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死と生まれ来る言葉。

人が最後に伝えたいものは、「言葉」なのかなぁってぼんやり思った。それが哀しければ哀しいほどに、逢いたくても逢えない切なさほどに、時として人は言葉だけ置き去りにする。

少し前に本で読んだ自死しまった少年少女たち。

普段使っているケイタイやメールなんかじゃなくて、それは紙に残された言葉。小さな手紙。

ともすれば、気づかれずになくなってしまうかもしれないのに。ともすれば、風や火で消えてしまうかもしれないのに。人は想いを綱渡りのように、小さな手紙にして残す。

それはなぜなのだろう?

「私が死んだら読んでください」

少年少女たちの死の後に存在するもの。その主はもういないのに、言葉だけが生きている、その不思議。

”なぜ、あなたはまだ生きてるの?”

声では聞こえない宇宙の中に深く閉ざされた彼らの想い。光の中の小さな輝き。闇の中の黒い影。見えないものは存在しない。けれどもそこにあり続けるもの。

言葉の中で、この世にいない彼ら彼女らの想いだけが生き続ける。そうしてこの世に生きている人たちの心を揺り動かしている。

彼らはもう、いなくなっても、その言葉だけが生き残る。まるで使命を背負わされたように、人々の心を貫いてゆく。

何が正しいとか正しくないとか、たぶん言葉では言い尽くせないけど、たったひとつだけ言えることがあるとすれば、最後に彼らが伝えたかったことは、ただ、その「言葉」であること。

言葉によって、彼らもまた、心に傷を背負ってきた。言葉によって、私たちもまた、今もこうして苦しんでいる。

ときにはその言葉を殺し、ときにはその言葉で癒され、私たちはそれでも、また、同じ明日を迎える。

でも、言葉がすべてを伝えてくれるとは限らない。私たちの思っていることの半分も、言葉たちは伝えてはくれない。そのことをいつしか私たちは忘れてしまっている。

いつだって私たちは、ずっと言葉に頼っている。きっとわかってくれるはずだと。きっと伝わっているはずだと。

そうして裏切られたような想いは、この世界のどこかに生まれる。そしていくつかの命が遠く消えてゆく。いろんな形で。いろんな言葉で。

もしかしたら私たちは、言葉を知ってしまったために、伝えられない大切なものを、気づかずに消してしまったのかもしれない。言葉はすべてを伝えない。ましてや本当の心など。それはただの道具に過ぎない。

それを前提に使ってたはずなのに、人はそれを忘れてしまった。それを最後の手段にしてしまうことほど、哀しすぎることはない。だから私たちはその言葉で、ただ、想像するしかない。だから嘘や偽りが生まれる。終わらない哀しみも、終わらない苦しみも。

本当の想いはきっと、人の”ぬくもり”の中にあるように思う。だから手をつなぐだけで伝わるものや、見つめあうだけで分かり合えるものが、ちゃんとあるように私は思う。

そのぬくもりが冷めたときに、人は言葉で補おうとする。だから人は、いつもどこか間違っているような気がする。

もしも死しか、見えなくても、抱き合ったそのぬくもりの中で死を選ぶ人は、この世にいないと私は信じる。

普段は見えないけれども、無意識のうちに体の中では、生きるためのいろんなことが、絶え間なくなされている。心臓は休みなく動き、血は体中を駆け巡り、肺に新鮮な空気を送り込み、まぶたは絶え間なくその目を守っている。

そこまでして生かされている、理由は一体なんだろう?人生は、この世界は、どうして存在しているのだろう?この長い時の中で、いろんな言葉や道具の中で、きっと、私たちは忘れてしまっただけなんだ。

生まれた瞬間から私たちは、誰もが死に向わされる。始まりと同時に終わりが始まる。だから誰が悪いということはない。特別な人は誰もいない。みんな同じ運命を背負わされる。

ただ長く生きてることが正しいのかはわからないけれど、答えはすぐには見つからない。見つからないから、私たちはいつも向わなきゃならない。

必ずどこかにある死に向って。

私はいつも、問い続けていたい。
こうしてココに生まれたことを。
こうして今、生きてることを

そしていくつもの、小さなぬくもりを
そしていくつもの、伝わらぬ何かを

いつか失くしたこの言葉の中で。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一