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All about me 〜等身大の自分を受け入れる

順序が逆になりましたが、簡単に自己紹介を☺︎

あまり体力がないくせに運動するのが大好き。
静岡に住む三姉妹の母です。

2022年4月~市内の小学校にて、外国語授業支援員 (通称GET)として、子どもの英語教育に携わっています。
ちなみにGETとは"Glocal English Teacher"の略で、英語が堪能な地域人材のこと。
ALT (Assistant Language Teacher)と違うところは、英語が母語レベルである必要はなく、globalとlocal両方の知見を持った日本人が支援する、という点です。

私はアメリカ・カリフォルニア州の大学に4年間留学していた経験と、帰国後5年間、海外の機関投資家に向けたマーケティング活動に従事していた経験があります。

自身の学びや経験を少しでも子どもたちの未来に還元できるような活動をしていきたい。

そんな強い想いと静岡愛をかってもらえたのか、私にとって「教育現場」は未経験の分野ではありましたが、GETとして採用してもらえることに。
それが私が子ども英語に携わっていくきっかけとなり、30代後半で初めて「先生」になったわけですが・・・

「先生」として私ができること

1年目はとにかく慣れるのに必死!サポートに入るどころか、周りに助けてもらうばかりの1年でした。でも大好きな子どもと大好きな英語両方に携われる仕事は楽しく、そしてやりがいも感じました。

その中で、自分には「先生」としての知識も技量も不足していること、自分ができることと人に教えることは全くの別物なんだということを強く実感し、改めて学びを決意!

何を軸に学びを深めようか模索する中で、2023年、私はRhymoeと出合いました。(詳しい話はまたのちほど・・・)

そんな「先生」としての経験がまだまだ浅い私が子どもたちにできること・・・

それは、学び続ける姿を見せることなのではないか、と思っています。

最初私は勘違いしていました。
先生なんだからなんでも知ってなくちゃ!
どんな質問にも答えられるように準備しなくちゃ!と。

もちろん、なんでも知っていて、どんな質問にもその場ですぐに答えられる先生は素晴らしいです。

けれど、先生になりたての私がちょこっと勉強したくらいで急にそんな先生になれるわけがないんです。
でも、子どもたちに知識不足・経験不足がバレるのが恥ずかしい・・・

最初はそんな理想と現実のギャップに苦しみ、空回りしていたと思います。

でもある時、5年生の児童が私に質問をしてくれた時、
「今まで考えたこともなかったよ!次回までに調べておくから少し時間くれるかな?」
と、自分の未熟さを子どもに伝えることができたんです。

今思うと、授業前のたわいもない会話の中で出た質問(でも英単語の由来に関する興味深い質問でした)だったから、私も軽い気持ちで対応できたのかもしれません。

そして翌週、調べてわかったことを伝えると、
「へぇー、そうだったんだ。おもしろいね!調べてくれてありがとう。」
と私の回答に満足してくれ、それをきっかけにその児童との距離が少し縮まったような気がしました。

GETは各クラス、毎週1時間しか訪問することができないので、高学年にもなると児童との距離感が難しいと感じていました。

が、私自身が等身大の姿で児童と接することでうまれる信頼関係もあるのではないか、
私なりの先生としての在り方があるのではないか、とその時気付いたのです。

そこから私は背伸びするのをやめました。

代わりに、学びの最中であることを隠さず、むしろ学びに向かう自身の姿をみて、真似したい!と思ってもらえるような身近な存在になりたい、と思えるようになったのです。

それは我が子に対しても同じです。
娘たちがリビングで勉強している横で、
私も勉強します。
苦手な家事に苦戦する母の姿よりも、
学びを楽しむ母の姿が記憶に残れば嬉しいな☺︎

私と英語

私が本格的に英語と向き合いはじめたのは中学1年生になってから。
高尾山のある市が地元の私。
(地元大好きだけど、どこ出身?と聞かれても「東京」とは言えないし、言ったこともないです笑)
英語教育に力を入れている私立の中高一貫校に入学した私は、ほぼ学校の授業だけで英検やTOEFLの留学基準スコアがクリアできるくらいの英語力を身につけ、得意科目だと言えるほど英語に親しみを持っていました。

おかげで、高校卒業後の進路に悩んだときに、「アメリカ留学」という選択肢を持てたわけですが、

留学して自分の英語力のなさにショックを受けます

日本であまり困ったことはなく、むしろ得意だと思っていた英語なのに、です!

