見出し画像

迷惑動画被害に対する損害賠償請求に関する一般人としての私見

はじめに

ある有名すしチェーン店で当時高校生の男性が迷惑行為を行い、これを撮影した動画がSNS上に拡散され社会問題となった。これに対し企業側(すしチェーン店側)は迷惑行為をはたらいた男性に対し約6,700万円にも及ぶ損害賠償請求を求める訴訟を起こし、これについても世間では賛否両論入り乱れる事態となった。
今回このことに関する個人的な考察というか感想と言ってもいいかもしれないが、それを述べたいと思う。いかんせんこの問題は現実に存在する個人や企業が関わることなので、意見を述べるには偏った考えを排除し、なるべく公平な見方をするよう慎重を期す必要があると考えている。私自身はこの問題に関する報道を隅々まで追っているわけではなく、あくまで一般人レベルの情報しか持ち合わせていないから、なおさらである。
しかし私が思うに、この問題は加害者、被害者及びその関係者だけの問題でなく、ある大きな社会的課題についてを示唆しているように感じた。これが今回この件について考えてみようと思った最大の理由である。

まず前提として述べておかなければならないのは、今回の件に関して企業側(すしチェーン店側)は全面的に被害者であって、彼らの起こした損害賠償請求について非難する気は毛頭ないし、損害を被った以上賠償性請求をすることは当然の権利だと考えている。それを踏まえて上で、関係者ではない一般人から見たこの問題に関する個人的考えを書き記すものである。

訴訟金額の妥当性について

メディア等で色々と議論されているのが、当時高校生であった男性に対し訴訟を起こすこと、そしてその請求金額についての妥当性である。これについて、いくつかの観点に分けて考えてみたいと思う。

①損失補償の観点

今回の訴えは損害賠償請求である。法律上の詳しい解釈は分からないが、大義名分としては受けた損害を補填するための請求であると思う。ということは、6,700万円は今回の問題で損失した額ということになるわけだ。この金額そのものの妥当性について私が多く語ることはできない。
というのも、この問題の後、売り上げがどれくらい減ったかもわからないし、それ以外の副次的な損害(株価が下がる等)もあったであろうし、とにかくこれに関するデータや知識を持っていない以上、企業側が6,700万円損失したと見積もったのであれば、そうですか、としか言いようがない。
ただ、これは請求額に対する批判や反論でも何でもないが、今回の問題によって生じた損失額をどのように算出したのか?そもそも算出可能なのか?という素朴な疑問もある。この問題発生後、目に見えて売り上げが落ちたのかもしれないが、全国規模で展開しているので、売り上げの変動要因は複数考えうるはずである。この中からどうやって、迷惑動画による下落額を抽出したのだろうか?
そしてもう一つ気になるのは、6,700万円は今回の問題で損失した全体額なのだろうか?それとも実際はもっと数億レベルの損失があり、そのうち迷惑行為をした男性が負うべき賠償額として絞ってこの金額になったのであろうか?これは後にも述べるが、迷惑行為をした本人だけに損失額全額の責任があるのかということも一つの論点になる。

いずれにしても損害を受けたのは確かで、損額賠償請求をする以上はその金額を決定しなければならいであろうから、ある程度説得力のある考え方を用いて一定の金額を決めなければならない。損害を受けているのはほとんど確かなのに、厳密な損害額が算出できないから賠償請求できない、ということになってはそれこそ不合理である。そして最終的にその賠償額の妥当性は提出された様々な資料やデータ、双方の主張から司法が判断するので、結局のところわれわれ一般人には損失額に関して多くのことは言えない。

②処罰としての観点(反省、更生を促すことを目的とする処罰)

