見出し画像

noteは過去に消えてゆかない。

もしもnoteで書くことがなくなってしまったら、過去のnoteを振り返る形でもいいのではないかと私は思う。「お前は突然何を言い出すんだ」と自分でも思うけれど、この頃、思っていることを書いてみたい。

いろんなSNSがある。私の勝手なイメージではあるけれど、それらはどれも「今」が重視されているように思う。天気で例えればそれは「雨」と言ったところか。(別に憂鬱な気分という意味ではなく。)たくさんの雨が降るけれども、決して雨はそこに留まることはなく、次から次へと流れてゆく。情報の流れが速く、その輝きはすぐに失われてしまう。

noteの場合、それはまるで「雪」のように降り積もってゆくのだと思う。決して流れて消えることなく、ただ、そこに積み重なってる。しかも簡単にはとけてはゆかない。過去のことも、あせることなく輝いている。私はそれがたまらなく好きなのだ。

少し話が抽象的でわかりにくいかもしれない。

もちろん情報の流れが速いのが悪いことではない。災害時などでは、その点は大いに役立つ。何事にも、いい点もあれば悪い点もあるものだ。

ただ、私が思うのは、noteはそういった情報よりも、人の心とか想いとか、そういったものを大切にしていると思うのだ。それらは恐らく、時間の経過は関係がない。いつまでも輝いてゆくものだ。そんな中、どうしても私たちは、いろいろなタイムラインに慣れてしまって、過去のことを忘れがちになる。

今、私が伝えたいことは、ただ、ひとつだけ。
「noteは過去に消えてゆかない」ということだ。

タイムラインに少しでも早く情報を!なんて無理して新鮮な内容を、嫌になってしまいそうな気持ちで作り出すくらいなら、その時は無理をしないで、過去のエッセイや作品を振り返る形でもいいのではないかと。もちろんそれにはクリエイターとしての心構えというか、節度が必要になってくる。

できればnoteを始めた頃の初期の作品がいいのだと思う。まだ、誰も何も知られないまま始めたころのもの、または思いのほか、あまり読まれなかったnoteや、かなり力を注いだけど反応の薄かったnoteを、きちんと過去のnoteであることを明記したうえで、当時考えていたこと、今、思うこと、または反省点などを添えて再度、投稿するのもいいのではないのかと。

もちろん、投稿した作品の内容にもよる。けれども、その想いを伝えたいがために作った記事なら、リニューアルするつもりで投稿してもいいと私は思う。それは、noteは過去に消えてはゆかないからだ。

これは私の今までの個人的な感想だけど、noteは「今」というよりも「過去」を想い反省し、そして「未来」に夢を抱くようなnoteが愛されているように思う。もちろん「今」を大事にしているnoteもたくさんある。それはそれでいいのだ。大切なのは、続けるために楽しめているか?ということだ。

時々、随分昔のnoteにスキを下さる方がいらっしゃる。私はそれがうれしくてたまらない。どういう経緯で辿ってくれたのかわからないけれども、最新記事の下に「このクリエイターのおすすめ記事」で過去noteを紹介してくれている。そして大事にしてくれている。そういったスタッフの細かな配慮がうれしいのだ。

もしもnoteで書くことがなくなってしまったら、過去noteを振り返る形でもいいのではないかと私は思う。昔の自分を、今の自分が再確認し、そして次の新しい自分を作ってゆく、それでいいと私は思うのだ。

もう一度、私は伝えたい。

noteは過去に消えてゆかない。それは静かにあなたの中に、そして読者の心の中に、そっと大切に降り積もってゆくのだ。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一

歩こう!歩こう!私はーげーんき!
34

青木詠一

優しさ/悲しみ/人間関係/接客/クレームを描いたエッセイ「それでもお客様は神様ですか?」(大和書房)を出版「いくつもいくつも咲くために。言葉は小さな葉っぱなんだ」をテーマに今を生きる心のエッセイ・詩・写真を公開中。日本能力開発推進協会のメンタル・上級心理カウンセラーの資格を取得。

緑の風に吹かれて【日常エッセイ】

自由気ままに書いたココロのエッセイです。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。