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『愛のえんえん』─鼎談

2020年2月22日(土)にゆめアール大橋[福岡]にて幕が上がる、ブルーエゴナク新作公演『愛のえんえん』。ブルーエゴナクの作品創作に関わる三人に、今作の始まりや創作過程について話を聞いた。

▽ --talk member-- ▽
穴迫信一 / anasako shiniti
------ブルーエゴナク代表・劇作家・演出家・俳優

吉元良太 / yoshimoto route
------ダンサー・振付家

平嶋恵璃香 / hirashima erika
------俳優・カンパニーマネージャー

ー本作がどのように始まったか。

穴迫 まず、ブルーエゴナクのテーマとしてこれまでの作品とも繋がっているのは、伝わらないことの切実さに興味があって作品を作っているという部分ですね。
切実だと思っていても届かなければ意味がなくて、届かないことでその苦しみの容量はさらに大きくなっていく。そういうことが解消されるため、というよりは届かないよねってことを共有するのが最近の作品のテーマになっていました。

それが去年の秋、APAFに参加したことで多国籍の創作現場を体感して、もっと大きな課題を目の当たりにしました。まず言語が違う。政治的背景が違う。歴史的文脈が違う。伝わらないという壁にぶつかる苦しさじゃなくて、伝わらないところからのスタートなんだよね。自分たちの問題意識を覆い込むようなもっと重大な問題がいくつも現われて、自分の考えさえ軽々しくは語れない。

つまり、これまで感じてきた伝わらなさとはスケールが違ったんです。
でもそこで、自分の住んでいる世界から一歩外に出ただけで、個人的なことはもっと沢山の伝わらなさに埋没する、あるいは収斂されるということも知りました。問題の大小に関わらずそれでも共生しようとすることが、次のブルーエゴナクのテーマになっていくのかなとその期間中に思って。

その共生っていうのは、多様性を受け入れる社会ってよりは生物学の共生に近くて。ある程度の利害を受け入れて一緒に生きていくことを選ぶこと。それが自分の体にいることで、自分の食べている餌をそいつに何割かもってかれる、けどそいつが天敵から守ってくれてるとか。人間が共生という言葉を見つける前から、そういう営みが生物の中にあるってことが核心としてある。

そういう話を(吉元)良太くんとしていたら、共生というテーマには避難所がいいんじゃないかって提案してくれて。

吉元 僕は仕事柄、熊本の地震や福岡の豪雨の時も現地の避難所でスタッフをやっていました。その時の雰囲気なども鮮明に覚えています。
だけどテレビで流れているような激しい被害というのはほんの一部で、基本的には避難所を開設してもほとんど人は来ないんです。何時間も係員だけの時間があってそれでやっとポツポツ避難者が来られる。避難所を頼るほどの被害じゃないというのはとても幸いなことなんですけど。

穴迫 避難所は共生を迫られる。仕切りもない中での共同生活のようなものを受け入れるしかない時間。だけど救われている部分もきっとあって。知らない人でも誰かに会ってホッとするとか、そういう作用が起きてるんじゃないかって思ったのね。

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九州でもここ数年災害が続いたけど少なくとも僕は避難所へ避難したことはないし、現状として被災地の復興もままならない中、避難所を扱っていいのかってずっと考えてました。その時に良太くんの実際の経験を聞けたことはとても興味深かった。

近年の災害の中で人が集まる物理的な場所と理由が生まれた。それによって災害からの避難だけでなく、日常から避難するための場所としても機能し始める。
でも実はそういう逃げ込める場所を色んな場所に我々は持っているべきだと思っていて。災害による命の危険はもちろん、災害がなくても私たちは災害に見舞われるほどのショックな出来事が日常にあるわけです。日々の中にある避難所を描くことが、この場所でその人が生きてるってことを描くことにならないかなって。

平嶋 災害→避難というセンシティブな状況、問題としっかり区別しないといけない。そうやって意識して作った部分はありますよね。避難って言うとやっぱりテレビで流れているようなことを最初に想像してしまうし。だから最終的には吉元さんの実体験を取り入れた形になりましたね。

吉元 冒頭のシーンとかは結構リアルですね。


ー創作過程

平嶋 私は『sad』の時から個人のささやかなことに焦点を当てて作品を作っていると思っていて『愛のえんえん』も引き続きそう作られていると感じるんだけど、
それにプラスされて〈届かないこと〉にもう少しフォーカスされた作品だと思うんですよね。穴迫さんが言っていたように、災害からの避難ではなく色んなものから避難してくる人たちのお話になったなって上演を観て思ったんですけど、作っていく上でどういうことが現場で起きていたのかなって。

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「sad」 2018 ロームシアター京都 ノースホール

穴迫 今思い出すと、最初から一気に40分くらい書いちゃって。当初は75分を目指していたから、あれもう折り返してるなって。何の事件も起きていないのに。
(吉元)良太くんとか劇団員の野村さんに相談して「これあと30分で終わるかな?」とか「さすがに何も無さすぎかな?」とか。

平嶋 その段階で私も穴迫さんとお話して。紹介だけで終わってる感じするけど大丈夫?みたいな話をしましたよね。

穴迫 ドラマが起きてないみたいなことは最終的に解決できてるか分かりません。ただそれは真っ当といえば真っ当でずるいと言えばずるいんだけど、演出でそれを解消しているところも大いにある。また、その個人が個人のまま始まって終わるというある意味での味気なさがさっき言ったような焦点を持たせていたんじゃないかな。物語の中に大きなドラマはないように見えるけど、登場人物それぞれの中には何かが起きている。だけど物事は交わらないし進んでいかないことが、結果的に個人に焦点を当てるシンプルさに繋がったんじゃないかなって。

