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今まで間違えていた「時間の使い方」。衝撃的で、人生がガツンと変わった。

こんにちは。えぐらんです。

子供が産まれ、仕事に復帰してから私の頭にはいつも「時短」や「何時までにこれをする!」にたいな常に時間に追われる生活をしていました。

定時までに仕事を終わらせる。子供を早く寝かしつけないと癇癪が起きたり、地頭が悪くなってしまう。その対策のためには常に家事も育児も時間を決めてその時間内でやる!という強い意志を持って動いていました。

一方、夫はのんびり。頼んでも「後でやる」と言って、日付が変わってもやってくれないので、結局私がやるみたいな感じでした。夫の気分が向けば家事をしてくれるのですが。。。

なのでやるかやらないか分からない夫を当てにするより自分でやってしまおう。そのためには何時までにやらねば!みたいな感じで家では常に動いている感じです。

ちょっと愚痴になってしまいましたが、そんな感じで仕事を復帰して数年が経ちます。だいぶ家事育児仕事のバランスも取れてできるようになってきました。

以前に比べたら娘も少しずつ手が離れるようになり時間ができた。でも何か物足りない。このままこの暮らしがずっと続く形でいいのか。不満までいかないモヤモヤが自分の中にムクムク育ってきました。

そんな時この書籍「限りある時間の使い方」に出会いました。
衝撃でした。今までライフハックを極めていた自分としては「ライフハックを極めることの弊害」などが書かれていて、ライフハックを極めてしまう落とし穴が分かったのです。

日々、何か物足りないと思ったり、満足できない日々を過ごしていませんか?
不安感が強い場合は「愛着障害」による傷かもしれませんが、ただ物足りない場合、あなたは時間の使い方を変えることで人生の充実度が格段に上がるかもしれません。

そしてこれは頑張ることは全然ありません。でももしかしたら便利ツールで忙しなく時間を過ごし、「逃げ」をして自分の時間と向き合えていないかもしれません。

向き合い方を変えることで、人生の充実度ガツンとあげていきませんか?
私が「限りある時間の使い方」を読んで得た学びを綴ります。

「時間」とは何なのか。「時間がある」と考えることの弊害


さて、まず当たり前にある「時間」について考えてみたいです。「時間」を考えるようになったのは第一次産業革命以降、つまりここ250年程です。

それまでは農業などが中心で、時計もなく、時間を管理して仕事をするという感覚がなかったとのこと。昔の人の時間の流れはとてもゆっくりで、目の前にあるものをやる、自分ができる以上のことをやるなんて考えなかったのだと思います。

情報も教育も限られてる250年以上前では当たり前だったのでしょう。

そんな中、産業革命で工場で一斉に足並みそろえて働く必要が出てきて「時間で管理する」という働き方になりました。

それから私たちは自動化する機械を作り、家電を作り、どんどん時間を短くしているのに自由になる時間はいっこうに増えません。これはより完成度の目標が高くなっているからだとのことでした。

便利になり、通信速度が速くなり、AIを使って自動化する仕組みを作っても私たちは労働の時間を削減するどころか益々短い時間で成果が求められ、息つく暇なく仕事をすることになってしまいました。

流行語には「タイパ」というタイムパフォーマンスを略した言葉まででできました。

私たちは「コスパ」、時間あたりのパフォーマンスを図るコストパフォーマンスと同じ様に時間あたりのパフォーマンスで物事を図るようになってきています。

しかしそれは「時間」を支配できるもの。数えられたり、固定したり、きっちり管理できる前提です。そこがコスト(財)と違うところで、正確に「時間」は支配できません。

「時間」とはただ流れるものであり、その時間を支配できると思うから矛盾が生まれ苦しむことになると本書では書かれていました。


時間を支配しようとするほど、時間に支配されること


私は時間を支配しようとして支配できず、日々苦しかったです。何時までに家事を終わらす。何分で支度をする。昼までにこの書類を作成する。会議の後、定時までにこのデータ分析の結果をパワポでまとめる。寝かしつけは何時にする。日々日々時間を考えて生きてきました。

時間を支配できると思っていました。しかし時間は一人で配分するものではなく他の方から話しかけられたりお願いされたりしてあっという間に時間がなくなる。一人でやっていても自分の想定以上の時間がかかったり、他のことに気が向いていつの間にか時間オーバーということが多々です。