今回の損害賠償請求は民事裁判であるため、基本的には被害を受けた側が被った損失の補償を求めるということが建前になるだろう。しかし一般人であるわれわれがこの賠償請求の意味ということを考える場合、迷惑行為を行ったことに対する処罰という側面でも捉えているはずだ。
処罰的観点とした場合、さらに二つの目的に分類できる。そのうちの一つが本人に反省や更生を促すという意味合いである。この反省、更生という観点で考えた場合、6,700万円という賠償額は妥当であろうか?
これについても私からは多くは語れないだろうと思っている。
もし自身の迷惑行為に関して、例え賠償請求額が1万円でも心の底から反省しているのであればそれで十分だし、請求額6,700万円でも全く反省していないのであれば不十分である(その場合はそもそも金額の問題ではないかもしれない)。
しかしわれわれは現時点で迷惑行為を行った男性がどれほど反省しているのか知る由がない。それが分からない以上何も言うことはできない。
しかし少し気になるのは次の点である。
この迷惑行為の内容とその動画の様子である。
一般常識で考えれば、彼の行った行為はただのいたずらで許容されるレベルのものではない。それを踏まえ動画でのふざけた様子を見ると、彼がとんでもなく悪者に見えてしまう。メディアで動画が放送される場合モザイクと変声の処理がされているから、こちらの想像力次第でより悪そうに感じてしまうこともあり得る。
もちろん実際にイメージ通りの悪者かもしれないが、一方で少しやんちゃな仲間たちの前で虚勢を張って悪ぶって見せていたということも考えられる。誰しも、ある集団の中での自分のキャラを演じるため、勢いで少し大げさな行動を取ってしまうことはあるだろう。これは決して彼の行いを擁護する意味で述べているわけではない。ただ彼の人間的本姓及び更生可能性については、あのモザイク付きの動画だけからは判断することができないということである。

③処罰としての観点(類似犯を予防することを目的とする処罰)

処罰にはもう一つの役割がある。それが類似の迷惑行為を予防することである。いわゆる抑止力としての役割だ。
おそらく今回の賠償請求における企業側の最大の目的はこれだろう。
あくまで推測だが、企業側は迷惑行為をした本人に6,700万円を支払ってもらおうと本気で考えているわけではない。それよりも迷惑行為をすると多額の損賠償請求を提起される可能性があるという姿勢を見せることで、同じような迷惑動画問題が生じることを抑制するのが最大の目的だろう。
というのもこれは企業側からすると第一に経済的問題だからである。
このすしチェーン店を利用している一般市民からすると、彼の迷惑行為は自分が利用している店舗でやられたらひどく気持ちが悪い行為であり、したがって生理的嫌悪が先に立つ問題だ。そのため一般人の感覚では、そのような気持ち悪いことをしている人を罰してほしいという心理がまず沸き起こるはず。それを踏まえると一般人が思い浮かべる賠償請求の目的としては前項の当人を罰することで反省を促すイメージが強くなる。つまり一般人にとっては生理的嫌悪を償うことに対する罰なのであり、経済的損害に対する罰ではない(お金を払ったのに楽しめいない、という意味での経済的損害として捉えることはできる)。
それに対し企業側にとっては、この問題は第一に経済的損害に関する問題なのである。そして最も損害が大きくなることは何かと言えば、この動画に触発されて類似犯が多発することである。
このことから、われわれ一般人と訴訟を起こした企業とでは、この損害賠償に対する感覚に差異があるだろうと考えられる。企業が真に対峙しているのは迷惑行為を行った男性ではなく、その先にいる迷惑行為を起こす可能性のある潜在的な迷惑犯なのである。

また抑止力という観点で考えると司法の判断が非常に難しいことが分かる。
もし司法が今回の問題における経済的損失に対し、迷惑行為を行った本人の責任は限定的と解釈し賠償請求額を大幅に減額した場合、多くの潜在犯が、これだけのことをしてもこの程度で済むのかと感じ抑止力がうまく働かなる可能性もある。
一方で、民事訴訟のあり方として抑止力を働かせるため、損失額を多めにして賠償を命じるということが妥当な対応と言えるだろうか?という疑問もある。悪い言い方をしてしまえば、それは見せしめにするということだ。これを広く社会に影響を与える問題と捉え抑止力までを考慮して裁定すべきか、民事訴訟なのであくまで当事者間の問題として、本人の責めに帰すべき額に限定して賠償請求額を決定すべきなのか、考えただけでも悩ましいところである。(これは私のような一般人が考えているから悩ましいのであって、法曹界の常識からするとその点については、悩むにあたらない問題なのかもしれないが。)