自分のことなのに伝えられない、
相手が何を質問しているのかわからない、
困ったことがあってもその状況を説明できない、
ネイティブスピードの授業についていけない・・・

今ならわかります。
当時の私の英語には話し言葉の土台が全くなかったのが原因だと。
受験対策用の英語ばっかり勉強してきた私には、生活していく上で大切な「生きた英語」が全く身についていなかったのです。

生きた英語とは、英語を自分の言葉として気持ちを表現し、他者とコミュニケーションを取ることが出来る力のこと。

他のアジアの国からきている留学生たちは、訛りが強く辿々しいとは言え、生きた英語を使っています。これは本当に衝撃でした。

一方、読み書きは日本人の得意分野(笑)
私も6年間日本での英語学習で蓄積してきたものがあったので、レクチャーは事前に教科書を読み込んでおくことで、ライティングは念入りな文章構成とネイティブに負けない文法力やスペリングの正確さで挑むことで、なんとかついていきました。

しかし、自分の意見を伝え合うディスカッションや、みんなの前で行うスピーチの授業などでは、相手の意見を理解する難しさや自分の意見を言葉にできないもどかしさから、慣れるまでは本当に苦痛の時間でした・・・

しかしここはアメリカ。
常に生活の中に英語がある環境なので、いつの間にか話し言葉としての英語も身につき、時間とともに周りとのコミュニケーションもとれるように。
無事卒業するため、必死で勉強する毎日ではありましたが、各国の友人にも恵まれ、将来の伴侶とも出会い、私の4年間の留学生活はかけがえのない経験となりました。

日本も今では小学校での英語教育が必修化、
いきなり読み書きからスタートしていたひと昔前の学習方法とは異なり、小学3年生から英語を聞いたり話したりすることに慣れ親しむための活動が始まっています。
でも日本語で生活している以上、学校の授業だけではなかなか話し言葉である英語を習得することは難しいのが現実です。時間数の少なさもありますが、果たしてその授業を受け持つ小学校の先生方の中に、生きた英語を伝えられる先生は何人いるのでしょう・・・

Rhymoeとのであい

ところで私が初めてRhymoeを知ったのは、GETの先輩とランチをしていた時のこと。

何かの拍子に英語とリズムの話題になり、
「それだったらRhymoeがあるよ」
とその先輩が教えてくれたのが最初でした。

早速ホームページを覗いてみるとそこには、
「言葉にはリズムがある」
「英語は日本語と違うリズムを持っている」
「自然と英語が身体にしみ込んでいく」
など、はじめて聞くことばかり。

気になったものはとりあえず試してみたくなる性分の私は、2023年3月にRhymoe基礎講座を受講してみることに。

そこで、英語学習の土台となる英語の音、英語のリズム、フォニックスについてのいろはを学んだわけですが・・・

とにかく衝撃的だったんです!

まずは基礎講座とは思えないほどの情報が盛りだくさん、そしてそのどれもが新鮮なんです。
それなのに違和感は全くなく、むしろどの話も次々と腑に落ちていく心地よさ。

たった3時間の講座だったのに、留学時代から長年感じていた英語の学習法に対するモヤモヤの正体が見えてきそうな予感すらしました。

ますます高まるRhymoeへの興味。
この日私は、やっと英語教育のスタート地点に立てた気持ちがしました。

そして気が付けば、
Rhymoeをもっと「知りたい」が「学びたい」に、
そしていつの間にか「伝えたい」になり・・・

私はRhymoe沼にハマっていったのです。

2023年9月、英語を母語としない子どもたちが英語を学ぶのに最適なメソッドを習得すべく、Rhymoeインストラクタートレーニングの受講をスタート。

インストラクターへの道のりはまだ長いですが、

いつかあのカラフルなTシャツを着て
子どもたちと英語を楽しむ♩

それが私の目下の夢です。

思ったより長い自己紹介になってしまいました…

最後まで読んでくださりありがとうございます☺︎

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