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母に伝えたい言葉。

青木詠一 著書「それでもお客様は神様ですか?」より。
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お客さんが、私の目の前で泣いていた。ご年配の女性の方だった。たぶん、私の母と同じくらいの年齢と思われた。私はなす術もなく、ただ、ぼんやりと、その涙を見つめるしかなかった。

「勝手な事を言って、申し訳ありません・・」

そんな言葉を繰り返しながら、その女性は私に詫びていた。まるで私は、自分の母親にそう言われているような気がして、わけもなく、ただ、どこまでも途方に暮れる思いがしていた。

それは昨日、冷蔵庫をお買い求め頂いたお客様だった。私がその接客をした。遠いところでひとり暮しをしている息子さんが”最近、冷蔵庫の冷えが悪い”と電話で言ってたみたいで、もう随分と使っていたし、だから買い替えてあげようと思ったのだそうだ。

「まだ、息子には買う事を言っていないのですが、本人も忙しいみたいだから・・・」その年配の女性の方がとても心配そうに、それでいて少し自慢でもするかのようにおっしゃっていた。一緒に来られていたご主人も「あいつはひとりじゃ、何も出来ないからなァ。わし達が甘やかした罰だな」と少し笑っていた。

まるで向日葵みたいなご夫婦だった。そう言いながらも、”なんて幸せな家族なんだろう”と私は思っていた。遠くに住む息子さんへの愛情が、あふれるくらいに私にまで伝わっていた。

「出来るだけいい物を買ってやりたいんです」

そんなふうにおっしゃるその母親に、私は心を込めてある冷蔵庫をおすすめした。省エネタイプのデザインのいい、とてもお買い得な冷蔵庫だ。

「これなら息子さんも、きっと喜んでいただけるはずですよ」と私は言った。遠方の配達の為、商品は注文になったけど、私はこのご夫婦と息子さんに喜んでもらいたくて出来るだけ早く配達ができるように努力し、あちこちに手配した。みんなの協力もあって、通常なら5、6日かかるところを、3日後の配達が可能になった。

「冷蔵庫ですからお急ぎでしょうけど、これが精一杯なのです」と私は恐縮しながら言ったのだけど「ありがとうございます。まだ、壊れたわけじゃないので、それで大丈夫だと思います」とその母親は、私に何度もお辞儀するように言うのだった。なんて心のきれいな方なんだろう。

決してそれが最善の努力とは言えないのだけど、それでもこんなに喜んでくれるこのお客さんに私は心からの感謝の気持にあふれていた。と同時にこんなやさしい両親の元で愛情に包まれた息子さんをうらやましく思ったのだった。

・・・そして、今朝、その母親が来店されたのだった。

その母親が、私の目の前で泣いていた。昨日の明るい表情が一転した。その神妙な表情は、さっきまでずっと悩み苦しんでいたのだと、すぐにわかるものだった。

「どうされたのですか?」私はゆっくりと神妙な思いで尋ねた。「実は、申し上げにくいのですが・・・」とその母親は言葉を詰まらせた。「実は、息子に冷蔵庫を買った事を電話で知らせたらひどく叱られてしまったのです。勝手にそんなコトするなって・・・」

「冷蔵庫が直ったと言う事でしょうか?」私は不思議に思いそう尋ねてみた。「いえ、そうじゃないのです。本人も困っているはずなのに、”いらない”って言うのです。あの子の考えている事は、私にはまったくわかりません。それですぐに店に行って、金を返してもらえ!って怒鳴るんです」そこまで言って、その母親の目から涙がまた一筋、こぼれ落ちて行った。その言葉の最後のほうは、うまく言葉にさえ出来ていなかった。

あんなに幸せそうに見えたのに・・・。私はつまり、そのお客さんの表面的な物事しか見えていなかったみたいだ。なんだか自分が情けなく思えた。息子さんとうまくいっていないのだろうか・・・。

「わかりました。残念ですが、それが息子さんの望まれたことなのですね。大丈夫ですよ。キャンセルは問題ありませんから・・・」私はそう言って、そのお客さんの不安を少しでも取り除いてあげたかった。そのお客さんの涙に、私はいつしか自分の母の面影を見ていた。私は息子さんのその言葉の意味が、少しだけわかるような気がしていた。なぜなら、私も遠い過去に、その息子さんと似たような事を母に対してしたからだった。

