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レジでお金を投げる人、急ぐ人。

うちの奥さんは雑貨店で、主にレジ業務をしている。ずっとレジに立っていると足がパンパンになって大変らしい。

「まったく!仕事をしているのに、運動しないものだから、全然、痩せないじゃない!」と愚痴をこぼしている。いやいや、それ以前にお菓子の量を減らせばいいと思うのだけどな。

そういえば、こんな愚痴もこぼしていた。

「理由は分からないのだけど、レジでお金を払うときに、お金を投げるお客さんが案外、多いんだよね」とため息交じりに彼女が話す。

もちろん、それは悪意があってお客さんが投げるわけじゃなくて、レジの彼女の対応が悪いとかでもなくて、普通にお金の支払いで、たぶん、無意識にポンと軽くお金を投げるのだそうだ。

「お金の受け皿はあるのだけど、もしかしたら私の手とそのお客さんの手が触れるのが嫌なのかなぁって思ったりもするんだよね。でも、やっぱり、その態度は、あまり気持ちのいいものじゃないんだよね」と、何かを寂しそうな話しぶりだった。

確かに今どき「お客様は神様だろ!」なんて横柄な態度のお客さんは、ほとんどいないけれど、まるでお金や店員を、どこか軽く見ているような気がして、私もなんだか切なくなる。

あと、まだレジの支払いが終わってないのに、次のお客さんが我先にと、商品をレジ台に置いて、レジを催促する人も多いのだそうだ。あぁ、これは確かにうちのスーパーにもいらっしゃるなぁ。確かに、そういう時はレジが混んでいるときが多いから、思わず急いでしまうのだろう。これは店側にも責任があるのだと思う。

でも・・・こいうことを理由にしてはいけないのだけど、本当に今、店では人手不足が深刻だ。レジの台数があっても、その台数分のレジ要員がいない時がある。レジを開けたくても開けられない。「混んでいるのに、どうしてレジを開けないんだ!」って怒るお客さんもいらっしゃる。本当に申し訳ない気持ちだ。

いつだったかニュースで見たけど、あるコンビニでは完全キャッシュレス化で、レジがまったく存在しない店舗があるとのことだ。この人手不足の流れの中で、恐らくそう遠くない未来、店でのレジ無人化が、どんどん増えてゆくのだと思う。

それとともに、人と人とのふれあいが、どんどんなくなってゆくのだろうなぁ。なんて思うと、やはり少し寂しく思う。

店で物を買うときに、または食事やサービスが終えたときに、レジでお金を支払う行為は、それは同時に感謝の気持ちもその店に渡す行為だと私は思う。

レジの無人化はたぶん、避けられない近い未来の店の姿だろう。けれどもそこで働く人への感謝の気持ちは、どうか何らかの形で表現することが出来たらなぁと思う。(もしも感謝できないような悪い態度の店だったなら、二度と行かないのが店にとっては一番の痛手だ。それでもその店を利用したいときは、その悪さ加減を文書で伝えるのが一番いい。嫌な感情を投げつけるより効果的だ。)

店に商品が並んでいるのは、別にベルトコンベアーで自動で並べられたわけじゃない。それにはひとつひとつ、人の手がかかっている。それはどんな仕事にも言えることだ。それを忘れないようにしなければ。特に今の子供たちは、ネットでの買い物が、どんどん当たり前になってゆくのだろう。便利になればなるほどに、働く人の姿が見えにくくなってゆく。それは同時に、感謝する気持ちも生まれにくくなるのかもしれない。

だからと言って、感謝しろなんて私は思わない。感謝の気持ちは自然に生まれるのが一番いい。それは小さく微笑むだけでもいいのだ。

物を買うということは、お金を失くすではなくて、好きなものを手に入れること。そしてそれは、働く人たちのおかげだということ。それさえ忘れなければいいと私は思う。

今日も多くの大人たちは、どこかのレジでお金を支払うのだろう。その小さな人と人とのふれあいに、互いに笑顔が生まれたなら、それは、この日常で得られる確かな幸せなのだ。

そんな日々が、決して消えることのないように、と心から願う。


最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一