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30000記事が生まれる場所で、わたしたちは何を書いて生きていく?

「noteには、1日30000記事がupされます」


30000って、3万でしょ?まじかぁ。

noteの公式イベント、noteやTwitterの発信力を上げる「#イベントレポート講座」のなかでいちばんの衝撃を受けたのがこの話。

今、インターネット上にはすごい勢いで情報が増えていることはいろんなところで聞かれます。

自分がつかっているプラットフォームで、具体的な数で教えてもらったら、その勢いのすごさがはじめて実感できたなぁ。


同じイベントのレポートを複数の人が書く価値って何なんだろう?

オンラインのイベントやセミナーが当たり前になって一年くらい。家にいながらありとあらゆる会に参加できるようになったこと、本当にすごいですよねぇ。

イベントを開くことが手軽になって、イベントの数がぐっと増えて。Twitterのタイムラインに流れてくるイベントレポートの数もぐんと増えましたよね。

自分が参加して、「この会よかった!レポート書こう!」と思うときは、参加者の方も同じように思うことが多いから似たような記事になってしまいがち。

「わたしが書く意味、あるのかな?」って思ったこと、わたしも何度もありました。そんな心を支えてくれる一言を、noteディレクターの塩畑さんがくれました。


自分に振り切った記事を書きましょう。
最大公約数的な内容だと、ほかの記事に埋もれてしまうし物足りない。
読み手は、本当に共感できる記事を探している。


そのイベント内容を、自分はどこを、どう捉えたのか

そこにわたしが書く価値が生まれるんですね。


イベントレポートでも、自分のファンが生まれるかもしれないよ

noteの強みは、アーカイブ性。

今日かいた記事が、検索されて1年後、2年後に読まれるかもしれない。


そんなとき、アーカイブ動画が公開されていることも多いので、イベントの内容自体は必要な人が、必要なタイミングで見ればいい。

でも、そこに参加したわたしたちが何を、どう感じたのかは、ひとりずつ違っていて。

「この人の感想を聞いて、自分では気づかなかった発見があった」
「この人のエピソードを聴いて、内容を自分と結びつけて考えられた」

そういうことができたら、うれしい。


インターネットに自分の記事を置いていくことは、自分を増やす行為だ というお話をしてくれた人がいます。

わたしが今思ったことを、誰かが、必要なタイミングで見つけてくれたらうれしいよね。宝探しみたいだし、海に手紙を書いて流すみたいでちょっとロマンチック。


自分でも、検索でたまたま出会った記事にグッときて、その人のSNSをフォローしたりお気に入り登録したことも何度もあるし。

そういえば、前に書いていたブログを読んでくれた人が、アップしてから何か月もしてから「あの記事を見つけて、それからずっと読んでます」って言ってくれたこともあったな。弱小で無力なわたしでも、そういうことも起こりうるんだよね。


どうせ書くなら自分の色を。未来の自分がいちばん共感できるレポートが理想

「同じ本を読んでも、頭のスクリーンに描かれている映像は全員まったく違うんですよ」

最近受けている読書の講座で言われたこと。

ベストセラーで何百万人も読んでいる本でも、どこがどう刺さって、それで何を感じたか、どんなことを思い出したかって、全然違うんですよね。

表面をなぞるような、名前を隠したら誰が書いたか分かんなくなっちゃうようなレポートだったら、書いても悲しい。

どうせ書くなら、わたしだけが感じたことを、わたしの言葉で残しておく。

人は忘れて生きていくから、どんなに感動したことも少しずつ薄れてぼやけていってしまうから。

「今のわたしは、ここに、こんな風に心が動いたんですよ!」っていうのを残しておきたい。

それはきっと、ほかのイベント参加者とか、将来読んでくれるかもしれない読者よりも、未来の自分がいちばん読めてうれしい記事になるはず。




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