私は常に効率よく生きたいと思い、時間を考えていたので「時間の呪縛」に捕らわれていました。たとえで言うなら絶対に支配できないものなのに支配できるという信念をもって、その支配ができなくて毎日絶望するのです。

この絶望は私が「時間はコントロールできる」と思っていたからです。このマインドセットを外すことが重要なのです。

時間とは川の流れのよう。


時間とはただ流れるものです。お金のように今いくらあって、あれに何円、これに何円、ぴったり使いきれるというようなコントロールはできません。

時間とは川のようにただ流れていて、私たちはその川の中で佇んでいるような感覚です。

私たちは川の中にいても川の流れを変えることはできません。川は常に上流から下流へ流れている。せき止めても溢れるし、すくってもすぐ次の流れが流れてくる。

私たちはただその流れている川の中にいて、川を感じることしかできない。

私は川を支配できると思い、試行錯誤してみたものの、うまくできず、理想の自分になれず毎日悔やんでいました。

時間とは川の流れのように決して止めることはできない。前借もできないし、戻ることもできない。みんな平等に今という時間があり、脈々と「今」の時間が連なっている。

その時間で何をするのか、その積み重ねが未来になるのです。

未来のための今にしない。

こうやって考える時に注意しなければいけないのは全て未来のために時間を使うことです。

私たちは常に未来のために時間を使うことに慣れてしまっています。テストでいい点をとるため、大会で上位の成績をとるため、受験に合格するため、就職するため、昇進するため、老後を安泰にするため、インスタでいいねと言ってもらえるため、子供がいい成績をとるため。

未来のためではない、「今」を純粋に楽しむ時間をどれだけ確保できるでしょうか。ユダヤの人は安息日(ユダヤ教の日曜日)には火を使うことも禁止し、仕事や家事をせず休むために時間を使ったそうです。ゆっくり友人と話したり飲んだり、教会に行ったり、スポーツをしたり。将来のことを考えずゆっくり休む1日が必要だと考えそのように充てていました。

日本でも昔は正月は家事などせず、作り置きしたご飯を食べゆっくり休んでいました。

しかし私たちは休むことをせず、横のつながりも少なくなり、ひたすら働くようになってしまいました。仕事を休んでいても1週間分の作り置きのおかずを作ったり、勉強したり、将来のためにジムに行ったり。「楽しいから」という理由で行動できているでしょうか。

私は全然できていませんでした。

休日も子供の情緒や運動面に良さそうなこと、1週間分の家事をして、捻出した時間は勉強して、「自分が楽しい事」をするという発想が最近すっぽり抜け落ちていました。

川の流れのように私たちは時間をコントロールできません。だからこそ「今」を純粋に楽しむ時間は重要なのです。

自分はできないということを知る。欲張らない。


純粋に今の時間を楽しむための時間を過ごそうと思っても、その時間を捻出することって難しいですよね。

だから先に「自分が楽しむ時間」を確保してしまうのです。

全部やって余った時間を「自分が楽しむ時間」にすると家事も仕事も終わらず、結局自分が楽しむ時間を作れません。それは貯金も同じようなものですよね。先に貯金分を確保して別口座にしないと、使う口座に全ていれるとお金を使い切ってしまう。時間も同じです。

自分が楽しむ時間を確保して、残った時間で家事をしたり、勉強をしましょう。もちろん睡眠を削ったりせずです。(睡眠は一番心に大切な時間ですから)

7つの習慣の第3の習慣でも同じことを話していますね。

この考えで間違いやすいのが私たちは1日という時間を全てコントロールできていて、大きな石も小石も砂も入れれると思っているところです。実際は自分が持っている大きな石や小石が瓶に入るのか溢れるのか分からないということです。それなのに人は大きな石や小石が工夫すればたくさん入ると信じてしまう。

だからできないことはさっぱりやめるべきなのです。自分にとって重要でないものはバッサリ切り捨ててしまいましょう。

そして自分が楽しむ時間をたくさん1日に入れましょう。


まずは自分が楽しむ時間って何かリストアップしてみましょう。できれば子供の頃や学生の頃を思い出してください。私は

- 美味しいものを食べること
- ブログを書くこと(このnoteもです!)
- 旅行をしてその土地のことを知ること(歴史観とか好きです)
- 漫画を読むこと
- ゲームをすること
- ボルダリング

