見出し画像

夢と中途半端な人生。

久しぶりに夢を見た。何かとても淡い夢だ。私はかつて働いていた店にいて、また、電器売場の店員になれるようになって、とても戸惑っている私がいた。

「どうしてまた、私はココに・・・今更、また、電器売場の店員としてやってゆけるのだろうか・・・」

私はとても不安に思っていた。無理もない。転職して電器売場を離れて、すでに、長い年月が過ぎている。あれからどんな新製品が出て、どんな新しい機能がついて・・・そんなことが私にはもう、まるでわからない。もう、今の私の接客知識ではまったく通用しないものだし、何も役にも立たないのだろうと、私はそんなふうにひとり、夢の中で途方に暮れていた。もしかしたら少し、泣いていたかもしれない。

その夢から覚めたあと、外はいつもと変わらぬ朝で”なんだ、いつもの朝か”とすぐにそう気づいた時、もう、あの頃へと戻ることのない現実の世界に、何かホッとした気分と同時に、今まで生きてきた人生の、中途半端などうしようもなさに、やり切れないような想いだけが、ただ、私の中で込み上げていた。

そうだ・・・いつも、そうなのだ。
私はずっと、中途半端に生きてきた。

少し前までは、中退した大学の教室にいる夢をよく見ていた。もう遠い過去のことなのに。そして、その夢の中で、当時住んでいた下宿先に私は立っていて、またココで生活をするのか?と、私はとても不思議に思っていた。そのときも、夢の中のものだから、理由も何もわからずに、ただ、戻ってきたという感覚だけが、私を随分と悩ませていた。また、やってゆけるのだろうか?また、あんなふうに傷つくのだろうか?と底知れぬ闇を見つめるように、ただ、不安で恐ろしかった。

大学を勝手に中退した私のこの心の奥底には、卒業しなかったという重罪が、たぶん、重くのしかかっている。どうしようもないことと、知っていても、この心だけは許さないようだ。

後悔はしていないはずなのに、自分ではどうにもならない想い。まるで、好きな人がいる人を、好きになってしまったような・・・そんな幸せと不幸のあいだを、不安定に揺れ動いている。

はじめのうちは人生は、ただの一本の道だった。その道を転ばないように、ただ、まっすぐ歩いて行けばよかった。でも、こうして歩いて行くうちに、それが途中で途切れていたり、どこかでふたつに分かれていたり、または大きな山がそびえていたり、そして、急な崖にどこにも進めなくなっていたりして・・・

道は次第に、どんどん複雑になってゆく。そうしたとき、自分の心がどっちかを選択するようになって、そして、いつしか知らないうちに、あの時はやっぱり違っていたと、どこかで後悔するようになって・・・自分では気づかないうちに心はそんなふうに随分と、疲れているのかもしれない。

夢はたぶん、そんな心の選択肢を・・・正しかったのか?間違いだったのか?・・・という疑問を、夢という唯一の個人的な場所で、もう1度見つめ直しているのかもしれない。もし、そうなのだとしたら、二度と不安に思う必要はないのだろう。

今度また、同じ夢を見たならば、私は素直に命ずるままに、電器売場の店員でいよう。今度また、あの頃のままの、大学生に戻ったのならば、私は素直に大学生活を、最初から何度もやり直していよう。

そうして心がその想いを、ひとつひとつ納得できたとき、私はたぶん、ひとつの山を(または大きな崖を)歩き終えることが出来るのだろう。

そうしたとき、心は抱えた大きな荷物を、ようやくその場所に降ろすことが出来る。その荷物はもう、この背中には必要ない。そのものたちは、魂が故郷へと帰ってゆくように、その本来のあるべき場所へと、やがて消えてなくなるのだ。

いつしかまた、次の道を、私はゆっくりと歩き出すのだろう。身軽になった心と体で、その先にあるいろんな荷物を、また、この背中に抱えながらも。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一