哀しみの海にもぐるたびに。
心が血を流せばいいのに。
そうすればこんな気持ちも、誰かがわかってくれるのに。
いつかのあなたへ。
これは私からの手紙です。
私もたぶん、あなたととても近い場所で、そして、どうしようもないままに、同じ想いでいたように思います。私はあなたと同じ見えない道で、ただ、迷っているのでしょうね。せめてあなたはひとりじゃないことを、忘れないでいて欲しいのです。
哀しいときは、哀しみの海へ、深く深くもぐってしまいましょう。そうして本当のひとりの寂しさを、あなたがもしも感じたとしたら、あなたは最高に幸せです。それほどの、あなたは幸福を知っているのですから。その幸せと比べたから、きっと、人は哀しいのだと思います。
”心が血を流せばいいのに…”
私は哀しみの海にもぐるたびに、よく、そう思ったものでした。でも、傷つく度に、本当に心に血が流れたとしたら、たぶん、世界中が混乱に陥ることでしょう。それは、血が流れるという異常な事態だからという意味ではなく、この地球上のほとんどの人が、心に血を流してしまうと思うからです。
誰もがみんな傷ついて、どこか哀しみを抱えている。そのたびに、血なんか流していたら、誰も地球上に生きてやいないでしょう。だから神様は、心の傷には血を流さないようにしたのかも?なんて、こんな人に笑われるようなナンセンスなことも、そんなふうに私は考えたりしてしまいます。
とりあえず、”生きている”ということは、やっぱり大変なことです。大変だけれども、こんなチャンスはたぶん一度しかない。あなたがあなたであるこの人生は一度きり。
人生には、迷うようないろんな選択があるけれど、そんなとき、私は空を見上げるようにしています。晴れていたり、曇りだったり、雨が降っていたり。運がよければ思いがけず、虹が見えたりするかもしれません。自由に見える空でさえも、いろんな顔を持っています。人だって、きっと、それと同じです。
ずっと同じ晴天の空を、誰が見上げるのでしょう。時には雨も必要です。時には曇りも、雷もたぶん同じです。そうして私達は、雨の後に虹を見つけたとき、忘れてた宝物のように、うれしくて仕方がないのだと思います。
夜はなおさら哀しみ深まる。空さえも、まっくろで何も見えやしない。でも、そこには星たちが何も言わずに輝いている。たぶん、空は哀しみの中に、静かな”幸せ”というものを見つけたのでしょう。
「哀しみの中にある幸せ」
案外私達は、そういうものに、まだ、気づいていないのかもしれません。でも、今は、そういう見えないものが”ある”ことを私は信じていたいと思います。
「哀しみの中にある幸せ」
不思議とこの言葉をつぶやくと私の中で、いろんな哀しい想い出が蘇ってきます。どれも泣いているけれども、どれもちゃんと、最後には笑ってる。
なぜなら・・・そこまで私が歩いて行ったから。
思うままに書いたけれども、せめて、ただ、そのことだけを、私はあなたに知って欲しいのだと思います。
空を見上げて・・・泣いて、そして微笑んで
また、ココから歩き始めましょう。
いつかのあなたへ。
Eより。
最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一