役者って。。?

たとえば、役者。
役者ってのは、ある意味では心で体を支配できる、支配できる訓練をしている人間なんじゃないだろうか。そんな気がする。
自分を自分でその気にさせられるのだ。
その時の自分の気持ちは無関係。求められる感情を表現しえる。

所作動作表情行為行動。 それらはすべからく気持ちから発現してくる。それを、求めに応じて現すことができるのだと思う。
だからだろう、スポーツ選手や(ロック)歌手出身の役者がけっこういる。
ある設定された状況の中で、ひとつの目的にむかって自分をたちむかわせていくことができる。
特にボクシング界出身者が多い、様に思う。
もっと他のプロスポーツ選手出身の役者がいてもいい気もするけど・・?
また、ロック歌手出身の役者がけっこういるってのも、一考ありだ。なんでだろ?と。例えば、陣内孝則、泉谷しげる、内田裕也、世良正則、ジョージ大倉、など。

役者といい、俳優といい、演じるということは・・?。 
別の境遇に憧れたり超能力を夢みたりすることはあるけど。
というか、その前に羞恥心といったもんはないのかな。
ないんだろなぁ・あったら演じてられないんじゃないだろうか。?
何何ごっことか何何のふりとか、そういった虚構化。
(現実世界の中に作り出すもの、あくまでも一時的な虚構。存在意義がなくなれば消滅するもの) から、私はずいぶんと遠ざかってしまっているな。
精神分析学者の岸田秀は、全ては共同幻想と断じた。

そういえば、去年の夏頃 『虚構と現実』『リアルとバーチャル』 についての日記をかいたことあった。

私には役者の仕事をしているプロの友人が身近にいないのだけれど、 いたとしてもその人の名は芸名では呼ばないだろう。

私は映画をみるのは好きだけど、演劇をみることは好きではない。
殊に、演者が楽しそうにやってたりしたらなおさら私は醒めてしまうだろう。たとえばミュージカル。
今はわざわざお金をだしてまでして見にいきたいとは思わない。

たまには、私自身、何何ごっことかやってみたらいいのかもしれない、けれど・・

他人のめ、だった。

プロの役者って、他人にこうみられるには自分はこうすればいいってのが判っちゃうものなのだろうか?
いつも他人からのめを気にしてるのかな?

よく判らない。
どうとらえたらいいのかな?
演技のうまいへたの差っていうのは、やはりみている他人の評価でしかないのだから、演じている人本人には評価できないと思う。
だから演出者とか監督ってのがいるんだろう。

役者って、不思議だと思う。


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