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必ず最後に愛は勝つ

 地道に生きると言うのは簡単だが、実際にやってみると難しい。ただ単調な道であっても、どこかで躓きや焦りを感じ、挫折してしまいそうになる。他人からほとんど注目されないような一般人でもそうなのだから、人に注目されるような道を歩く人たちは、受ける重圧がはるかに大きく、しんどいのではないだろうか。それを跳ね除けるのが天才なのか、そもそもそんな重圧など全く意に介さないのが天才なのか、凡人にはわからない。

なぜスポーツを観るのか

 勇気は伝染する。伊坂幸太郎の小説で有名になったこの言葉は、もともとは心理学者アルフレッド・アドラーのものだ。臆病が伝染するように、勇気も伝染する。

 人々がスポーツを見る理由は、この言葉に集約されるのではないかと思う。選手1人1人が刻む一挙一動に、彼ら彼女らの人生が詰まっている。生まれ持った才能も、培ってきた努力も、支えてくれる人たちも、その先の未来も詰まっているだろう。私たちはそれを見て、興奮や落胆以上の何かを感じ、明日を生き抜く勇気を得ているはずだ。

 私自身、小さい頃から巨人ファンとして生きてきたため、野球を通じて、確かに勇気を貰ったと思えるような瞬間を何度も経験した。コロナで1人の時間が増え、ゴロゴロしているのももったいないので、そんな瞬間、勇気を貰った一瞬について、少しずつ書いてみたいと思う。

 最初の一瞬は、大スターかと聞かれるとそうではない、少し地味な選手のプレーについて。2019年のCSファイナルステージ第4戦、6回無死1・2塁からの、大竹寛選手の投球である。

心配ないからね

 私は、長い間大竹選手が嫌いだった。

 大竹選手は、2013年のシーズンオフに、広島東洋カープから巨人にFA移籍し、当初は、先発の柱の一角を担うことを期待されていた。FA移籍では、該当選手の年棒が元所属球団で10位以内だった場合、人的補償が発生する。人的補償とは、簡単に言うと生贄みたいなものだ。年棒が球団で10位以内に入るようなトップクラスの選手を取る代わりに、プロテクトリスト(受け入れ先球団が作成した28人の自チーム選手保護リスト)から漏れた選手(若い選手であることが多い)の中から1人、元チームに選択させ、引き渡す。大竹選手がFA移籍で巨人に来た時、人的補償に選ばれたのは一岡竜司という選手だった。私はこの一岡選手が大好きだったのだ。まだ活躍はしていなかったものの、2軍でたしかに才能を見せていた。なぜ、大竹選手のために、一岡選手を引き渡さなければいけないのか、不満だった。その不満は球団フロントではなく、そのまま大竹選手本人に向かった。だから、私は大竹選手が嫌いだった。

 その後、野球ファンならご存じの通り、事態は最悪な方向へ向かっていった。(まあ、世の中の半分以上はアンチ巨人なので、世の中の半分以上から見たら最高に滑稽だったかもしれない。)大竹選手は巨人に来てからぱっとしなかった。最初の1年は、めちゃくちゃ悪いという訳でははないものの、正直に言ってFAで取るほどの成績は残してくれなかった。次の年からはもっと最悪だった。通算100勝できる投手だとうたわれていて、実際現実的な数字ではあったが、それよりも通算100敗の方が近くなっていった。いつぞや誰かが言ったように、10勝しても10敗する投手はいらない。4年目以降に至っては、正直見ているのが苦痛なレベルでひどかった。巨人というチーム自体も暗黒期に突入し、優勝争いから遠ざかっていった。それだけならまだしも、人的補償として広島に移籍した一岡選手は、2017年にして勝ちパターンのリリーバー(要するに、めちゃくちゃすごい選手)になり、広島の優勝に貢献した。大竹選手を手に入れるために、一岡選手を手放した巨人は、その点においてあまりにも情けなく、みじめな球団だった。

 大竹選手のせいではないが、大竹選手が一岡選手と比較され、ヘイトを集めていたころ、巨人は球団としても最低最悪な状況にあった。笠原以下数名による野球賭博の発覚、球団史上初の13連敗、楽天からトレードで素行の悪い選手をつかまされた結果として起きた、チーム内における盗難事件の発覚、等々。巨人ファンをやめた人間も多くいるだろう。私も正直揺らいだ時期だ。大竹選手にとっても、自分は思うような成績を残せず、球団は最悪の状態、しかも古巣では自分の人的補償が活躍し、リーグ優勝に貢献しているという状況だった。この時、大竹選手はいったいどのような気持ちでいたのだろうか。後悔や重圧は間違いなく感じていただろうし、ネットに書かれた誹謗中傷や、一岡選手と比較してバカにされる記事を目にすることもあったかもしれない。

