聖母マリアのアンティフォナ "Salve Regina" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ49)

 ANTIPHONALE MONASTICUM I (2005) pp. 476–479; 同II (2006) pp. 14–17; 同III (2007) pp.488–491; LIBER USUALIS p. 276, p. 279;『カトリック聖歌集』pp. 328–330 (第543番).
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↑ Salve Regina (荘厳調)

↑ Salve Regina(単純調)
 

更新履歴

2023年1月25日

  •  最後の部分 ("O clemens" 以下) に別訳を追加した。ついでに,別件に関するコメントも一つ加えた (「対訳」の部,同じ文のところ)。

2022年6月2日

  •   「現在まで一般的に用いられている聖母マリアのアンティフォナは全部で4つあり」と書いていたが,先の公会議後にもう一つ増えたのでそのことを書き加えた。

2021年11月26日 (日本時間27日)

  •  荘厳調の動画が再生不可能になっていたので別の動画を埋め込んだ。本文の内容に変更はない。

2021年8月21日

  •  投稿
     


【聖母マリアのアンティフォナとは (特に,それぞれのアンティフォナが歌われる季節について)】

 一日を締めくくる聖務日課である終課 (Completorium, 寝る前の祈り) をはじめとするさまざまな機会に歌われる「聖母マリア (へ) のアンティフォナ (Antiphonae mariales)」というものがあり,今回扱う "Salve Regina" はその一つである。
 現在まで一般的に用いられている聖母マリアのアンティフォナは全部で4つ (第2バチカン公会議後に採用された "Sub tuum praesidium" を含めれば5つ) あり,これらはトリエント公会議による典礼改革 (16世紀後半) のころから教会暦上の各季節に割り当てられるようになった (MGG第2版 "Antiphon" の項の第XI章 "Marianische Antiphonen" による。オンライン版利用,2021年8月20日アクセス)。大雑把にいうと,アドヴェント (待降節) と降誕節には "Alma Redemptoris Mater" が,四旬節には "Ave Regina caelorum" が,復活節には "Regina caeli laetare" が,そしてその後は "Salve Regina" が歌われることになっていた。厳密にいうと,

  •  アドヴェント (待降節) 第1主日の前晩の晩課から2月2日の第2晩課 (※1) まで:Alma Redemptoris Mater

  •  2月2日の終課から聖週間の水曜日の終課まで:Ave Regina caelorum

  •  復活の主日の終課から聖霊降臨の八日間中の金曜日の終課まで:Regina caeli laetare

  •  三位一体の主日の第1晩課 (※1) からアドヴェント第1主日の前日の九時課 (※2) まで:Salve Regina

となる (LIBER USUALIS pp. 273–276による)。

※1  大きな祝い日は前晩から祝うため,晩が前日と当日との2回あることになり,したがって晩課も2回ある。このような場合に,前晩のものを第1晩課,当日の晩のものを第2晩課という。
※2 「九時課」はおよそ15時ごろに行われる聖務日課。

 第2バチカン公会議 (1962–1965年) 後の典礼改革以降は,"Regina caeli laetare" が復活節専用だということを除いては厳密な定めはないものの (参考:Klöckner, p. 33 [2010年第2版でのページ番号]),実際には今でもおおよそ上記の習慣が続いているところが多いと思う。そもそも今ではこの点自由になっているということを,この記事を執筆するための調べものをするまで私は知らなかったくらいである。
 

【テキストと全体訳】

 テキストはANTIPHONALE MONASTICUM (2005–2007年版) にあるものを採用するが,アクセント記号は省略し,合字æはaeと記す。

Salve, Regina, mater misericordiae; vita, dulcedo et spes nostra, salve. Ad te clamamus, exsules filii Evae. Ad te suspiramus, gementes et flentes in hac lacrimarum valle. Eia ergo, advocata nostra, illos tuos misericordes oculos ad nos converte. Et Iesum, benedictum fructum ventris tui, nobis post hoc exsilium ostende. O clemens, o pia, o dulcis Virgo Maria.
御挨拶申し上げます,元后よ,あわれみの母よ。私たちにとって生命であり甘美さであり希望でいらっしゃる方よ,御挨拶申し上げます。あなたに向かって,追放された者ら,エバの子らである私たちは叫びます。あなたに向かって,私たちはこの涙の谷で呻き,泣きながらため息をつきます。ですから,さあ,私たちの助け手よ,あのあわれみ深い御目を私たちにお向けください。そして,御胎の祝された実であるイエスを,この追放の日々が終わったとき私たちにお見せください。おおやさしい,おお恵み深い,おお甘美なるおとめマリアよ。

