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私の隣に安西先生はいなかった①

小さい頃から絵を描くのが好きでした。
はじめの頃はただ絵が描くのが好きだからという理由でした

小3の頃、私は算数の授業で九九が覚えられなかった。クラスメイトは九九が完璧、でも私はどう頑張っても覚えられませんでした。
追いつく為に、覚えるのを諦める為に、絵に逃げました。それは小学校卒業まで続き、中学卒業まで続きました。

ダラダラと絵を描いていた高1の時に、同人アンソロジーに初めて参加しました。自分の絵が当時憧れていた絵師と同じ本に載る熱い展開!少し絵を描くことに対して考えが変わった時期です。
72ページのうちの1ページになっただけなんですけど、すごいことですよね。
逃げる為とはいえ絵を描くことが好きだった私、なぜか音楽科のある高校に進学してました。当時自分の音楽の才能と協調性のなさに嫌々していた私はだんだんと不登校気味になっていきました。
そして同級生の一言が中退のきっかけになりました。

「なんで絵の学校行かなかったの?」

勝手に傷ついた私はメンヘラ度に磨きをかけていました。
部屋に閉じこもって、死ぬほど寝て夜中に動く私。親はいい気分ではないようで「ゴキブリ」「豚」「モグラ」とか色々言ってましたね。

流石に家に居るのが辛いので、居酒屋のアルバイトをはじめました。高校にも行かず、バイトして家帰って寝るだけの生活に辛くなってきた3ヶ月目キッチン担当のネパール人にいじめられて死にたくなって、バファリンを10錠以上飲みながら接客しはじめます。
バフ掛けかな?バファリンだけに

ある日、本当にしんどくてバイト中に号泣してしまい
「ここで休憩してな」と優しく言われ物置で静かに泣いてました、その後壁にかかっていた延長ケーブルを使って首を吊ってたら見つかって辞めさせられました。

高校も中退、私立の高校だったので、せっかく入学したのにと家族にも呆れられ部屋に閉じこもりました。
「なんで絵の学校に行かなかったのかな、もう絵も諦めて死んじゃおっかな〜」

諦め癖のついてしまった私は生きるのことを諦めようと必死でした。
死ぬことに”ポジティブ”でした。

そして300錠近くのバファリンとイブを飲むのでした....

②に続く

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