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「このハンバーガーとコーラは世界で一番売れている。だから世界一うまいものに決まっているだろ」という漫画の名言

Q.E.D

『Q.E.D. 証明終了』というかなり面白い推理漫画があり、ネット上では金融をテーマにした回で、トレーダー社長が言い放った以下の台詞が有名である

作中では月賀社長はトレードで莫大な財産を築き上げた成功者。いわゆる超勝ち組である。お金があるのに毎日ハンバーガー(おそらくマック)とコーラ(おそらくコカ・コーラ)を飲食して、ヒロインに曰く、

「このハンバーガーとコーラは世界で一番売れている。だから世界一うまいものに決まっているだろ」

と。これがかの有名なハンバーガーコーラ理論である。

月賀社長のいかにも変人なこの台詞には実は重要なテーマが隠されている。この台詞を天才の浮世離れのように解釈することもできるが、むしろ筆者は逆で「ああ、月賀社長は努力の人なんだな」と解釈した。

経済学的背景

 株式を買うことにはいくつかの目的があるが、株で儲けるためには「自分の好きな・応援したい会社に投資する」という考え方をきっぱりと辞めなければならない。株式市場は美人投票であるとケインズは言う。美人投票とは、投票で美人を決めるコンテスト(優勝者に投票した者には賞金が与えられる)において、自分が美人だと思う写真を投票先に選ぶのではなくて、一番他人が安易に美人と思いそうな写真を選ぶことによって、自分の投票に価値を生み出そうとするゲームである。

https://www.tokaitokyo.co.jp/kantan/term/detail_0479.html

 
月賀社長が登場するのは金融をテーマにした回であり、それまでにブラック–ショールズ方程式について読者に分かりやすく説明してくれるなど、金融や経済の概念を念頭に置いていることは明らかである。
 ハンバーガーとコーラの話も、株と美人投票の構造をわかりやすく世界一売れている飲食物に置き換えて表現したと見ることもできる。
 ハンバーガーとコーラ=美人投票の勝者=だから買え(投票しろ)という図式。


 ところで月賀社長はハンバーガーとコーラが好きな食べ物というわけではない(作中でそうは言っていない)。もしほんとにハンバーガーとコーラが好きなら、好きな食べ物について語っているときに真顔というのは変である。もし社長がめちゃくちゃ笑顔で「このハンバーガーは世界一美味いものに決まっている!」と言っていたら、このコマは全く違う意味を持っていただろう。


 月賀社長は日頃トレーディングにおいて徹底すべき規律を決して忘れないために、食生活までも美人投票の原理を受け入れたのではないだろうか。だとしたら美人投票の投票先を別に美人と思っているわけではないように、月賀社長にとってのハンバーガーとコーラも別にそこまで入れ込んでいるわけではないと思われる。

3つのタイプ

 世の中には3種類の人間がいる。ひとつは①好きな食物を食べる人間。天ぷらが好きだったり、うどんが好きだったり、好きなものを食べる。大多数の人間がこれで、つまりは自分の好きな会社の株を買う人間であり、クルマを買いに行った先でいい感じのクルマを見つけ、試乗もさせて貰ったら大変満足したので、自分が株を買うときはA自動車の株が良い、みたいなタイプ。まず間違いなくトレーダーとして大成しない。なので月賀社長はこのタイプではない。
 もうひとつが②好きなものを食べるのではなく、そんなものがない或いは意味がないなどの理由によって、食べるべきものを正しく選ぶような人間。株に例えれば買うべき株を買って、売るべきときに売れる。月賀社長はこのタイプ。
 3種類目が、③好きなものを食べるだけの人間であるが、結果として②の人間と同じ行動をとってしまう、「好きだったものがたまたま正解だった」というパターン。

 A社の株が『正解』だったとすれば、凡人は正解することよりも自分が好きなB社の株を買うことを選んだ。秀才はA社の株を買うことが有利だと気づいて実行した。しかし、天才は初めからA社の株を買うことが『好き』だった。

 好きな食べ物として凡人はカレーや近所のとんかつを選び、月賀社長は正解としてマックのハンバーガーに辿り着いた。しかしもとからマックのハンバーガーが心の底から好きで「このバーガーは世界一美味いんだ!」と満面の笑みでそう主張できる希少な人間がいて、それこそが真の勝者だ。
 月賀社長はそういった意味で秀才タイプであり、華やかな結果を積み上げることができたのは努力があったからこそと言える。このコマの月賀社長が笑ってないところが好きだ。

別の運命

 通常カレーが好きなAさんとハンバーガーが好きなBさんの間で優劣をつけることはできない。そこで可能世界のあなたがマックのハンバーガーを好きだったと仮定して、得られる利益の差異を考えてみよう。

 あなたが「小さいときにおふくろが作ってくれたカレー」なんて大好物になってしまった日には、悲惨の一言につきる。母君がご存命だったとしても、たぶん稀にしか食べられないし、食べたいと願ったときにすぐ出てくる料理ではない。大好物なのに、もう何十年も食べてない、なんて悲しいじゃないですか?
 その点、マックのハンバーガーが大好物だったら。ハンバーガーなら世界中どこでも、転勤になりうるどの国でも簡単に食べられる。もちろんいつまでも。深夜でもOK。
 近所のとんかつ屋だって同じである。値段の安さにおいても、安全面でも、「マックのハンバーガー」が大好物ですといったほうがトータルで勝っているし、とんかつ屋が個人経営なら潰れたらもう食べられなくなってしまう。好きな食べ物なら毎日食べてもいいが、そうすると間違いなく店員に顔を覚えられてしまう懸念もある。ただ高級料理が大好物ですなんて咎を背負って生まれてくるよりかは幾分マシだろうけども。

 上にあげたような実践主義的な考え方から、コスパのためにハンバーガーを好きになろうとする人間と、そんな努力も一切浮かべずにはじめから『ハンバーガーが好きで!』と満面の笑みでのたまえるような人間とでは、すでにスタートラインから雲泥の差がついている。
 だとしたらこんな努力に溺れるよりも、好きなものを好きなままで居たほうが多少マシなのか? それともすぐレールを乗り換えたほうがいいのか? それは難しい問題である。

結論 

 たとえば筆者は昔から推理漫画なら『名探偵コナン』が苦手で『Q.E.D』が好きだったし、ホラーなら『夏目友人帳』よりも『百鬼夜行抄』が好きだった。念のため、ネットで感想を探すのも苦労するような作品を好きになって良いことは一つもない。ただ美意識が養われるような気がするだけである。    

 だったら今からでも『Q.E.D』を下取りに出し、『名探偵コナン』を好きになってみたほうがトータルで得なのではないか。しかし、人間の好き嫌いを自分で決めることはできるだろうか。
 いちおう心理学には単純接触効果というものがあり、繰り返し接触をするだけで人はその物事をある程度好きになっていく傾向があるということだ。こういう心理的効果を積み重ねていくことで、正解と直観のあいだにある誤差を失くしていくことができれば、感情的にしっくりくる正しい意思決定を下すことができ、好きになった漫画がいつもそのジャンルで一番売れているという『正しい人間』に生まれ変わることがいつかできるのかもしれない。


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