 ラテン語学習の教材としてお使いになりたい方のため,古典ラテン語式の母音の長短を示しておく。あくまでラテン語学習用であり,実際にSalve Reginaを唱えたり歌ったりする際に気にする必要はない (各語のアクセントの位置を知るのに使えるくらい)。
Salvē, Rēgīna, māter misericordiae; vīta, dulcēdō et spēs nostra, salvē. Ad tē clāmāmus, exsulēs fīliī Evae. Ad tē suspīrāmus, gementēs et flentēs in hāc lacrimārum valle. Ēia ergō, advocāta nostra, illōs tuōs misericordēs oculōs ad nōs converte. Et Iēsum, benedictum frūctum ventris tuī, nōbīs post hoc/hōc exsilium ostende. Ō clēmēns, ō pia, ō dulcis Virgō Marīa.
 

【対訳】

Salve, Regina, mater misericordiae; 
御挨拶申し上げます,元后よ,あわれみの母よ。

vita, dulcedo et spes nostra, salve. 
私たちにとって生命であり甘美さであり希望でいらっしゃる方よ,御挨拶申し上げます。

  •  "nostra (私たちの)" は "vita, dulcedo et spes (生命,甘美さ,希望)" すべてにかかるものと解釈している。

  •  直訳すると「私たちの生命・甘美さ・希望よ」。

Ad te clamamus, exsules filii Evae.
あなたに向かって叫びます,追放された者ら,エバの子らである私たちは。

  •  "exsules (追放された者ら)" も"filii Evae (エバの子ら)" も,動詞 "clamamus" に含まれている主語「私たち」を同格で言いかえて説明しているもの。

Ad te suspiramus, gementes et flentes in hac lacrimarum valle.
あなたに向かって私たちはため息をつきます,この涙の谷で呻き,泣きながら。

  •  "in hac lacrimarum valle (この涙の谷で)" はここ全体にかかるとも,"gementes et flentes (呻きながら,泣きながら)" だけにかかるとも解釈できるが,とりあえずコンマの打ち方から受ける印象に従って後者の解釈を採った。全体訳ではこの点あいまいにしてある。 

  •  "gementes" 以下は現在能動分詞 (英語でいう-ing形) による分詞句で,付帯状況を示す分詞構文を作っている。

  •   「涙の谷」は私たちが生きているこの世,私たちの地上の生涯を意味する。

Eia ergo, advocata nostra, illos tuos misericordes oculos ad nos converte. 
ですから,さあ,私たちの助け手よ,あのあわれみ深い御目を私たちにお向けください。

  •  日本語としての語順の都合上「ですから,さあ」としたが,「ですから」は "ergo",「さあ」は "Eia" の訳。

  •   「助け手」と訳した "advocata" は「弁護者」としてもよさそうだが,そうすると少し聖霊のイメージが強すぎるかと思い (ヨハネによる福音書第14-16章参照) 避けることにした。

Et Iesum, benedictum fructum ventris tui, nobis post hoc exsilium ostende. 
そして,御胎の祝された実であるイエスを,この追放の日々が終わったとき私たちにお見せください。

  •  前半を原文の語順に近づけると,「そして,イエスを,祝された実を (あなたの胎の)」となる。「御胎の……実」とは「子」のこと (Ave Maria [もとはといえばルカによる福音書第1章第42節] にもみられる表現)。

  •  後半の「この追放の日々が終わったとき (post hoc exsilium)」は,もっと直訳にすると「この追放の後に」。ここで「追放 (の日々)」といわれているのは,地上での人生そのものである。

O clemens, o pia, o dulcis Virgo Maria.
おおやさしい,おお恵み深い,おお甘美なるおとめマリアよ。
別訳:おおやさしい方よ,おお恵み深い方よ,おお甘美なる方よ,おとめマリア!