 繰り返すことになるが、おそらくその当時の多くの巨人ファンと同じく、私も大竹選手が嫌いだった。好きだった一岡選手が他球団で活躍するのも見たくないくらい嫌いだった。野球選手は、ホームゲームでマウンドまたはバッターボックスに立つとき、思い思いの曲を流す。大竹選手の登場曲は、KANの「愛は勝つ」だった。自分の名前の「寛」と「KAN」をかけたのだろうが、私はその曲が流れるたび、白々しい気持ちになっていた。何が「心配ないからね」なのか。心配しかないわ、と。

どんなに困難でくじけそうでも

 ここで、大竹選手の人柄について触れておこう。大竹選手は、温厚で優しく、明るい人柄で知られている。投手コーチにムードメーカーと評されていたこともあった。ラーメンが大好きで、「サザエさん」のマスオさんのものまねが得意。そのひょうきんさは、チームの広報を通してファンにも十二分に伝わっていた。ファンから見たらそのひょうきんさが苛立たしくもあっただろうけれど。

 2018年シーズンも、大竹選手の成績は散々だった。35歳と、野球選手にしては高齢というシーズンで、成績は下降、2軍ですら炎上している。そんな選手のオフシーズンに待ち受けているのは、クビである。野球選手は個人事業主。成績が残せなくなれば、球団から契約を切られる。当たり前の話だ。実際、2018年に戦力外通告(クビ)を言い渡される覚悟であったことを、後に大竹選手は語っている。球団もそのつもりだったらしい。その決定に待ったをかけたのが、2018年のオフシーズンに3年ぶりに巨人の監督に復帰した原辰徳だった。「寛ちゃんはまだやれる」と言ったそうだ。多くのファンは、大竹選手が戦力外通告を言い渡されず、平然と契約更改を行っていることに驚愕した。

 原監督は、大竹選手に、先発投手から中継ぎ投手へのいわゆる配置転換を言い渡した。しかし、2019年シーズンに入っても、しばらくは2軍で炎上する生活を送っていた。1軍に「ムードメーカー」として呼ばれ(投手コーチが本当にムードメーカーとして呼んだとか言ってた)、1球も投げずにそのまま2軍落ちしたときはマジでなんなんだこいつと正直思ってしまったことを告白しておく。

 2019年シーズン中盤に、中継ぎとして、大竹選手はその年2度目の1軍昇格を果たした。1度目の昇格が先述した通りムードメーカーとしての昇格だったため、今度もそんな感じかと思い、原監督はふざけているのか、とイライラした。当時の巨人ブルペンは火の車、爆発炎上と四死球による自滅を繰り返す最悪なリリーフ陣だった。元々先発で、近年はほとんど成績を残せていない大竹選手が入ったところで、焼け石に水だろう。当時の大竹は98勝99敗で、通算100勝と100敗のどちらをも目前にしていた。多くのファンが、100敗を一瞬で達成し、もう二度とその姿を見ないだろうとまで思っていたかもしれない。首脳陣も、最初は明らかに負けパターン(敗戦濃厚な試合での後処理係)としての起用を想定していた。直前まで2軍ですら炎上していた選手なのだから当たり前の話だ。しかし、いざ1軍で投げてみると、大竹はピンチをよく凌ぎ、それなりに抑えた。いつしか起用法は火消しになり、勝ちパターンのセットアッパーになった。決め球のシュートボールはほとんどの場面で有効だった。気づけば、100敗の前に100勝を達成し、防御率は2点台、巨人のリーグ優勝決定試合でも勝利投手として名を刻んだ。

 彼に一体何があったのか、彼以外にはわからない。ただ、前年に監督が変わっていなければ確実にクビだった「終わった選手」が、先発投手から中継ぎ投手へと転身し、いきなり復活したという事実がそこにはある。

 しかし、2019年にいくら活躍していたと言っても、やはり一岡選手のことを思うと私にとってはまだ苦手な選手の部類だった。そのままポストシーズンに入り、冒頭に紹介した、クライマックスシリーズ第4戦の話をすることになる。

君の勇気が誰かに届く明日はきっとある

 その日、私は東京ドーム内野の2階席で試合を観ていた。この試合に勝てば日本シリーズへの進出が決まる大一番である。6回表、巨人は序盤に点を取られたものの、岡本選手のホームランで同点に追いついていた。巨人の先発はドラフト1位ルーキーの高橋投手。ピンチに強く、変化球もいい決め球を持っていて、個人的には大好きな選手なのだが、球数が嵩むと四球を乱発してしまうという致命的な欠点を持っていた。案の定、同点の緊迫した場面で上位打線に対して四球を連発し、無死1・2塁というピンチを作ってしまう。そこで投手コーチがマウンドへ行き、お役御免に。ルーキーながら大一番で5回を1失点にまとめた高橋投手に、東京ドームの巨人ファンから暖かい拍手が送られる。とはいっても、こんなピンチで投げられる投手などいるのだろうか。少なくとも最少失点は覚悟した。場内には明らかに不穏な雰囲気が充満していた。

