~EGOな人生~1話

こんにちは、こんばんはEGOです。

今日から私の人生を長編で綴っていきます。

平成◯年の暑い夏にど田舎の貧乏な家庭に1人の悪ガキが誕生しました。(名前の由来は兄貴と妹のはきっちり覚えてるのに私のは両親も覚えていないというショックだった小学生)

小さい頃は良く父親に怒られてばかりで殴る蹴るなんて当たり前、あ、DVとかではありません。愛情のこもった根拠有りの暴力です。当時の私は本当に怖く、父親には逆らえませんでした。それは今も変わらずです。父親は小さい頃からヤンキーで、そのくせバスケの天才と呼ばれていたそうです。今では熊🐻さんですね。母親も小さい頃からヤンキーで、高校の時は毎日学校サボり酒タバコにハマっていたそうで…ただ、体操の天才と呼ばれていたそうです。

そんな運動能力だけが取り柄の2人に生まれたのがEGOです。そして、小学1年生になったある日、ある映画の影響でバスケットボールを始めた。と話の流れからしたらなるでしょう。そうです。全く違うスポーツに興味を持ってしまいました。(今ではこのスポーツが無ければ私はクズ人間になっていた事でしょう)

「少林サッカー」

皆さんも1度は観たことがあるでしょう笑。

この映画を観てサッカーやってみたいという子供が周りにいたでしょうか。いいえ、私だけです。大抵の子供はサッカー選手のプレーや、TVに映るW杯や、外国の選手を見て始めるでしょう。

私はここら辺から人と違ったようです。そして、小学1年の時に少年団に入団します。入団当時は70人近く居たでしょうか。周りの人たちに恵まれて楽しくプレー出来たのを覚えています。が、小学1.2年は真面目に行けなかったと思います。週4の練習も週1になっていました。小学3年の時にライバルが入団してきます。O君です(中学で最高のパートナーとなり、後に高校でライバルとなる)。

O君は自分とは真逆の性格。サッカーに対して真摯に向き合い、努力を欠かさない青少年でした。毎日自己練習をし、リフティングの回数も私とは比べ物にならないくらい差がありました。そこからやっと私のサッカー人生が幕開けでした。

「あ、俺こいつにだけは負けたくねえ」

今までにない闘志が芽生えてきました。4.5.6年生と歳を重ねる度に自分の技量も上がり、O君とは同等くらいにはなっていたと思います。ただ、私のチームには指導者の息子N君が地区で無双するくらいの実力者がいました。中学生に引けを取らない体格、キック力、テクニック。全てを兼ね備えたチームの英雄そのものです。

小学生では、N君、O君、私の3人の活躍で外のサッカーでは県大会上位、フットサル県大会ではベスト4の大金星を上げました。

そして卒団の時。数々の先輩方がここで涙を流して卒団していたのを見ていた私は泣くことが恥ずかしいと思っていた為、「こんなんで泣くはずないだろ笑。」笑っていました。

ここで学ぶのです。人間は痛い時に泣いていい、泣くしかないと思っていた自分。TVで母親が良くドキュメンタリーを観て感動の涙を流すのを見てバカにしていた。そう、感動して涙を流すという人間にある初歩的な感情を。

卒団生1人1人から言葉を監督、コーチ、後輩、そして1番お世話になった両親に捧げます。一応副キャプテンを担っていた私は最後から2番目に言葉を投げかけました。話の途中、泣いているチームメイトの親の中から、号泣している1人の茶髪の小さい女の人がふと、目に入りました。母親です。レガースを何回も忘れて試合当日に戻って取ってもらってきたこともありました、子供が3人もいて、収入も少ない中で高い指導料とスパイクや飲み物、移動費、遠征費。挙げたらキリが無いくらい捧げてくれた。私が悔しくて練習した意味が何1つないと、家で1人で泣いていた時、いつも隣に居てくれたのは母親でした。

「何事にも、やって意味の無い事なんて1つも無いんだよ。良く頑張ったよ。その悔しい気持ちが1番大切なんだよ。次だよ次。ほら、ご飯皆んなで食べよう🍚」


恐らく一字一句そのまんまの母親からの台詞です。今でも鮮明に覚えているくらいに私の脳裏に刻まれている数少ない言葉です。

卒団時に泣いている母親を見て、話しながら自身は、笑っているのか泣いているのか分からない。下を見ると床には沢山の涙の落ちた跡があります。

「え、俺感動して泣いてるのか。ダッサ」

「なんかこういうの言葉で表せることが出来ないけど、気持ちいいな。」


恥ずかしがり屋な私は言葉では感謝の意を伝えることが出来ないけど、その涙で十分伝わったと今、母親に聞くとそう答えます。

サッカーのお陰でコミュニケーションも取れるようになったし、友達も沢山増えた。サッカーから学んだ事は数知れずです。これから中高、大学と語っていきますが、サッカーは、いつどんな時も自分を助けてくれました。バスケをやらせたかった父親には申し訳ないが、サッカーをやっていて良かったと今、心底思います。

そう、当時の私は中学でもサッカーをして、チームメイトに囲まれ、幸せなスクールライフを送る予定であった。

それは予定であり、現実は違った。壮絶な中学生活が始まろうとしていた。

次回→「中学生日記」

乞うご期待!!!


P.S.   小学生時代に私はイジメも受けました。笑恋愛もしました。それは後日暇な時にでも書こうと思います。

長い文章見て頂きありがとうございます。

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