とかが思いつきました。

この中で「人と時間を共有すること」それこそが人は幸福を感じると本には書かれていました。確かに思い出すことと言えばボルダリングサークルでみんなでわいわい登ったことだったり、漫画を読む時間も楽しいけど思い出すのは友人と漫画のネタで盛り上がってワイワイ言ってることだなと思います。

人は時間を共有することで「楽しい」と思うらしいです。現実世界でもいいですし、チャットとかSNSでも。だから人はSNSにハマってしまうのかもしれませんね。

子どもとの時間の向き合い方

私の中で「子どもとの時間の向き合い方」が一番ネックです。つい子供と遊ぶときは次の家事があるから「20分ね。」などと時間を区切って向き合っています。

どうすれば子供との時間を充実して過ごすことができるんでしょうか。私の子は大きくなり最近一緒に遊べるゲームも増えてきました。そういう時に子供のため、子供の将来のためとか考えず、純粋に私もゲームを楽しむのが重要かなって思っています。

私がやりたいことをやろうと誘い、やりたくないことはやらない。子供を育てようと思わず、対等に接し、子供との時間を純粋に楽しむ。

ついつい教育ママになりがちな私は子供と公園に行っても「今からサッカーをしよう」とか「体をつかって遊ぼう」、家に帰ったら「知育になることなら一緒にやるよ」みたいな感じでした。常に子供の将来にとってプラスかどうかを考え、子供を支配しようとしてたし、子供の時間もコントロールできると思っていたんですよね。

そうじゃなくって、やりたいことを一緒にやる。一緒に笑い合う時間が私にも子供にも大切だと思えるようになってきました。子供に寂しい思いをさせない、子供も心から笑える、そして自分も心から笑える、そんな時間が毎日もてたらそれだけでめっちゃ幸せですよね。

将来幸せになることももちろん大切ですが、それは子供が考えること。子供にとって幸せなことと、親が考える幸せって絶対イコールではないから。だからこそ「今」を一緒に共有して、一緒に笑い合える時間が大切かなって思います。

「今」を大切にするとは。

今を大切にすること、私は今まで全然考えてなかったなって思います。常に先のことを考えて、先が楽になるようにって。でもその先は「今」の延長線だからまず「今」を大切にしないとですよね。

「今」を幸せにせず、「将来」の幸せのために生きるって、きっとずっと「今」の積み重ねでできあがる人生をもったいなく過ごしているんだと思います。

だからこそ毎日をご機嫌に、今をご機嫌に生きることが大切。

今をご機嫌にするために手放すことも大切。相手の気持ち・相手の行動・時間を管理できるという思い込みは手放す必要があります。

私たちは「今」を積み重ね、「未来」にたどり着きます。あなたの「今」を自分でご機嫌にできますか?相手ありきではありませんか?夫がこれしてくれたら、上司がもっとあれだったら。

他人は変えることは難しいです。不確実な他人に自分の機嫌をゆだねず、自分がご機嫌になれる毎日にしましょう。

自分がご機嫌になると他人がうるさく言ってきそうですか?なぜそう思うのでしょうか。もしかしたらそれは親から支配された言葉に心が縛られているからかもしれません。

あなたは自由です。あなたがどう行動しても、あなたが何を思っても、あなたが何を選択しても自由なのです。「今」自分がワクワクすること、自分をずいぶん大切にしてなかった私はその気持ちをようやく思い出しました。

「今」の自分がワクワクすることで毎日を彩り、日々楽しくワクワク生きていきたいと思いました。

とても良書で、ライフハックとか効率を極めてきた人にはとても衝撃的な本だと思いますのでぜひ「限りある時間の使い方」手に取って頂ければと思っています。


youtubeでは要約動画もあるのでそちらを見てみるのもオススメです。
内容が多岐に渡っているので要約する人の切り抜き方で要約も大きく変わっています。


私の「限りある時間の使い方」を読んで考えたことをを読んで下さりありがとうございます。

ぜひ「今」をワクワクでいっぱいにして、「今」が積み重なった人生、楽しく生きていきましょう!

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