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文学性がある

以前、保育補助のアルバイトをしていた時、ぼくがつくった絵本を園長先生と繋がりがあった絵本の編集者さんに見ていただく機会がありました。


その際、ありがたいことに絵本のフィードバックを2名の編集者さんにいただいたのですが、その中に「文学性のある作品ですが、それが絵本に必要があるのかを考えてみるといいかも」というようなコメントがありました。


個人的には文学作品に影響を受けた人間なので、文学性があると言われると恐れ多い感覚と嬉しい気持ちの両方があったのですが、絵本において文学性が必要かどうかと問われた時に、ぼくはあってもいいんじゃないかなと思いました。


理由はいくつかありますが、まず一つに大人にも絵本の需要が高くなっているので、絵本に文学性があるというのは大人からすると読みがいがあっていいのではないかという理由です。今の時代、大人でも文学作品を読まない(読めない)人は多いので、それを絵本で感じられることはいいことではないかなと考えています。


もう一つの理由も同じような理由ですが、大人が文学作品を読めないのなら、必然的に文学を読む子どもも少なくなるわけで、そういったことを考えた時に絵本を読んで文学性を感じられることはいいことではないかなと思います。もちろん、小学生になってからしか感じ取れない内容にはなってしまいますが、それでも文学性を残す意義は高いと考えています。


最後にですが、これは個人的な理由になるのですが、文学性のない子どもが楽しめる絵本というのはぼくがつくらなくても世の中に溢れかえっているので、わざわざぼくがつくる必要はないという理由です。これは本当に心の底から思うことで、世の中に溢れかえっているものをわざわざつくることよりも、自分がつくりたいと思う作品をつくることに時間を使いたいなと思っています。


改めて言いますが、言葉の芸術である文学の風合いが自分の絵本にあると言われるのは恐れ多いのですが、ただプロの編集者さんに言われたということは確かなので、少しはそういった味わいのある作品だと言ってもいいのだろうなと思っています。


ただ、ここで文学性だけを追求すればいいというわけではなく、ちゃんと子どもが絵本を読んで物語の中で迷子にならないように、ちゃんと道しるべをつけて読みやすくするような工夫も考えないといけないことも確かで、そこはぼくにとっては大きな課題です。大人向けだけではなく、子どもも読める絵本をつくりたいと思うからです。


ぼく自身が文学の言葉から気づきや感動をいただいてきた人間なので、そういった普遍性のあるメッセージは絵本づくりを通してこれからも模索していけたらと思っています。

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