嫌いと言われても嫌わないために。
眠れぬ夜の時間の中で、しばらく天井を見つめていた。
この頃、私に冷たい態度をとる人に気づくそのたびに、少々、落ち込むことが多い。どうしてだろうなって思う。
私って、知らないうちに何か嫌なことをしたのかな?そんなにダメな私だったかな?誰も何も言わないから、答えなんて出ないけど、なぜだか世界中から私だけ、置き去りにされたような気持ちになる。
まぁ、真夜中に考えることって、そんなもの。
50%増しくらいに悪く考えるものだ。
他人って結局のところ、わかんないなぁってつくづく思う。何を中学生みたいなことをと、自分で自分にあきれるけれど、たぶん、あの頃に気づいたことを、ひとつひとつ年を経るたびに、ひとつずつ忘れてゆくからなのかもしれない。
今、あらためて、よくよく思うと「あなたが嫌い」っていう言葉。子供の頃は、イタズラにたくさん言われたことがあったにしても、大人になってからは直接言われたことなんて、ほとんどないように思う。誰かの悪口を、その人がいないところで誰もが聞いたことがあるように、私の知らないところでは、言われているのかもしれないけれど、目の前で言った人は、たぶん、まったくないと言っても過言ではないだろう。
これは、誰もがみな同じじゃないかと思う。
直接その人のことを、嫌いだなんていう人はめったにいない。誰もがみんな結局のところ、相手を気にして自分を気にして、そうして疲れ果てては心を少しずつ、何かにごまかしてしまうような・・・。
嫌いを嫌いとは言えない。好きを好きとは言えない。そんな素直になれない時を、私たちは生きてるんだなぁって思う。
もしも本当に「嫌い」と言われた人は、とても幸せな人だと思う。だってそれはその人が、あなたを嫌いだったからではなく、本当に好きだったからに違いないから。
好きだからこそ「嫌い」という言葉を使えたのだと思う。
そう思うと、いっそ私は「あなたが嫌い」と誰かに言われてしまいたい。そう言われたら、私は決してその人を嫌うことなく、心から感謝するだろう。かつて私を好きだったことを。知らずに気づかってくれたことを。
・・・なんて。
それが正しいかは私にはわからないけれど。
もしも眠れぬ夜が来ても
天井を見つめ、私は私を見つめよう。
やさしい夢を見るために
たとえ「嫌い」と言われても
その人を決して嫌わないために。
最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一