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遠慮のない彼女と同じ数の笑顔と。

「スーパーで接客してきたよ!」

買い物から帰るなり、奥さんは元気よく私に言った。もちろん彼女は客として買い物に行ったのであって、店員としてではない。けれども彼女は、売場でよく知らない人に声を掛けられる。

「これはいくらなの?」おばあさんが、彼女にそう尋ねたそうだ。

「はいはーい!」と彼女はいつものことなので元気よく応え「えーとですね、これは98円ですねー」と教えてあげる。その他にもいろいろと聞かれ、彼女はそれにいちいち答える。そうしておばあさんは彼女にニコっと笑顔で「ありがとう」と言ったそうだ。

彼女から「接客した!」の報告を聞くたびに、私はとても不思議に思う。彼女の服装はどっからどう見たって、普通の洋服だし、店員なんかに絶対に見えない。逆に店員である私が他のスーパーで私服で彼女と歩いていても、私に尋ねる人はいない。(当たり前っちゃ当たり前だ)それで私の隣の彼女に、知らない人が尋ねるのを、たまに目の当たりにすることがある。私が「いや、彼女は店員じゃなくて」とやんわりと言おうとすると、彼女はそんな私をよそに、笑顔で接客をするのだからどうしようもない。

「私って、昔からそうなんだよねぇー。なんでだろ?ぼぉーとしているから尋ねやすいのかなぁ?」なんて笑ってる。確かにそれは一理ある。夫である私が言うのも変だけど、彼女はとても尋ねやすい顔をしている。「それはどんな顔なんだ?」と聞かれても困るけど、尋ねても決して嫌がらずに教えてくれるだろうなぁなんて、そんな安心感と言うか雰囲気がある。実際そうなんだけど。

それがお気楽な性格の彼女のいいところなのだろう。たぶん彼女は遠慮のない人が好きなのだと思う。そして遠慮されないように、いつもどこかやわらかな笑顔でいるのかもしれない。

でも、これには困った点もあるのだ。よく二人で観光地へ小旅行に行くのだけど、決まって写真をお願いされるのだ。しかも、私にじゃなくて彼女の方に。

「はいはーい!いいですよー!」とあの調子で彼女は答える。

「はい、じゃぁ、あなたが撮ってね!」と私は彼女に知らない旦那さんのカメラを手渡される。私は知らないご夫婦に「はい、じゃ、えっと、と、撮りますね」とぎこちなく答える。(私は知らない人に声を掛けるのがとても苦手なのだ)そうして私は「はい、チーズ!」とか、「いちたすいちはー!」とか照れながら言ってシャッターを切る。(そう言うのもとても恥ずかしいけど、彼女に乗せられているのだから仕方ない。)

そんな苦行を乗り越えたかと思ったら、今度は彼女が図々しくも「ねぇ、ついでに私たちも撮ってもらいましょうよ!」と私に言う。

「えー、やめようよ」という私の声は彼女には聞こえないらしく、もうすでに相手の旦那さんに私のカメラを手渡している。そして彼女は私の腕を組んでお決まりのピースサインをしている。どんだけ恥ずかしいんだ。

それでも私は知らないおじさんに向かって、ぎこちない笑顔でピースサインをする。”とても恥ずかしいので早く撮ってください”と私はひたすら心で叫ぶ。やっと撮ったと思ったら、おじさんったら気を利かせて「じゃ、もう一枚撮りますね!」なんて言ってる。

「はーい!お願いしまーす!」と彼女は大喜び。おじさんも喜んでる。私は更にぎこちない笑顔になり「ご主人!もっと笑顔でー」なんて上機嫌の知らないおじさんに言われてしまう。やれやれだ。

やっと撮り終えて知らないご夫婦にお礼を言って別れる。

「あのさー、もうちょっと遠慮しようよ」と私は彼女に言うけれど「あなたは遠慮しすぎなのよ。もっと堂々としなさい!」と逆に叱られてしまう。

まぁ、確かにそうかもなぁ。おかげで二人で写った写真は、どれも私の笑顔がぎこちない。それでも一人で写ったものよりも、二人で写ったその写真の方が、確かな思い出になっているのだから不思議だ。

今後も彼女の「接客してきたよ!」の報告は尽きないだろう。でも、その数と同じだけの笑顔が生まれているのは確かなことだ。そう思うと、彼女の遠慮のない性格は、確かに誰かを幸せにしているんだ。

そうだなぁ。
この人生に遠慮なんていらないんだなぁ・・・。
やれやれ。いつしか彼女に教えられている私がいる。

そうだ、今度は私から写真をお願いしてみようか・・・。

なーんて、思った。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一