  •  これらの形容詞はいろいろに訳せる。逐語訳をごらんいただきたい。

  •  別訳は,"clemens","pia","dulcis" という3つの形容詞が "Virgo Maria (おとめマリアよ)" にかかっているのではなく,それぞれ名詞的に用いられていると解釈したものである。

  •  この長いアンティフォナの最後の最後で,初めて「マリア」と名を呼んでいる。現在用いられている5つの聖母マリアのアンティフォナにおいて,聖母の名が直接呼ばれるのはここだけである。
     

【逐語訳】

salvē 御挨拶します (文字通りには「健康であれ」。動詞salveō, salvēreの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)

Rēgīna 元后よ,女王よ

māter misericordiae あわれみの母よ (māter:母よ,misericordiae:あわれみの)

vīta 生命よ

dulcēdō 甘さよ,甘美さよ,心地よさよ

et (英:and)

spēs 希望よ

nostra 私たちの

salvē (同上)

ad tē あなたに向かって (ad:英 "to",:あなた [対格])

clāmāmus 私たちが叫ぶ,呼ばわる (動詞clāmō, clāmāreの直説法・能動態・現在時制・1人称・複数の形)

exsulēs 追放された者たち (主格)

fīliī Evae エバの子たち (fīliī:子たち [主格],Evae:エバの)

ad tē (同上)

suspīrāmus 私たちが深呼吸する,ため息をつく (動詞suspīrō, suspīrāreの直説法・能動態・現在時制・1人称・複数の形)

gementēs ため息をつきながら,呻きながら (動詞gemō, gemereをもとにした現在能動分詞,複数・主格)

et (英:and)

flentēs 泣きながら (動詞fleō, flēreをもとにした現在能動分詞,複数・主格)

in (英:in)

hāc この (2語あとの "valle" にかかる)

lacrimārum 涙の (複数形)

valle 谷 (奪格)

ēia さあ

  •  喜びを表したり,人を行動に駆り立てたりするときに用いられることが多いらしい間投詞。この文脈では後者と見るのがよいだろう。

ergō だから,それゆえ

advocāta nostra 私たちの助け手よ (advocāta:助け手よ,nostra:私たちの)

  •  advocātus/-aは文字通りには「助けのため呼んでこられた人」で,そこから「弁護人」などの意味にもなる。

illōs あれらの

  •  3語あとの "oculōs" にかかる。

tuōs あなたの

  •  2語あとの "oculōs" にかかる。

misericordēs あわれみ深い

oculōs 目 (複数) を

ad nōs 私たちのほうへ (ad:英 "to",nōs:私たち [対格])

converte 向けてください,向きを変えてください (動詞convertō, convertereの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)

et (英:and)

Iēsum イエスを

benedictum frūctum 祝福された実を (benedictum:祝福された,frūctum:実を,果実を)

  •   「実 (果実)」とはここではもちろん「子」のこと。

ventris tuī あなたの胎の (ventris:胎の,tuī:あなたの)

  •  直前の "frūctum" にかかる。

nōbīs 私たちに

post ~の後で (前置詞)

hoc/hōc この

exsilium 追放 (されている状態) (対格)

ostende 示してください,見せてください (動詞ostendō, ostendereの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)

ō おお 

clēmēns,穏やかな,柔和な

  •  最後の "Virgō Marīa" にかかる。あるいは,何かにかかっているのではなく,名詞的に用いられていると解釈することもできる (「穏やかな方よ」)。

ō おお 

pia 敬虔な,柔和な,慈しみ深い,優しい,公正な,好ましい

  •  2語前の "clēmēns" のところに記したのと同じことがいえる。

ō おお

dulcis 甘い,甘美な,心地よい,親切な,チャーミングな

  •  4語前の "clēmēns" のところに記したのと同じことがいえる。

Virgō Marīa おとめマリアよ (Virgō:処女よ)


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