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どこでもないどこかであるように。

休みの日に、近くの温泉に行った。私は週に一度は温泉に行くくらい温泉が好きだ。自分をリセットするための大切な場所になっている。

こんな平日の朝から温泉に入っていると、幸せ感が満ちてきて、天使の歌声が聞こえるかのよう。まるで・・そうだなぁ 現実感が薄れてゆくようで、あの世とこの世の中間地点にいるような・・・そう・・・どこでもないどこか。それが今、ココにある。

なんて気がした。

大きな窓から、日差しが波打つ湯船に映ってきらめいている。そんなものを眺めていると、何か美しいものが私の心をやさしく包むかのようだ。

温泉に入ると、これほど私に幸せが満ちてくるのは、たぶん、幼い頃の想い出が、そうさせているのだと思う。小学3年生くらいだったか、家のお風呂が壊れてしまって、それを直している間、どこかの温泉に数日間、家族で通った記憶がある。(今思えば、近くの安い銭湯でもよかったはずだ。)

夜、家族で車に乗り、その温泉まで行った。車で20分くらいだっただろうか?夜のドライブもワクワクしたし、温泉に入るのも、もちろん楽しかったけど、その後に飲む冷たいジュースや、家族で卓球をして遊ぶのが楽しみでそれはもう、うれしい思い出ばかりがつまってる。

親父は車を運転しないものだから(いつも運転は母だった。)ビールを飲みながら、赤い顔してそんな私たちを見てたっけなぁ・・・。なんて、そんなこと思い出しながら、今日は一人でポカリを飲んだ。家族があんなふうに揃って温泉だなんて、もう、二度とないだろう。

そもそも親父は、もうこの世にはいない。
そう思うと、思わずひとり、たそがれた。

私たち兄弟には、それぞれ家族があって、もう、あの頃とは違ってる。たぶん、それぞれの家族の中で、こんなふうに子供たちに、想い出を与える番になったんだろう。私は何をあげられているのだろうか?そう思うと、なんだかひとり、また、たそがれてしまった。

この頃、私はふとこう思う。切ないけれど人生は、思うよりずっと短いものだ。だからちゃんと与えようと思う。私がいつか、思い出したように、子供たちもいつか、思い出せるように、どこでもない、どこかであるように。

たとえその時、たそがれても、
いつかその思い出が、明るく心を灯すだろうと。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一