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いつか雪降る朝の交差点で。

雪を見ることが少なくなってしまった。
なんとなく、もの悲しく思う。

私は雪が好きだ。音もなく降る雪は、何の主張も誇張もないのに、どういうわけか見る人にしばし時を止めさせる。

ほかの人はどうか分からないけれど、私にとって雪を眺めるその行為は、何か想い出に浸るとか、情景が浮かぶといった理由ではなく、ただ、その音もなく降る雪を、ずっと眺めていたい気持ち、というものがそこにある。

その無心で眺める気持ちそのものが、私にはまったくわからない。そこに心は、何を求めているのだろうか?

音もなく降り続けるその雪。もしかしたら、”音のない”というのもいわゆるゼロと同じ概念で”音のない音”が存在するのかもしれない。

ないけど、あるもの。

私たちのまだ知らない感覚が、そういうものを、どこかで聞き、そして、見させているのだとしたら…。そう思うだけで、心はまるで綿菓子のように軽く、そして、甘くなる。想像だけなら、どんなに偉い学者でも誰も何も言えやしないだろう。

多すぎる雪は困るけれど、ゆっくりと降る雪が好きだ。いつまでもただ、眺めていたいと思う。

雪降るの朝の交差点で、もしも信号が「青」になっても、ぼんやりと見上げたままの人がいたなら、何も言わずに微笑んで、その横をそっと通り過ぎよう。

そしていつか同じように、私の横を通り過ぎる人がいて、もしも微笑んでいたのなら、私もたぶん音のない音をそのとき聞いているのだろう。

心のままに微笑んで。
それが何かの合図になるように。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一