一人称の波音 8

 毎年、夏が来ると、この浜辺に来た。誰だったか忘れてしまったが、クラスの友達が別荘を持っていたのだ。それで、夏の初めの1週間程度、彼の別荘に滞在しながら、毎日海に出てはなにをするでもなくただただ泳ぎを楽しんでいた。高校生だった。昼になると決まっておかみさんのいる浜茶屋に入り浸り、ビールを飲んだ。おかみさんは僕らがまだ未成年であるということを察していたが、ここまでなら大丈夫だろう、というところまではビールを出してくれた。

 一度だけ、おかみさんの計らいで、浜で開催される祭りの屋台を任せてもらったことがある。僕たちは自慢げに焼きそばを焼き、ビールを飲みながらそれを売った。当時の僕らにはもちろん経営感覚なんてものは(今も果たしてあるのか、疑わしいが)無かったが、材料と値段、ひとつあたりの分量を正確に申し付けられていた我々はそれを(幾分逸脱していた面はあるにせよ)守り、結果、かなりの売り上げを出すことができた。商売をするのは、楽しかった。正確に商売なんていえるのかよくわからなかったけれど、僕たちは真剣に、そして楽しんで焼きそばを焼き、味を整えて、客に差し出した。分量をきっちりと守ったせいか、それは飛ぶように売れた。水着姿の客たちは、もの珍しそうに僕たちを見、焼きそばを買い、そして去っていった。一度だけ、20代くらいの女性のグループに声をかけられた。しかし、彼女らはかなり酔っていたようで、とても何を言っているのかわからなかった。もしかすると僕たちがまだ若かったせいなのかもしれない。ひとことふたこと、言葉を交わし、そして焼きそばを買った。焼きそばを買った後も僕たちに何か言いたそうな顔をしていたが、どこからか何人かの男が来て、彼女らを連れ去っていった。いつもの、浜辺の風景だ。無害で、どこへもいきつかない。それは大きなうねりとなって、ただそこに存在している。

ともあれ、夕方には材料がすべてなくなってしまうくらい、僕らは焼きそばを売りつくしてしまったのだ。その夜、浜茶屋での宴会に招待され、なんだかわからないうちに記憶を失ってしまい、目が覚めるといつもの朝だった。そして僕らが精一杯汚くした床を掃除していたのが、そう、彼女だった。

 「大人って、ばかみたい」

 彼女はそういいながら、ビールの空き缶をひとつひとつ、拾っていた。そのときの彼女のことは、おぼろげながらも、僕の記憶にしっかりとした足跡を残している。彼女は、なんていうか、脆そうに見えた。自分が存在している世界と、目の前にある世界との隣接点をまだ見出すことが出来ず、どこへ行ったら、どこへ向かったらよいのか考えあぐねている状態、とでもいうべきだろうか。彼女は必死になって、彼女の存在しない世界にある空き缶を拾っていた。

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