星降る朝。
今はもう、1年に1度くらいしか帰れないけれど、私は自分の生まれた家に帰るとまず、家の窓からの風景を眺めます。
あの頃と何ひとつ変わらない風景に、なぜかホッとしてしまう私がいるのです。ちょっとした風の匂いとか、日差しの傾き加減とか・・・それらを感じるたびに、あの頃のいろいろな思い出たちが、そっと心に蘇るから不思議です。
まだ、幼かったあの頃。
この窓から、運動会の花火の合図を、息をひそめ聞いていた。そのたびに、私はとてもうれしい反面、手のひらに汗をかくほど緊張をしていた。台所では、母がその日のために、満面の笑みを浮かべながら、お弁当を作っていました。甘い卵焼きの匂いがしていた。そんな母を見て「今日は絶対に1等になってみせる!」と誓ったものです。(結果はいつもビリから2番目だったけれど。)
この窓から、いつも父の帰りを幼い私は待っていました。元警察官だった父は、その職業とは裏腹にとてもやさしく、おおらかでした。あの頃、いつもこの窓から見える道を、父は癖のある歩き方で、大きな歩幅で歩いていました。窓から見ている私に気付くと、笑いながら父は大袈裟に、その手を大きく振ってくれた。小学生だった私は、それがいつもの楽しみでした。
私が中学生の頃。
友達と喧嘩をした日は、この窓からぼんやりと外を眺めていた。悲しくて泣き出したいようなときもあった。はじめて涙がこぼれたときも、いつもいつも答えは同じ。「自分が悪い」だった。
私が初めて仕事に就いた頃。
病院から帰ってきた母が、父の命がもう長くないことを、私に打ち明けてくれたときも、私はこの窓の外を見つめていた。今にも消えそうな母の言葉を、ただ、静かに聞いていた。やがて母が泣き崩れたとき、私はその窓をそっと閉めて、母のそばに寄り添った。
時が止まってゆくのを感じた。
そのとき窓は私たちを、そっと見守ってくれていたように思います。まるで、大きく手を振ってくれたあの日の父のように・・・
季節が流れ、やがて父が亡くなった日。
窓から見た風景は、本当に何もなくて
透き通るような、とても青い空でした。
時は流れ、ある冬の夜のこと。
この窓からオリオン座を見つけました。
冬のオリオン座はとてもきれいです。あの頃、私はまだ幼かった娘に教えてあげました。「ごらん、あれがオリオン座だよ」と。娘は「あ!みっつ明るい星が並んでる!」とその瞳を星のように輝かせていた。娘の心に、この瞬間が、いつまでも残ればいいと私は願いました。
この窓からの物語は、大人になった今でもまだ続いているような気がします。私が自分の子供に、こうしてこの窓から教えたいろんなことが、なんとも不思議なめぐり合わせのように思います。
この窓から見える風景。
時代が変わっても、たとえ景色が変わってしまっても、あの時の気持ちだけは、いつまでも変わらずにいてほしい。私にとっても、そして、オリオン座を見つけたあのときの娘の心にとっても。
その冬の翌朝のこと。
目覚めて、この窓を開けると雪が降っていました。朝日に粉雪がきらきらと、光りながら舞っていました。それを見た幼い娘が、こう私に言いました。
「きれい!まるで星が降っているみたい!」
小さな詩人に私はまた、時が止まってゆくような感覚を思い出しました。
その言葉に、突然、何もない風景に美しい光が満ち溢れたような・・・私は心が抑えきれずに、ただ、うれしくて、泣きたいような気持ちにさえなりました。
理由はわからないのだけれども、哀しみの中の幸せを、私は思い出したのだと思います。
「星降る朝」は、少し寒かったのですが、私たち親子はこの窓を閉めることなく、窓からの素敵な景色をいつまでも眺めていました。
この窓から生まれる思い出が
またひとつずつ、増えてゆく。
まるで語り継がれる物語のように
いつまでも、そして、いつまでも。
最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一