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子どもができて、僕は「予想外」の人生を楽しんでいる

6月3日で息子が2歳を迎えた。

新生児のときには寝てばかりいて、栄養源はミルクだったのに、いまでは韓国のりにごはんを乗せてむしゃむしゃと食べ、食事量も大人顔負けだ。「パパ、ここ」など2文程度だが、言葉も少し話せるようになっている。

この2年は長いようで、あっという間のような感覚だ。彼が生後まもないころ、「夜中にキッチンで粉ミルクをお湯でとかしていたのは本当に自分なのか?」と不思議なことを思うときもある。

子どもが生まれる前の自分へメッセージ

昨日、ふとこのようなことを思い、ツイートした。

もし目の前にタイムマシンがあって、息子が生まれる前に戻れたなら、僕はきっと自分自身にこう伝えると思うのだ。

「計画は大切。でも、『その通りに物事を進めなきゃ!』と思うあまり、力を入れすぎるのはどうかな?予想外の展開も丸ごと楽しんじゃえよ!」

妻の妊娠がわかった後、妊娠中〜産後の生活について妻とたくさん話し合った。いつ何をする、どんなものが必要で、いくら充てればいいのかななどを洗い出した。

ネットでも検索したし、図書館や書店で本・雑誌を読み漁った。そのようにして、まだ見ぬ産後の生活プランを立てていったのだ。

産後は次のようなプランを立てていた(おおざっぱだけど)。

・退院後は僕の実家で1か月ほど過ごし、両親のサポートを得ながら子育てに慣れていく。
・紙ではなく、布おむつにしてみよう(布はたくさん購入した)
・日中は妻が息子のお世話をメインでして、僕は仕事をする。夜の時間帯や休日は僕が育児をする

産後は実家の助けを借りて子育てに慣れようと思ったけど

しかし産前に立てたその計画は、大きく崩れた。実家での暮らしについては、見事に頓挫した。退院後数日で妻は心身の疲労から実家での生活に限界を迎え、家を出て夫婦だけでの育児を始めた。

両親は当時の妻の行動に戸惑った。彼らからすれば、妻の負担を少しでも軽くしようと気配りをしてのに、なぜ出て行こうとするのか?、と疑問に思ったのだ。両親と妻との関係は一時的に冷たくなってしまった。

産後に人手が必要なことはわかっていた。それで実家を頼ったのだが、予想に反して夫婦だけで息子に向き合うことになった。

在宅パパライターになるとは、夢にも思わなかった

働き方も変えた。当時、通勤を含めると半日家を不在にしており、その間妻にワンオペ育児を強いることになってしまった。妻の心身の具合は最悪であり、「子どもが可愛くない」「死にたい」などと毎日のように言っていて、僕は毎日緊張状態だった。

とはいえ、家計のこともあるし仕事は続けないといけない。家族か仕事かでさんざん悩んだ結果、僕は妻子のケアもでき、仕事時間に融通をきかせようと在宅メインの仕事に切り替えた。

その後、妻はどんどんと回復して会社員として働いている。息子は認可保育所に入ることができた。いま僕は個人事業主として子育てをテーマにライティングをしつつ、保育園送迎と日中の家事、息子の寝かしつけを担当している。名刺の肩書きは「在宅パパライター」である。

人生がコースから外れたように映っているだけ

いまの生き方をしているのは、家族を持ったから、子どもが生まれたからだと思っている。会社に属さず、在宅メインで働くことについてたくさん葛藤し、これが正解なのかとかなり悩んできた。

悩み、力が入ってしまった理由は、当初の計画にしがみついたためだ。自分の中にある「子どもを持ったら、◯◯すべき」「◯◯のようにあるべきだ」との決めつけが、自分を苦しめたのだ。

男性は外で仕事をして稼ぐべき、在宅で仕事をしても集中できない。それらの考えに反する生き方に抵抗を感じてしまったのだ。

でも振り返ってみると、いまの「予想外」の人生は面白い。自分が想像できる範囲を超えた日常は、新しい発見や初めて抱く感情を僕に与えてくれる。

もしいま2年前に戻れるなら、

「大丈夫。人生が想定したコースから外れたとしても、それは外れたと映っているだけ。俯瞰したら、良い方向に進んでいるから」

と伝えたい。

産後、当初の計画や自分の中の決めつけを優先して行動していたら、家族はバラバラになっていたかもしれない。途中経過はどうあれ、「妻と息子と家族でいる!」とのゴールさえ見つめていれば、道が逸れることはないのだ。

今後、2人目ができたときには、想定外の展開を楽しむ心を持っていたい。

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