入祭唱 "In nomine Domini omne genu flectatur" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ91)

 GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX p. 155; GRADUALE NOVUM I pp. 117–118.
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【教会の典礼における使用機会】

【現行「通常形式」のローマ典礼 (1969年のアドヴェントから順次導入された) において】

 1972年版Ordo Cantus Missae (GRADUALE ROMANUM [1974] / TRIPLEXはだいたいこれに従っている) では,聖週間の水曜日と年間第26主日 (A年のみ) とに割り当てられている。

 2002年版ミサ典書でもこの入祭唱は聖週間の水曜日に割り当てられているが,冒頭は "In nomine Domini" でなく "In nomine Iesu" となっている。といっても,GRADUALE ROMANUM (1974) / TRIPLEX pp. 582–583に載っている入祭唱 "In nomine Iesu" とは異なる (こちらは言葉が違うところがほかにもある)。年間第26主日のところにはこの入祭唱は載っていない (そもそもA年にのみ適用される定め自体がない)。

【20世紀後半の大改革以前のローマ典礼 (現在も「特別形式」典礼として有効) において】

 1962年版ミサ典書では,この入祭唱は聖週間の水曜日に割り当てられているが,やはり冒頭は "In nomine Iesu" となっている。
 なお,改革前の典礼では,聖週間の水曜日には受難物語 (ルカ) が朗読されることになっている (改革後典礼では,受難物語が朗読されるのはしゅの主日 [枝の主日] と聖金曜日のみ)。

 AMSにまとめられている8~9世紀の諸聖歌書でも,この入祭唱は聖週間の水曜日に割り当てられている。こちらでは "In nomine Domini"。
 

【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】

In nomine Domini omne genu flectatur, caelestium, terrestrium et infernorum: quia Dominus factus obediens usque ad mortem, mortem autem crucis: ideo Dominus Iesus Christus in gloria est Dei Patris.
Ps. Domine exaudi orationem meam: et clamor meus ad te veniat.
【アンティフォナ】しゅの前にあらゆる膝は屈せられよ,天に属する者たちのも地に属する者たちのも地下に属する者たちのも。なぜなら,主は死に至るまで従順になられたからだ,それも十字架の死に至るまで。このことのゆえに,主イエス・キリストは父なる神の栄光のうちにいらっしゃるのだ。
【詩篇唱】主よ,私の祈りを聞き入れてください。私の叫びがもとに届きますように。

 アンティフォナはフィリピ人への手紙第2章第8–11節に基づいているが,第9節は用いられていない上,ほかの節も順序が変えられたり一部が省略されたりなどしている。

[8] humiliavit semet ipsum factus oboediens usque ad mortem
mortem autem crucis

彼は死に至るまで,それも十字架の死に至るまで従順になられて,御自身を低くなさった。
[9] propter quod et Deus illum exaltavit
et donavit illi nomen super omne nomen
そのことゆえに,神も彼を高めたまい,あらゆる名に優る名を彼に
お授けになった。
[10] ut in nomine Iesu omne genu flectat
caelestium et terrestrium et infernorum

イエスの御名の前にあらゆる膝が屈せられるためである,天に属する者たちのも,地に属する者たちのも,地下に属する者たちのも。
[11] et omnis lingua confiteatur
quia Dominus Iesus Christus in gloria est Dei Patris
また,あらゆる舌が告白するためである,主イエス・キリストは父なる神の栄光のうちにいらっしゃるということを。

フィリピ人への手紙第2章第8–11節 (Vulgata)

 全体の論理構造が,もとの聖書では「A,そのことゆえにB。それ (B) はCのため,またDと言われるため」となっているのが,入祭唱アンティフォナでは「C,なぜならA。そのこと (A) ゆえにD」となっている。
 すべてのもととなっている理由の位置にA (イエスが十字架の死に至るまで従順になったこと) がきているのはどちらも同じなのだが,入祭唱アンティフォナではB (神がイエスに最高の名を授けたこと) をスキップして,Aからの直接の帰結としてC (すべての者が主=イエスの御名の前に膝を屈すべきこと) が主張されていることになる。もとの聖書では神がイエスに最高の名を授けたから,その結果すべての者が膝を屈するという形になっているのだが,入祭唱アンティフォナのほうでは,イエスの死に至るまでの従順そのものに打たれて膝を屈するという話になっているという違いがあるといえるだろう。

