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二人の小さな未来の先に。

とても不思議な夢を見た。私たち夫婦は私の夢の中で、どういうわけかクリーニング屋を経営していた。夢の中のクリーニング屋は実に画期的なものだった。お客さんが持ちこんだ汚れた服を、その場でクリーニングして渡すことが出来る。そんな夢のような(というか夢なんだけど)システムが確立しているのだった。

だからお客さんは、まるで弁当を注文するみたいに、そこでちょっと待ってればいいのだ。クリーニングに頼んで、また後日取りに来るなんて面倒なことは一切必要ない。

実は、そのクリーニングの仕方は、水で洗うなんてことをしないで、なにかレーザーのようなもので、その汚れを取り、あとはきれいにアイロンするだけなのだ。だから時間がかからない。私たち夫婦の商売は、当然ながらとても大盛況で、次から次へとお客がやって来ていた。仕事をする彼女の真剣なまなざし、そしてお客様にきれいになった衣類を渡す時のその笑顔。とても輝いていた。そんな彼女を私は微笑ましく見ていたのだった。

・・・・
やがて、目が覚めた私はしばらくの間、ぼんやりとしてしまった。夢の中のその場面が、あまりにリアルなものだったから、それが夢なのか現実なのかさえもしばらくわからないでいた。ただ、夢の中で、夢を掴んだ私たちふたりは、とても生き生きしていた。近い将来、本当にそうなったらいいなぁ・・・なんてことを考えてしまった。

それにしても、どうしてクリーニング屋なんだろう?

たぶん、私の将来の理想がそんな夢を見させてしまったのだと思う。でも、夢にしては、あんなに具体的でとても現実的な夢だったから、もしかしたら・・・なんてバカなことを考えた。

組織にとらわれない自分の生き方。たぶん、私はそんな人生にあこがれているのだろうと思った。(もちろん、自営業がそんなに甘くないことはわかっているつもりだ。)

ただ、うれしかったのは、私たち夫婦がその夢の中でその人生を精一杯に、心から生き生きとしている姿だった。正直言って今の私は、仕事だけの人生のような気がして、人生の充実感を味わうことは少なくなった。仕事で自分の時間が削られるほうが、私には苦痛になっている。(だからこうして、私はエッセイを書いているのだと思う。)

今の私は、自分の仕事での辛い出来事は、ほとんど彼女に話したりしない。きっと、同じ思いを彼女にも与えてしまうと思うから。でも、どうしてもその気持ちがこぼれてしまうこともある。そのたびに、彼女は私を一言で慰めてくれる。

「大変だね・・・」と。

そのたった一言でも、私は彼女のそんなところがとてもうれしく思うのだ。私が話すわがままなお客を悪く言うこともなく、かといってどうしようもない私を責めることもなく、ただ、ひと言「大変だね」と同情してくれる。

”同情”と言う言葉は、時として軽く扱われることもあるけれど、”同じ情けを抱く”ということは、なかなかできないことだ。どんなに多くの言葉を使ったとしても、彼女の「大変だね」に勝るものはきっとないと思う。

そんな彼女も自分の中の辛いことを、どこか隠すようなところがある。つい、我慢してしまうようなところを、私に気付かれないようにと思っているのだろうけど、その笑顔の後ろにこぼれるため息が、何か言葉を言いたがっている。

そんな時、私は彼女にこう言うことにしている。

「いい天気だね」

何の変哲もない言葉だけど、ちゃんと彼女も「いい天気ね」と言葉を返してくれる。(雨が降っていれば「雨が降ってるね」曇りの時なら「曇っているね」でいい。)

あの頃より、ちょっとだけ会話の少なくなった二人でも、そこからいろんな言葉が生まれる。

長年連れ添った夫婦は、何も喋らなくてもなんでもわかるなんて言うけど、私はそんなふうに思ったりしない。言葉は目には見えないけれど、そのしゃべり方や、言葉の選び方、そして、耳から聞こえてくる音楽のようなその声。やわらかかったり固かったり・・・。

うれしい時、哀しい時、辛い時。言葉をひとつつぶやくだけで、その心は相手の心にまっすぐに伝えてくれる。彼女が言った「大変だね」の言葉のように。

何も言わないでいることより、何かを話すことのほうが、人はこのありとあらゆる自らの五感を使って、互いを理解し合うのだと私は思う。

やがて彼女に本当の笑顔が戻る。私はそれだけで、つくづく幸せだと感じる。これから先に続くふたりの未来は、決して明るいものじゃないけれど、二人で歩いて行く人生になんら変わりはない。

・・・・・

「あのさ、夢で見たんだけど、なぜか僕たち二人がクリーニング屋を経営している夢を見たよ」

不思議がる彼女に、そう私が白状すると

「私はパン屋のほうがいいわ」と笑っていた。

もうすぐ新しい季節がくる。
二人の小さな未来の先に。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一