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それは、私が大学生の頃の事だった。かなり昔の話になる。あの頃、母から離れて私は遠い場所でひとり暮しをしていた。とても小さな下宿のアパートだった。その頃、大学2年生だった私は、学校が面白くなくなり、ろくに授業にも出でていなかった。人と人との関わり合いの下手な私は、これからの人生について随分と悩んでいた頃だった。

でも、私の母はもちろんそんなこと何も知らないで、私に何一つ不自由な思いをさせない為に毎月十分すぎるほどの仕送りをしてくれていたのだった。

私には、その十分過ぎるお金が、苦しくて仕方なかった。私はロクに大学にも行かないで、勉強さえもしていないのだ。そのお金を使う資格など何一つなかった。親にとっても、それは決して楽なお金じゃなかったはずだ。でも、私はもう大学に生きたくなかった。行きたい、じゃなく生きたくなかったのだ。そのお金を前に、私はただ、呆然と愚かな自分を嘆くしかなかった。

私は母に電話した。「あんなにお金を送らなくていい」とぬくもりのない言い方をした。「今の半分のお金でいい」と更に私は冷たく言った。「それぽっちのお金じゃ、生活できないんじゃないの?」と母は随分と心配したが、「大丈夫だから!絶対だよ!」と私は意味もなく怒鳴って、その電話を切ったのだった。

それから強制的に半分の仕送りにしてもらった。本当は、下宿代を払えば、わずかしかお金は残らない金額だった。母には”家賃が安くなったから”とウソをついた。それから私は、とても貧乏な生活をした。食事は、カップ麺しか食べなかったり、パン屋に残った30円の大量のパンの耳を「犬の餌にするのです」とウソをついて何の恥ずかしげもなく買ったりした。そんな生活が、生きる価値のない今の私にはふさわしいものだと思った。

しかし、ある日の事、母から電話があった。「お金は大丈夫なの?確か冷蔵庫もないのよね。だからせめて冷蔵庫を買ってあげようと思っているのだけど・・・」

その言葉に私は激怒した。「そんなものいらない!」と激しく母に言葉を投げた。なおさら心配する母に、私は母の言葉を断ち切るように、電話を切った。

”こんな僕に、どうしてそんな事をするんだ・・・”

私は下宿先の共同の公衆電話で、ひとり泣いていた。あの頃、私にとって、母の愛情は深ければ深いほど、苦しくなるばかりだった。

「本当に申し訳ございません」

その母親の言葉に、私は不意に現実に引き戻された。その母親の息子さんの行動や言葉に、私は昔の自分を見たような気がした。息子さんも、私には本当の理由はわからないにしても、きっと、その母親の愛情が、息子さんにとって、とても苦しいのだと思った。

やさしくされると、ただわけもなく苦しくなる。そんな不器用な愛もある。だから私はその母親に、「大丈夫、大丈夫ですよ」と何度も言葉を繰り返した。それは、べつに冷蔵庫のキャンセルの事だけを言っているわけじゃない。”きっと息子さんは、あなたをちゃんと愛してますよ。”という私の心からの想いだった。

その母親は、いつまでもその白いハンカチを、涙で濡らしていた。その小さな背中に、私は一瞬、私の母の面影を見たような気がした。たぶん、あの時、あの下宿先の共同電話を私が切った後で、母はこんなふうにして泣いていたんだろうなとはじめて思った。あの頃は、自分の事で精一杯で、そんなことを考えもしないで・・・。

久しぶりに母に電話がしたくなった。
もう、随分とその声を聞いていない。

なんて言えばいいのだろう?自分の親なのに、特別に用事のない電話は、なんだかとても照れくさい。突然の電話に、母はなんて思うのだろう?”声が聞きたかった”なんて言うのはちょっとなぁ・・・。子供達は元気だとでも伝えれば自然かな?でも、ちゃんと伝えなきゃと思った。昔言えなかった言葉を。何かのついでみたいに、さりげなく言えたらいいけど・・・。

あの頃、下宿先の共同電話の下で、私はいつまでも泣いていた。廊下がとても冷たかったのを今でも覚えている。あの時、私は本当は母のことを、これっぽちも憎んでなんかいなかった。ごめん・・・いつも素直になれないわがままな私で。

あなたの愛が苦しいほどに、私にはうれしかったのです。

ありがとう、母さん。
あなたが私の母でよかった。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一