまでゆっくり歩いていた母親の歩調が早くなった。叱られると思ったのか、岩の上で立っていた娘は気まずそうな顔で母親を見た。母親が娘に何かを言った。娘の顔に満面の笑みが広がって、まるで子鹿のように頂上に向かって登り始めた。母親がそのあとに続いていった。

 息子と一緒に腰掛けていた父親がそれをみて立ち上がり、また怒鳴った「待て!息子を置いて行くのか!お前は母親だろう、おい!」母と娘は全く聞こえていないかのようにどんどん登り始めた。

 頂上が近くなり、少し道のりが険しくなった。ここでルートを変えて別方向に行く登山者もいるが、娘はそこを登りたがった。滑りやすい岩を手と足で掴んで登る娘を、母親が後ろから手で押した。母親は全く危なげなく岩と岩の間を進み、二人は頂上まで登りきった。白くゴツゴツした岩の上には柔らかな緑の草原が広がっている。天気のいい日で、空は澄み切って青く見通しが良く、ハイランドの海と島々がどこまでも見渡せた。

 娘が言った。「お母さん!ここから何でも見える、ずっと遠くまで何でも見えるよ!オールドマンには何でも見えるんだ」母親は笑って何も答えなかった。二人は体育座りして、どこまでも続くハイランドの島々と青々とした海を眺めていた。

 娘は「今までで最高のホリデーだね」と言うと、母親は「そうに違いないわね」と答えた。

 ずっと下の五合目の方では、まだ父親と息子がじっと岩に腰掛けていた。

#スコットランド #旅行記 #エッセイ

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