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その自殺とその生きる意味と。

「わたし、かつて、自殺しようとしたことがあるんです」

エレベーターを待っているときに、ふと、彼女はそう言った。もう、何年も前の話だ。どういう話のいきさつで、そんな言葉をいう必要があったのか、今ではよく思い出せない。けれどもその言葉だけが、あまりに印象が強すぎて、今でもふと、心によみがえるときがある。

彼女は二十歳の学生アルバイトだった。髪のきれいな子だった。いつも明るくて元気がよくて、なんでも「はい」とちゃんと返事をする子だった。お互いに、エレベーターの上の数字を眺めながら彼女は続けてこう言った。

「薬をたくさん飲んだけど、結局、救急車で運ばれて、胃の中を全部洗って、親にひどく泣かれて・・・だから今も、私は生きているわけだけど」

たぶんそのとき、私たちは、病気か何かの話をしていたのだと思う。もちろん彼女は、冗談でそんなことを話したのではないし、確かそのときも貧血か何かで、彼女の具合がとても悪くて、仕事を早退してもらおうとしていたときだったと思う。

そのときの私の中で生まれた不思議な感情を、今も私は忘れられない。その彼女の言葉に対して、普通なら心配そうにその理由を聞くものだと思う。「どうして?なぜ自殺しようと思ったの?」と。そのときの私も、そう聞きたいと思っていた。でも、実際に私の言った言葉は違っていた。

「それは誰にも言うべきことじゃない」

自分で言った言葉なのに、自分じゃない誰かが言った言葉のようだった。とても冷たい言葉だった。それは、ひどく間違っているような気がした。でも、そのときの私は、何かとても許せない気持ちでいた。もしかしたら、彼女は私に何か同情して欲しかっただけかもしれない。わけあって、何か寂しかったのかもしれない。

別にそれは特別な感情ではなく、ただ小さな優しい言葉を、態度を、私に望んでいたのかもしれない。でも私は、とても不快に感じていた。

つまりは怒っていたのだ。

自殺しようとして、親が泣いて・・・だから、なんだというんだ?私がココで同情をすれば、親の涙が乾くというのか?自分の心が癒されるとでも言うのか?そう私は心で思った。

私にはまったくわからない。自殺はどうあがいても、すべての不幸でしかない。まわりのすべてを巻き込んで、不幸が心をなぎ倒してゆく。残されてしまった人たちは、それでも生きていかなきゃならない。そういう不幸を、彼女は本当に知っていたというのか?

あらためて私はこう問いたい。人は誰でもいつか必ず死ぬというのに、どうしてわざわざ死ななきゃならない?苦しいから辛いから?死ねばすべて消えてなくなる?いや、なくなりはしない。それらはすべて残されたものに、引き継がれてゆくのだ。

それが本当の不幸だと私は思う。

「それは誰にも言うべきことじゃない」

そう言った後、彼女は小さく肩をすくめると、黙ってエレベーターを待っていた。硬く閉じた唇が、何か彼女の後悔を物語っているような気がした。思えばただ、それだけのことだった。

その後の彼女は、そのことに何も触れなかったし、いつもの明るい彼女だった。彼女が自殺しかけたことを話して、それを私が小さく叱るように言って、ただ、それだけのこと。今にして思えば、私は間違っていたのかもしれない。それでも正しかったのかもしれない。でも、それが問題じゃない。

確かに誰かのその明るさの影に、どんな哀しみを抱えているのかは、本人以外、誰にもわからない。でも、誰もがみんな、そういう荷物を心のどこかに抱えている。いつかその荷物を捨てて歩き出せる勇気を、みんなどこかでずっと待っている。

その勇気を私はいつも信じていたい。

人がこんな不思議な形をして、こんな世の中に生まれたのは、必ず何か意味があるはず。その意味を、人はどこか奥深いところで求めながら生きている。せめてその答えが見つかるまでは、人は生きていなきゃいけない。それはもう、宿命だと私は思うんだ。

かつて、彼女が死のうとした事実に、あのとき私は、ひどく心が慌てていた。そんなふうに思いもしなかったから。いつも元気を与えてくれたから。だから逆に、私は彼女に叱りたくなったのだと思う。

君はその意味を知りなさい。
君はその意味に気づきなさい。
こうしてココに生きていることを
こうしてココに生かされていることを

たとえどんなにひどい明日が、
君を待っていたとしても
誰にもその悲しみを、引き継がせないそのために。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一