6,700万円の責任の所在

上述にて本件の裁定は難しいと述べたが、その困難の原因は他にあるとも考えている。それがSNSというものの特殊性である。
仮にこの男性の迷惑行為がSNSに拡散されなかったとしたらどうだろうか?この行為がもし店員に見つかったとして、警察に通報されるまではされるかもしれないが、高校生ということもあるので警察による厳重注意、それに加え親と一緒に清掃費分くらいの謝罪のお金を包んでお店に頭を下げれば、それで済んだでのではないだろうか。
そうだとすれば、6,700万円という損害額が正しいとして、その額の大半は迷惑行為が動画に撮られSNSで拡散されたことを要因としている。ある報道では、最初にSNSで広まるきっかけになったのは動画撮影者の友人が他の友人と動画を共有したのがきっかけとのこと。
また拡散それ自体は、拡散した大勢の人たちの手によるものである。もちろん悪意を持って意図的に拡散していない限り、拡散した人に責任はないと思う(それどころか迷惑行為を糾弾する目的で拡散した人の方が多いかもしれない)が、ここまで広く拡散されなければ6,700万円もの損害は生じなかったことも事実だ。
だから現実問題として、男性の迷惑行為だけで完結していたのであれば数千万円もの被害を生み出すようなものではなく、むしろ彼以外の者によってなされた動画撮影及びSNS上での動画拡散が6,700万円もの損害を与えるに至った要因の一つであるということが言える。つまり動画が撮影され、それがSNS上にアップされたかどうかが、ここまで被害を拡大させた分岐点となっているわけだが、SNSにアップさせることそのものは彼の手によって実行されたことではない(私の見た報道のとおり、本人ではなく、友人によって動画が共有されたことが確かであることが前提だが)。そのことを鑑みた時、迷惑行為を行った本人に6,700万円の責を負わせるのが本当に妥当なのかといことが一つの論点としてありうる。
もちろん前章で述べたように実際はもっと大きい損失額があり、そのうち本人の責によるべき分として絞った結果の6,700万円かもしれないのだが(つまりこの騒動における本人の責任が部分的であったとしてもこの額になるということかもしれないのだが)。

私は「SNSに動画をあげたのは迷惑行為を行った本人ではない」ということによって彼の責任を矮小化しようと試みているわけではない。実は社会全体に関係する別のことを感じており、本当に着目したのはその点である。それについては後述する。

加えてもう一つ言えることは、ここまで損失額が大きくなったのは、全国規模で展開するチェーン店で迷惑行為を行ったからである。大企業だからこれだけ損害も大きくなったし、訴訟を起こすアクションを取ることが出来た。言うなれば、彼は大企業にケンカを売るような愚かな行為をしたということである。その点については完全に彼の責によるところである。

この事件から想像したこと

ここからは私の”想像”を交えて書き記す。そのため全く事実と異なる話をしているかもしれないし、多少事実に合っている部分もあるかもしれない。したがって基本的に、今回の問題そのものに対する私見として、ほとんど的外れの可能性もあるが、重要なのは、今回に関しては私の想像から外れたことだったかもしれないが、ひょっとするとこういうこともあり得たかもしれないという話である。ということは、潜在的にこの現代日本社会にその種が散らばっているかもしれないのである。

私は上述で、一般の人々が迷惑行為をした男性に対して持つ感情は生理的嫌悪感だと述べた。それは個人の心理的損害に関することである。
この行為がここまで非難されるのにはもう一つ理由があると考えている。
というのもこの迷惑動画によって被害を受けたのは、実際に行為がなされたすしチェーン店だけでなく、同じような形態の店、さらには似たような迷惑行為が可能だと見なされた飲食店すべてである。なぜならこの動画は「自分たちが日ごろよく使用する飲食店でも同じことが行われているかもしれない。事実、動画のようにやろうと思えばできるし、やっている人が実際に存在する」と多くの人に突きつけることになったからである。

飲食業界は、このコロナ禍でもっとも打撃を受けた業種の一つである。感染対策のための行動制限等が緩和され始め、再び飲食店に客足が戻ってくる兆しが見えてきた矢先の話だ。
被害を被ったすしチェーン店は本人に賠償請求ができるし、大企業であるから倒産するということまでにはならない。もしかするとこの件で一番苦しかったのは、コロナ禍で何とか踏みとどまり、これから新たに店を盛り上げていこうとしていた小規模企業・個人営業の飲食店の可能性もある。
もしこの問題の影響で客足が遠のき、迷惑行為防止対応を余儀なくされ支出がかさみ、といった理由で経営がうまく立ち行かなくなり、店が潰れ、それをきっかけとして店主が自殺ということまで起きたのなら…。いや、実際にそんなことがあり得たのかどうか、これこそまさに全く想像の範疇である。
しかしこの迷惑行為に、怒りの気持ちを覚え強く批判している人たちは、この問題が当事者間の問題だけでなく、飲食店全体に関わる問題であり、さらにその先には飲食店を営んでいる人々の人生が懸かった問題ではないかと考えているからではないだろうか。すなわち個人的な生理的嫌悪ではなく、もっと他者の人生そのものにかかわる重要な問題であるという意識があるのかもしれないのである。
迷惑行為を行った本人がどこまで考えていたか分からないが、これが大手すしチェーン店でなく個人経営のお店だったら、おそらく経済的・人的リソース的に訴訟など起こす余力はなく、本当に店自体が潰れていたかもしれない。その点でこの迷惑行為は、誰かの人生に大きくマイナスの影響を与えたかもしれないし、与える可能性があったかもしれない。

