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夏の夜の海。

ずっと、ずっと若かった頃、まだ一人暮らしをしていた頃のこと。夏の夜の海を見に行くことがあった。

理由はとても単純で、熱帯夜に眠れなくて、部屋にエアコンすらなくて、ただ耐え切れずに私は、車の窓を全開にして、カーステのボリュームを少しだけ上げて、生暖かい風を感じながら、海辺までドライブした。

夜の海は昼間と違って、ものすごく怖かった。(たまたま私が見ていた海がそうだったのかもしれない。)

真っ暗で、叩くような轟音で、まるで何かに叱られているような、そんな切ない気持ちになった。でも、私は、どこかその叱られているような感じを、わざと好んでいたように思う。なぜならあの頃、自分がものすごく小さく思えたから。自分は誰にも必要とされてない、愚かな人間にしか見えなかったから。

今も私は社会の中で、時としていろんな人に叱られる。生きていれば、それは仕方のないことだろう。それでも嫌味な言葉や、”どうせ”が付くような、そんな切り捨てた言葉は、私の足元に転がってくる。いくつもいくつも足元にたまる。それに気づいてしまうのは多分、ずっとうつむいているからだろう。

そのたびに、嫌になるほど心は曇ってしまうけれども、夏の夜の海のように真剣に叱る人は、なかなかいない。

今となっては、あの海は、ここからは随分と離れている。あの頃のように、車を飛ばしても、すぐにたどり着けないほどに。だから今は目を閉じて、耳もそっと両手でふさいで、そうしてあの波音を聞く。

よかった。まだ、海はこんな私を
それでも叱ってくれている。

波音に言葉を乗せると、幼い頃の歌のように
私の魂は静かになる。

そして、心に伝わるのだ。
あの頃と同じ声で、あの頃と同じ言葉で。

「大丈夫。いつだって、君はやり直せるから」と。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一