 次の瞬間、東京ドームに響いたのは、KANの「愛は勝つ」だった。「心配ないからね」と歌うKANの声と、大きな声援を背景に、大竹寛がアナウンスされ、マウンドに向かう。嫌いな選手だったはずなのに、クビを切られる直前まで行きながら、こんな大事な場面でマウンドを任されるまで信用を回復した背番号17が、身勝手ながらあまりにも頼もしく見えた。大竹選手の真髄は、シュートボールという変化球で打者をゴロに打ち取るというところにある。無死1・2塁の場面では、ゲッツーを打たせる最高の球を持っているということだ。

 1人目の打者・北條に対しては、狙い通り、1球目にシュートを投げ、ゴロを打たせたが、力ない打球が3塁方面に転がってしまい、ゲッツーを取ることはできなかった。場面は1死1・2塁へと変わる。

 2人目の打者は、前の試合でホームランを打っていて、ここ数打席全てヒットの阪神主砲・大山。ゲッツーを狙う配球だった。低めにシュートやスライダーを投げ、結果的には三振だった。場面は2死1・2塁となった。

 3人目の打者は梅野。明らかに三振を狙っていたのが分かった。ボールゾーンぎりぎりの変化球を、梅野は立て続けに振ってくれた。追い込んだ最後の一球、明らかに打者は内側を意識していた。そこに、アウトローのスライダー。キャッチャーの大城がその位置にミットを構えた瞬間、裏をかいたな、と思ったし、あとから解説付きの映像を見たら、やっぱりそう言っていた。リリースされた球はキャッチャーが構えたところにそのまま吸い込まれていき、梅野のバットは空を切った。空振り三振。無死1・2塁の大ピンチをしのいだ瞬間である。

 場内は一気に大歓声に包まれた。クライマックスシリーズのファイナルステージだから、レフトスタンド1/2以外は全員巨人ファンだ。まして最悪のピンチを完璧に抑えたシーンである。おおたけ、おおたけ、と、いつもの何倍もの声援が浴びせられた。私も叫んでいた。この瞬間だけをきりとって、彼が1度終わりかけた男だなどと誰が思うだろうか。いろんな重圧や後悔に悩まされた日もあっただろう。実際、ほとんどのプロ野球選手は、そのまま消えて行ってしまう。巨人ファンのほとんどは半年前まで大竹の投球を信頼していなかったわけで、それを考えると野球ファンはなんと身勝手な生き物だと思うし、私自身も反省する。それまでの数年間の重圧を跳ね除けて、大竹は堂々とマウンドに立っていた。

信じることさ 必ず最後に愛は勝つ

 明るい人柄で、チームメイトからの信頼も厚いと言う。そのチームメイトの支えがあったのかは知らないが、「愛は勝つ」の歌詞にある通り、どんなに困難でくじけそうでも、信じることをやめなかった、大竹選手の確かな強さを知った。野球を越えて、1人の人間として尊敬すべきだと思う。自分にはそんなに強い心も信念も人望もない。大竹選手はきっと全てを持っている。同時に、それまで彼に抱いていた短絡な感情を申し訳なく思う。

 その年、国際試合の1つであるプレミア12が開催され、大竹選手は日本代表として日の丸を背負い、優勝に貢献した。正直、阪神勢とかが辞退したゆえの選出だったのだろうと思うが、そうだとしても、まさかクビを覚悟した1年後に日の丸を背負っているなどとは、本人も想像していなかったのではないだろうか。

 大竹選手がクライマックスシリーズで放った渾身のスライダーを、私は生涯忘れない。今でも、何度もそのシーンを(録画で)見返している。その回の裏に、丸選手が2死3塁の場面でセーフティスクイズをするという野球の神様もびっくりなスーパープレイを見せたことで、大竹選手の投球がかすんだところも、なんだか大竹選手らしくて好きだ。2020年は37歳、リリーフ陣の縁の下の力持ちとして投球を行う。

 大竹選手が、自身の暗黒期をどのように見つめているのかは知らないけれど、自分がくじけそうになっても、知らない人からバカにされても、自分が信じた道をひたむきに歩き続ける強さが欲しいと思った。全部が全部報われるわけではないだろうが、あきらめてしまえば100%そこで終わりなのは確かだ。少しの可能性をあきらめなかった者だけが、報われる権利を得る。

 これは、私が野球を観て貰った1つの勇気である。


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