通貨を流通させること。

ドイツ出張で悔しかったこと。
自国の通貨を他国で使えるソリューションについて話すと、日本では「無理だよ」と笑われたが、ワルシャワ空港の一部のお店ではユーロが使えた。
ワルシャワ空港のあるポーランドの通貨はズウォティ(ズロチとも言うらしい)。
ポーランドではユーロは導入されていない。
だから、値札の表記にもユーロはなく、現地通貨で表記されるだけだ。
物は試しで、「ユーロ、OK?」と店員に尋ねると、「Sure.」と答え、どうなるのだろうかと思っていたら、店員が金額を言いながら、レジのモニターをこちらに向け、下の方を指差した。
そこには申し訳なさそうに、小さくユーロでの価格が記載されていた。
他の店舗で同様の質問をしたら、「No.」とキッパリと言われたから、使えるお店と使えないお店があるようだ。
 
お金の流通の仕方や形というのは、時代によって変わっていく。
そこには、利便性と欲望と安心感が、それぞれ関係している。
安心感というのは、欲望でもある所有欲も混じっているが、この場合は、触覚による安心感だ。
 
旅に出ると、カードの使えない場所というのは山ほどある。
現地の暮らしぶりを感じようと街に出れば、カードですべて済ませられる方が珍しい。
カード決済を導入していない人たちの心情は、「必要がない」からだ。
その人たちに必要性をどれだけ説いたとしてもまったく意味がないし、専用機器を用意したところでも同じ結果だろう。
キャッシュレス推進派が間違うのはここだ。
 
つまり、旅に出ると、必ず両替を行うことになる。
両替は手数料などのコストが発生するが、一番のコストは「心配」だ。
損をしているのではないか、両替所はどこにあるのか、心配はつきない。
正直言って、現地通貨にしたところで、旅人の頭では正確な金額をはじきだすことは難しい。
だから、損の心配をしたところで無駄骨になることは多く、むしろ、帰国して余らせた硬貨を換金する方が、手間というコストは大きい。
それでも、現地通貨を持っているときに感じる面倒臭さはなんだろうか。
その正体は「計算」だ。
損をしていようと、していなくても、分からないというのに、人は損を嫌うため計算する。
さらに、慣れていない単位での計算により、脳味噌を普段よりも疲弊させる。
この二つが、旅する人間にとっての大きなコストとなる。
 
これをクリアーにできるのが、冒頭に言った「自国の通貨を他国でも使える」ようにすることだ。
実際に、ワルシャワ空港でユーロが使えてありがたかった。
おそらくだが、そこには手数料が含まれていたかもしれない。
だが、両替をしようが、帰国後に換金をしようが、手数料は取られるものだ。
そんな大なり小なりの手数料の心配よりも、トランジットのための滞在で、必要最低限の買い物をするのに、わざわざ両替をするはずもなく、余った外貨を減らしたい気持ちが勝る。
そんなときに、自国外の通貨が使えたのは、渡りに船だった。
 
こういうときにカード決済を勧めるのは、問題の本質を間違えている者だ。
日本で笑われたことよりも、海外で既にあったことの方が悔しいものだな。

この記事は執筆者である江口のブログ「サンポノけしき」からビジネスに関することをまとめています。オリジナルで読みたい方はこちら

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