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平嶋 最近の穴迫作品は観ていて嫌な気持ちにならないですよね。登場人物の辛さっていうのがじんわり届くように構造になっているというか。

穴迫 例えば『sad』は文字通り悲しさを取り扱った作品だけど、お客さんの感情を悲しくさせようとかそういうコントロールは全然考えていない。もっと部分的なもの、ひとつのワードとかひとつのシーンを見聞きする中で、お客さんはきっと自分のことを振り返ると思うんだよね。昔の僕の作品はもっと過剰に快と不快をコントロールしようとしてたんだけど、そうじゃなくて、誰かの人生がそこに置かれているだけでも、その隣にお客さんの居場所を作れれば感動できることを知った。だから昔より波風の立たない作品になってきたのかも。

平嶋 押し付けがましさがなくなりましたよね。

穴迫 『ROMEO AND JULIET』とかは共感出来ないことを前提に作っている部分もあって。必死にお客さんの方を向いて喋っているけど誰の言ってることも理解できない。だけどそれでも笑えたり泣けたりすることはあると思うんですよね。
『愛のえんえん』はもう少し静かで、ただ見てたはずなのにいつの間にか世界の中にいるとか、半分体が入っているとか、そういう体験に近付くといいなと。

ロミジュリ写真

「ROMEO AND JULIET」2019  北九州芸術劇場 小劇場


ー新劇団員との創作について

吉元 動きでいうとダンスではなくて自然なものばかりですね。テーマのささやかさにも通じるような、ちょっとした所作とかを配置する作業でしたね。

平嶋 エゴナクの作品は言葉を大量にモノローグとして喋ることが多いから、それとは別に体に出てしまうものをコントロールさせるような振付が多いですよね。出光くんのシーンも実際に漂っているようにも見えるし、精神的にゆらゆらしているようにも見えたりする。シンプルな動きなのに。

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吉元 振付で言うと初めての方が多かったので、慣れていないことも多い中で現場でどんどん振りが変わっていった。僕のイメージはあったんだけど、俳優のからだとの対話の中で違う動きになっていった。

愛のえんえんを作り始める前に、新劇団員向けのワークショップをして欲しいと穴迫くんにお願いされて。その時に考えた振りがあって、ただまっすぐ歩いてきてUターンしてまたまっすぐ戻るっていうとってもシンプルな動き。それに合わせて台詞を言う。日常生活にある動きこそ見つめる必要があると思って考えたんですけど、台詞などの負荷により、少しずつ個性的なズレが生じ始めてそれが面白くて。
彼らのことを知るという意味でも、事前にこういう機会があったのは良かったなと思いますね。

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穴迫 振り付けが加えられることによって言葉に焦点が当たる。動きのルールが分かることで言葉が聞こえてくる。そういう意味では出光くんのところはすごく効果的だったよね。福岡公演ではもう少し全体的にそういう仕掛けをしたいですね。

吉元 最初はやっぱり自分のイメージで作るからね。これでこういうニュアンスが出せるかなとか、自分の身体で検証するしかない。でも俳優さんに渡した時にそうはいかないということが今回は特に多かったかな。

穴迫 演出でいうと、具体的に伝えることを意識してましたね。
竜野さんと出光くんは市民参加で一緒にやってて、小関さんは高校生の時に関わっていて。市民参加とか高校生対象の場合は1から10まで、本当は端折りたいけど彼らの経験値からすれば端折られたくないところっていうのをしっかり伝える。
部分的なダメ出しだとしても全体に通じるようなことを言い方を心がけたり、単純に指示だけでなく何故その言葉が立たないといけないのか、何故その人はそう動くのか。そういう自分で考えられる手引きみたいなものを一緒に渡していました。ここまでは伝えたからここからはお願いしますという。

平嶋 体の使い方のワークショップをしてもらったり、呼吸や発声のワークショップから始めたり、丁寧に稽古をしていこうって始まる段階から話していたけれど、その通りにやってきて今作ができていったんだなって、上演を観て感じました。ひとつひとつ取りこぼさないようにという意識が感じ取れた。

ー福岡で何をブラッシュアップするか

穴迫 本番やってみて感じたのは、異様な緊張感を作品が放っていたということ。もっと楽に見てもらえる仕掛けを作らないとなって。俳優の発語をコントロールすることって難しくて、僕の中にイメージがある分ちょっとしたズレが気になってきて。そこは再現度を上げていくこともそうだし、そういう少しのズレの影響が出ないような、もう少しゆったりとした作品にしたいですね。

ai-kibiru-omote(みほん)

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いよいよ明日2月22日(土)より福岡市・ゆめアール大橋にて開幕です。

キビるフェス2020~福岡きびる舞台芸術祭~参加作品
ブルーエゴナク「愛のえんえん」
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2月22日 (土) 16:00
23日 (日) 16:00
24日 (月祝) 13:00……※チケット残り僅か
◇上演予定時間90分

会場|ゆめアール大橋
(福岡市南区大橋1丁目3番25号)

▼ ご予約はこちらから(開演の3時間前まで前売り予約可能)
https://stage.corich.jp/stage/104874

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ブルーエゴナク「愛のえんえん」特設HP
http://buru-egonaku.com/ainoenen/



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