そしてもう一つ想像することがある。
迷惑行為を行った当時高校生の男性は、自分の行為がどれほどの損害や悪影響を及ぼすか思い至らなった。それはSNSというものに関する認識、危機管理の意識が不足していたからに他ならない(これほどの被害や損額賠償請求が起こると分かっていたら、きっと行っていなかっただろう)。
もちろんSNSへの理解不足を抜きにしても非常に迷惑をかける行為であることくらいは少し想像を働かせれば分かったことだとは思う。そして私は彼の人となりについて何も知らない。もしかすると、性根から悪事を楽しむタイプの人間かもしれない。
しかしもし彼がその場の雰囲気やテンションに任せて、ついついやりすぎてしまったのであり、そしてそのことについて深く反省しているということであれば、どうだろうか?
おそらく彼が学生だったことを鑑みると、6,700万円という金額を支払わなければならにとなった場合、まずは親がその代償をすることになるはずだ。彼の家庭の経済事情は分からないが、普通の家庭にとって67,00万円は家族全員の人生設計を大きく狂わす可能性のある金額である。もし彼がまともな道徳観を持っているのであれば、自分の行為がきっかけで家族全員にこれほどの負担を強いることに対し深い罪悪感を負ってしまうことになるだろう。

もし上記の想像に真実の部分があるのだとすれば、この問題は、迷惑行為を被った企業が被害者であるということが大前提ではあるが、SNSに対する正しい理解と知識が不足していた高校生(それを学ぶ機会があっても本人に学ぼうとする意欲が無かっただけということも十分あり得るが)が、資本力が比較的乏しい個人営業の飲食店を苦しめ、そして自らとその家族を大いに疲弊させる結果になった、なんともやりきれない出来事であったのではないかと感じてしまう。
もちろん先に述べた通り、これはそういうこともあり得たかもしれないと私が想像した話であり、事実そうだった、そうである可能性が高いと言っているわけではない。しかしこの想像の出来事が成立するポイントは3点である。

  • その場の勢いで正しい判断を失った10代の学生が飲食店でひどいいたずらをすること

  • それが収められた動画がSNS上で拡散、全国規模で当該飲食店または個人経営の店も含めた類似の飲食店の売り上げに影響を及ぼすこと

  • この被害に対し飲食店の企業側が学生本人に損害賠償請求を提訴すること

途方もなくあり得ない話ではなく、起こってしまってもおかしくないようなことに感じでしまう。

私は「「SNSに動画をあげたのは迷惑行為を行った本人ではない」ということによって彼の責任を矮小化しようと試みているわけではない」と先に述べた。上のことを鑑みるに最も重要なのは、SNSで拡散されなければ6,700万円もの損害が出なかったであろうということは、裏を返せばSNSを用いることで6,700万円もの損害を与えることが出来たということである。

この事件を知ったとき、私は米国で起こる若年層による銃乱射事件を想起した。もちろん銃乱射事件は、人の命を奪う行為なので今回の事件と単純に比較することはできない。しかし双方とも特別な訓練を受けたわけでもない一介の若者が多大な被害を与えたという点において共通している。
SNSが無い時代に特別な専門的知識もない計画性もない高校生が大企業にこれほどの損害を与えるということは、おそらくとても困難なことだったはずだ。それがたった一つのスマートフォンで大した労力もかけずに実行できてしまった(意図的ではないだろうが)。このことは老若男女、誰でも利用出来るツールが強大な武器になり得ることを示唆している。しかもその影響は、直接被害を受けた企業だけでなく、他の企業やお店にまで飛び火している可能性もあるのである。

ここまでの記述によって私は何かを主張したいというわけではない。
上述したように、私はこの事件に関する詳細で正確な情報を持っていないし、後半の記述に関しては、かなり想像で補っている部分がある。
では結局何を言わんとしているかというと、少なくともこの事件に無関係な一般人が、このように考えた、感じたという、これだけは誰にも否定しえない事実のみである。
無関係な一個人の感想を披露することに何の意味があるであろうか?
それは私にも分からない。
しかし上で述べたように、SNSには特別な力を持たない人間が社会に大きな影響を与えるだけの力が秘められているのである。
*幸か不幸か、私の投稿の閲覧数は平均で20くらいなので、大きな影響が出る可能性は低いかもれいない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?