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おやすみ30分

 昔から人に忘れられることが怖くて、小学校の卒業式でのなぞの決意表明の場では「人の記憶に残る小説家になりたい」と高らかに宣言していたり。
 転校していった女の子に再会したらわたしのことを覚えていなかった。街中で声をかけてきたあの男の子は中学の卒業アルバムに載っていた。罪悪感。
 忘れたくないし忘れられたくない。トラウマを植え付けてでも一生その脳内にこびりついていたい。嫌な思い出であっても死ぬまでだいじに覚えている。わたしはきっと。
 記憶は人の存在の根源に関わっていると言うが被忘却を極端に恐れているわたしは、口では文章では「死にたい」を乱発しておきながら死ぬことを恐れているんじゃないの死にたくないんでしょ本当は、という雑な結論。
 遺すこと、わたしがいたという明確な痕跡がほしい、それこそ世紀の大犯罪者にでもなってしまおうかと思ったこともある。それなら、人類が終わるその日まで、罵倒されるというみんなの行為で居残り続けられるでしょ。馬〜鹿。

 でも今日は生まれて初めて消えてしまいたいと願ってしまった。生まれて生きていた痕跡を全て無かったことにして。そうすればわたしは解放されるし、いなくなっても元からいないのだからだれも悲しまないで済む。ってかそもそも誰も悲しまないかな。あ~、自殺した友達というコンテンツに成り下がることもない。誰かの恍惚なメンタルヘルスに干渉することもない。そうだよね
 なんだか悲しくなってしまったけど、いつもなら軽率に出てくる涙も居なかった。気持ちに振り回される人生、の筈なんだけど、案外普通な顔してアルバイトしてるし洗濯物をするし排水溝も洗う。大人になることが感情への愚鈍さというのであれば大人になんかなりたくないよとやっすい言葉をぽろぽろする。つらい。ほんとは悲しくないのかもしれない。つらい。つらい。つらい。つらい。つらい

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