 詩篇唱に採られているのは詩篇第101篇 (ヘブライ語聖書では第102篇) であり,ここに掲げられているのはその第2節 (実質的な最初の節) である。テキストはVulgata=ガリア詩篇書に一致している (「Vulgata=ガリア詩篇書」とは何であるかについてはこちら)。
 この第101 (102) 篇は全体として,受難に臨むイエス・キリスト自身の声のような内容を持っている。
 

【対訳・逐語訳 (アンティフォナ)】

In nomine Domini omne genu flectatur, caelestium, terrestrium et infernorum:

しゅの前にあらゆる膝は屈せられよ,天に属する者たちのも地に属する者たちのも地下に属する者たちのも。

in nomine Domini 主の御名の前に;主の御名において (nomine:名 [奪格],Domini:主の)
omne genu
あらゆる膝が (omne:あらゆる,genu:膝が)
flectatur
曲げられよ/曲げられるべし,屈せられよ/屈せられるべし (動詞flecto, flectereの接続法・受動態・現在時制・3人称・単数の形)
caelestium
天に属する者たちの (名詞的に用いられている形容詞,複数・属格) ……前の "genu" にかかる。
terrestrium
地に属する者たちの (名詞的に用いられている形容詞,複数・属格) ……前の "genu" にかかる。
et (英:and)
infernorum
地下に属する者たちの (名詞的に用いられている形容詞,複数・属格) ……前の "genu" にかかる。

quia Dominus factus obediens usque ad mortem, mortem autem crucis:

なぜなら,主は従順になられたのだから,死に至るまで,それも十字架の死に至るまで。

quia なぜなら~から (英:because)
Dominus
主が
factus
なった (本来 "factus est" であるところ,"est" が省略されている。"est" 込みで考えると,動詞fio, fieriの直説法・受動態の顔をした能動態・完了時制・3人称・単数の形。"factus" 単体では完了分詞)
obediens
従順な
usque ad
~まで
mortem
死 (対格)
mortem … crucis
十字架の死 (mortem:死 [対格],crucis:十字架の)
autem
それも ……この語自体を手元のいろいろな辞書で引いても,今回の文脈で納得のゆく意味は出てこなかった。これはギリシャ語 "δὲ" を機械的にラテン語訳しただけのものだと思われるので,このギリシャ語を辞書で引いて「説明を付加する」働きがあると記されていた (そしてこの聖書箇所が例として挙げられていた) のをそのまま採用し,それに応じて「それも」という訳語を充てることにする。

ideo Dominus Iesus Christus in gloria est Dei Patris.

このことのゆえに,主イエス・キリストは父なる神の栄光のうちにいらっしゃるのである。
別訳:(……) 神である御父の栄光のうちに (……)

ideo それゆえ
Dominus
主が
Iesus Christus
イエス・キリストが ……直前の "Dominus" と同格。
in gloria
栄光のうちに (gloria:栄光 [奪格])
est
ある,いる (動詞sum, esse [英語でいうbe動詞] の直説法・能動態・現在時制・3人称・単数の形)
Dei Patris
父なる神の,神である御父の (Dei:神の,Patris:御父の) ……この2語は同格 (どちらかがどちらかにかかっているわけではなく,単に並べられている)。このように同格の要素が並んでいる場合,「AであるB」「BであるA」「A,すなわちB」のいずれの意味にもなりうる。"Dei Patris" 全体は "est" を飛び越えて "gloria" にかかる。


【対訳・逐語訳 (詩篇唱)】

Domine exaudi orationem meam:

しゅよ,私の祈りを聞き入れてください。

Domine しゅ
exaudi よく聴いてください,聞き入れてください (動詞exaudio, exaudireの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
orationem meam 私の祈りを (orationem:祈りを,meam:私の)

et clamor meus ad te veniat.

私の叫びがあなたのもとに届きますように。

et (英:and)
clamor meus 私の叫びが (clamor:叫びが,meus:私の)
ad te あなたへ,あなたのほうへ;あなたのもとに (te:あなた [対格])
veniat 来ますように,到達しますように (動詞venio, venireの接続法・能動態・現在時制・3人称・単数の形)

  •   「私の祈りを聞き入れてください」の言い換えであるから,「私の叫び」が単に「あなた」のほうへ行きますようにというよりは,「あなた」の許に到達しますように,届きますようにという意味に解釈するほうがよいだろう。

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