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マルセロ〜ロベルト・カルロスの後継者と呼ばれて〜

陽気なカーニバルも永遠に続くわけではない。マルセロの退団が正式に決定した。とてもサイドバックとは思えない圧倒的な技巧と、太陽のような明るさでチームを照らし続けたブラジリアンも遂に34歳。
クラブで最もトロフィーを掲げたレジェンドの足跡を振り返りたい。

後継者
フルミネンセでデビューを飾り、世代交代を敢行していたドゥンガ率いるセレソンに18歳にして選ばれていたマルセロには当時ヨーロッパのビッグクラブの多くが関心を示していた。
当時のマドリーはペレス1次政権が終焉し、ジダンも引退、彼の政敵ラモンカルデロンによって銀河系軍団からの脱却が図られていた。監督にはイタリアからカテナチオの権化、ファビオ・カペッロを招聘しエメルソンやディアラといった守備的な選手が重用される。
そのシーズン退屈な試合を続けるチームにファンの苛立ちは募り、ホームでブーイングの嵐を浴びることも珍しくなかった。特に当時33歳のロベルト・カルロスはパフォーマンスが大きく低下し、レジェンドとは言え批判を浴びていた。

そんな中会長(とSDミヤトビッチ)がファンに未来への希望を与えるため、マルセロ、ガゴ、イグアインといった南米有望株3人を一気に獲得する。

16歳になるまで僕はチャンピオンズ・リーグの存在を知らなかった。試合はまるで僕の知らない星から中継されているかのようだった。
僕は「これはどこのリーグなんだい」と聞いた。
友人たちが「チャンピオンズリーグだよ」と答えた。


最も期待されていたのはレドンドの後継者と言われ即戦力の活躍が期待されていたガゴだったが思うようなパフォーマンスを発揮できず、試合終了間際の活躍が多かったイグアインが救世主と呼ばれた。マルセロはというと、後に何度も比較されるロベルトカルロスの後継者として近未来への投資としたの獲得だった。ロベカルも15も年が離れた若き同胞を弟のように可愛がった。
そもそも守備力が足りないとカペッロに言われていたロベカルより守備が無だったので出場機会は少なく、たまに出てもサイドハーフで起用されていた。
このシーズン後半戦の奇跡的な勝利の連続で勝ち点を積み上げ、4シーズンぶりのリーガタイトルを獲得し、これがマルセロにとっても初タイトルとなった。

ポジション
翌07-08監督が攻撃的なフットボールを好むシュスターに代わり、前年より出場機会を伸ばした。鳴り物入りで加入したドレンテ(!)はマルセロより更に守備力がなく彼より序列は高かったものの、センターバックでもプレーできるアルゼンチン代表エインセの加入もあり、サイドバックとしてはしばらくはバックアッパーの位置を脱却できずにいた。

09-10シーズン、ペレスが会長に復帰し大型補強が敢行されていた。そのなかでマルセロは4-3-1-2の中盤3枚の一角としてインテリオールとサイドハーフを兼任するようなポジションで起用され、大きな違いを生むようになっていった。左サイドバックは守備に特徴のあるアルベロアがレギュラーを務めたため、背後を気にすることなく内へ外へ前へと自由に攻撃することができていた。この時の経験が後にサイドバックらしからぬ内側のポジション取りの上手さや、厳しいプレスを回避する能力の更なる向上につながったのではないだろうか。

守備・成長

マルセロは守備が・・・というのはキャリアの最初から最後まで言われ続けたことである。攻撃面での大幅なプラスによって、守備面でのマイナスから利益を出すような存在だ。ただ初期に比べれば単純な守備も成長したと言える。それは10-11シーズンに守備にうるさいモウリーニョが就任したことで、意識を`以前よりは`高く持つようになった。11-12に攻守にバランスのとれたライバルである運転手コエントランの出現(これによってかよらずかクリスティアーノと関係がギクシャクしたことも)も影響しただろう。このシーズンからわずか23歳にして、カシージャス、セルヒオ・ラモスに次ぐキャプテンとなった。

 ディフェンスはどうするかって? 背後に穴が開いてディフェンスのバランスが崩れたら、チームでカバーすればいいんだ。とにかく、まずは攻撃のアタックだ。
The player’s Tributeより


デシマ

ここまで順調にタイトルを積み重ねてきたマルセロだが、入団から7年が経ってもチャンピオンズリーグには手が届いていなかった。それどころか、より守備のタスクも重視されるこの舞台ではコエントランがスタメンで選ばれることが多かった。決勝でもそれは変わらない。彼はチャンスを待ち続けた。

永遠に語り継がれるラモスの跳躍によって試合は延長にもつれこみ、そこからマルセロの出番がやってきた。疲弊しきったアトレティコDF陣を後目にゴール近くまで侵入し、強烈なシュートをクルトワに見舞った後、彼はさめざめと涙した。彼がマドリーで最も重要な試合だと語る試合となった。

  延長で僕のゴールが決まった瞬間、僕は本当に思考回路が停止したように感じた。僕はユニフォームを脱ごうと思った。 でも脱いだらカードをもらってしまうと思いとどまった。 冷静になろうと努めたよ。そして涙があふれ出た。号泣と呼べるものだった。
「これは、どこのリーグなの?」と呟いたあの日から10年が経っていた。




伝説的存在へ

彼がライバルを完全に上回り、不動のレギュラーとなるのは14-15から17-18までの約3年と期間としては長くない。ただ、その期間の中に伝説的なCL三連覇、リーガ、CWCと次々とタイトルを増やし大きく貢献していった。彼にしかできないボール扱い、プレスを手玉にとっての回避、リプレイを見ているかのように繰り返されたクリスティアーノへの正確なクロス。カルバハルと併せて他クラブと比べて両サイドバックが最もレベルが高いポジションであったようにも思う。

18-19シーズン以降はポジションを失い、苦しい時期が続いた。コンディションが悪そうにも見え、毎年放出の噂がたったものの結果として34歳になるまでマドリーの選手として在籍できたのは、攻撃のスキルだけでなく、ベンチでもチームを鼓舞する姿勢などが評価されていたからであろう。
タイトルの数はクラブ史上最多となり、好みはともかく実績面では比較され続けたロベルトカルロスを完全に凌駕した。
いったんはお別れとなるがいずれクラブに戻ってくることは間違いなく、クラブ期待の逸材ともいわれる息子エンゾくんともどもストーリーはまだまだ続いていくだろう。

それを今後の楽しみとしたい。


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