見出し画像

シンデレラの頃。

うちの奥さんは、田舎の寒い地方で育ったのでとても頑丈にできている。

風邪さえもほとんどひかない。「こんなに美人で色白な奥さんを捕まえて、あなたって本当に幸せ者のよねぇ」なんて自分で言う人だ。きっと私より長生きするに違いない。

彼女には面と向かって言ったことはないけれど、私はとても感心していることがある。彼女が私の前で泣いたことは、今までたったの1度しかない。(奥さんはテレビドラマを見ていてよく泣く時があるけど、それ以外。)

いつでも彼女は私の前では弱みを見せない。出産前のマタニティブルーの時も、どんなに育児に悩み疲れていても、私が過去に入院してしまい、大きな手術をした時も・・・。彼女はいつだって泣かなかった。こうして今思えば、私はそれでどんなに助けられたのだろうかと思う。

そんな彼女が1度だけ、私の目の前で泣いたとき・・・それは私たちが当時、付き合っていた頃のこと、私が転勤をしてしまったわけなのだけど・・・これを読んでいる人は「あぁ、そうか。その転勤で離れるときに彼女は泣いたのか」と思ったかもしれないけれど、その時でさえも彼女は泣かなかった。正直に言うと、その時は私のほうが泣いてしまったのだけど。

まだ、若かったからなぁ。

あぁ、今考えても赤面するほど情けなく思う。その時のことを、彼女はいまだに私に言う時がある。「あの時、お父さん泣いたんだよねぇ~」って。しかも子供達の前で。私は彼女にしっかりと弱みを握られているワケだ。(そのおかげで私は何度、風呂掃除や便所掃除をさせられたことか。)

あの頃、二人がお互いに遠く離れて暮らすようになって、遠距離恋愛という形になってしまった。そして、当時、仕事が忙しかった私に代わって、彼女のほうが、週に1度、私に逢いに来てくれていた。実に片道3時間も時間をかけて。シンデレラエクスプレスって言葉が流行ったことがあるけど、まさにそんな感じだった。

当時、彼女も仕事をしてたので、私のアパートに泊まる訳にもいかず、二人はいつも久しぶりに逢っても、ほんの数時間しか許されなかった。「仕事、休めないの?」と私が言ってもいつも「ごめんね」ととても申し訳なさそうに言っては、彼女は帰って行った。

彼女は当時、小さなファッション雑貨店の店員をしていた。友達に代わりを頼むこともできたはずなのに「このことでみんなに迷惑は掛けたくないから」といつも言葉をこぼしていた。いつも、いつも、シンデレラみたいに帰って行ってしまう彼女。私はそれがとても不満だった。

ある日のこと、お互いが休みが合わなくて、実に3ヶ月ぶりに彼女が逢いに来てくれた時のこと。久しぶりに逢った私たちは、本当に楽しい時間を過ごした。でも、時は皮肉なもので楽しければ楽しいほど、あっという間に過ぎてしまう。彼女が「もう帰らなきゃ」と言ったとき、私はそれが面白くなくてひとりで勝手に機嫌を悪くした。

駅のホームで、私が一言もしゃべらずに黙って、怒っているような顔をしていると「どうして怒っているの?」と彼女が不安そうに聞いたけど、私はずっと口も聞かなかった。

その時だった。

彼女が静かに泣き始めたのは。しかも、駅のホームの人々の前で。私は息が止まるくらい驚いた。あの頃も彼女は絶対に泣かない人だと思っていたから。

彼女は私を責めることもなく、ただ、黙ってぽろぽろと涙をこぼしていた。そんな彼女を人々がいぶかしげに眺めては、また、人によってはそんな彼女を茶化すみたいに笑いながら通りすぎてゆく。あの時、彼女はどんな思いで泣いていたのだろう。私はこの人生の中で、あれほど罪悪感を感じたことはなかった。

彼女だって辛かったのだ。どうして私は分かってあげられなかったのだろうか。あの時でさえ私は彼女に何もしてやれなかった。ただ、彼女のそばで、遠くどこまでも続く2本のレールの先を眺めているだけだった。

やがて、彼女がハンカチで涙をふいて、気を落ちつけた後「泣いてゴメンね」って笑顔で私に言ったとき・・・

たぶん、あの時だったのだと思う。彼女と結婚しようと思ったのは。

このまま二人が遠く離れていてはダメだと思った。恋愛をしている時って、どうしてこんなに不器用でわがままで、ひとりよがりでカッコ悪いものなのだろう。

もしも、あのとき私が「結婚しよう」って言えば、下手なドラマくらいの感動はあったかもしれないけど、そんな劇的なこともなく、あれからしばらくしてから、二人はどちらともなく一緒に暮らしはじめるようになった。

お互いが、それが必要であり、また、そういう気持ちになったからだろう。それから気付けば、とても自然に結婚していたって感じだ。だから私は彼女に対して、ちゃんとしたプロポーズの言葉を言ったことがない。(前にも書いたけど)今ではこうして、毎日二人で暮らしている。それはなんて当たり前のようでいて、不思議なことなのだろうかと思う。

今日も彼女は私の弱みをいいことに、おもしろ半分にあれやこれやと私に言うけど、そんな彼女の弱みを、実は私は握っているわけで。(彼女がまだ、あの時のことを覚えているかどうかは知らないけれど。)

でもまだ、しばらくは・・・そうだな、いつか終わりの日が来るまでは、大切に閉まっておこうと思う。

あの時の私の気持ちは。

最後の涙は、たぶん、そのときで十分だ。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一