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お探しのページは見つかりませんでした。

ある日のこと、私の好きなnoteクリエイターさんのページを見に行くと、こんな表示が出た。

「お探しのページは見つかりませんでした」

あの人の書いた言葉じゃない。

いやいや、ちょっと待って。あれ?私が何か間違えたのかな?と思った。だって、つい、ちょっと前のエッセイも幸せな日常の感謝の言葉で締めくくられていたのだ。何かの間違いだ、きっと。

そう思い直し、あちこち探してみた。
でも、どうしても見つからない。

どうしてもどうしてもどうしても・・・

もう、素直に認めるしかなかった。

noteを削除したんだ・・・。


私はこうして毎日のように、好きなエッセイや詩を書き、そして好きな写真を載せている。そして同じように、誰かの好きなエッセイ、写真、イラストなどを見ては、癒されたり、共感したり、考えさせられたりと、私の人生に彩を与えてくれている。

そんな中で、いつしか私は、好きなクリエイターさんのことを勝手に「友達」と思っている。そして私は、いつものように、その人に会いにゆく。

ドアを開けると、その人はいない。

そこには置手紙もなく、空っぽの白い画面の中に「お探しのページは見つかりませんでした」という温度のない言葉だけが、私に現実を突きつける。

何があったのだろうか?

とても心配になる。でも、私は気づいてしまう。私が友達と思っていた人は、顔も知らなければ本当の名前も知らない。そのつながりは、細い糸のようなものかもしれない。何か拍子にプツンと切れれば、もう二度とそれきりになる。わかっているはずなのに、いざ、現実に目の当たりにすると、言葉を失ってしまう。

ネットでのつながりの希薄さに、勝手に心が暗くなったけど、現実の世界でも、それは何ら変わらないのではないかと思った。

人生にはたくさんの出会いと別れが繰り返される。たぶん、このnoteでの出会いと別れも、その大切なひとつなのだと思う。「ネットだからそんなもの」はたぶん、きっと、間違っている。昔、ネットもなかった頃、人が生まれて死ぬまでに、出会って心を通わせる人なんて、本当にわずかだった思う。

でも、今は違う。こうして私たちは多くの人と出逢って、そして、心を通わせ、いつしか離れてゆく。これはきっと、それでも私たちの望む人生だ。

たしかにそれで、心が傷つくこともある。何度も立ち直れないこともある。でも、それさえも、誰かの言葉に癒されて、また、立ち上がることが出来る。

私たちはそれをくり返すことで、こんな見えない人生を、歩いてゆけるのだと思う。今はただ、いなくなってしまったことを嘆くのではなく、その人との出会いに、私は感謝したいと思う。

今までありがとう。心からうれしかった。あの日交わした言葉を、私はきっと忘れない。せめてこのnoteを見ていてくれたならと、そんな想いで感謝の気持ちを残したい。

私たちは、どこかの街で、偶然すれ違ったとしても
いつも気付けあえない私たちだ。

それでも心は、いつか気付くのだと思う。

もしも、振り返ったとき
その人も振り返っていたのなら

また、そこから始めよう。

こんにちは、と小さな笑顔で。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一